森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

good evening !

2009年10月29日 23時26分40秒 | 過去ログ

本日はAMに授業準備を行い、
そのまま10時半より教育学部の授業。
前回が初回であったために脱線しまくりオリエンテーションであったため、
結局は1回目の資料を用いて一次感覚には臨界期が存在するが、
連合に関する領域には確実な臨界期が存在しないことをデータで示した。
結局は言語の発達までいけずに
非言語的コミュニケーションのための感覚情報処理で終わった。

12時にアート・ディレクターの國岡真司さん
カメラマンの熊谷絵美さん
日本理学療法士協会広報部員(神戸大学)小野くみ子さんを大学にむかえ、
PT協会の「PTぁ」の記事取材がはじまる。

理学療法学科の人間発達学の講義より写真撮影&取材がはじまる。
ビデオプロジェクタの音が出ず、問題解決が要求されたが、
自分の講義である双方向性授業スタイルが記録された。
授業はライブである。
バンドのように観客と双方向性を楽しむように授業を楽しむ。
その代わり情報過多にはなれない。
今日は情動の発達の序論で終わってしまった。

取材のみなさんから「楽しい授業ですね」とお褒め(お世辞?)の言葉が。
授業は「恐怖」でもよくないし、「嫌悪」でもよくない。
ましてや「苦しみ」や「痛み」を感じるべきでもない。
ネガティブ情動が授業で感じてしまうと、臨床実習では「心の痛み」にもつながるし、
「恐怖」にもなる。
教員が実習ばかり意識して、出る前から「恐怖」を植えつけてもよくない。
それこそ「うさぎとアルバート」行動主義である。

大脳辺縁系と脳幹だけ機能させる恐怖授業はよくない。
大脳辺縁系と大脳新皮質を機能させる問題解決型授業でないと。
「口」では問題解決型といいながら、スタイルだけそうであっても、
こころがそうでないばあいが多い。

授業の取材後は実験風景を撮影し、
ありえないポーズを要求されたが、
気持ちよく演じさせてもらった。

その後、研究室で「ロマンティック・リハビリテーション」の本意・本質をかたった。
言葉が独り歩きし、本意が理解されていないことが多い。
それも脳の働きであるが。

私淑するルリヤやオリバーサックスの言葉を出しながら、
歴史、絵画、音楽の話をしつつ、
自分の履歴を話した。

私はある一つの型にはまるのを嫌がる特殊なPTであることは間違いないが、
それは人間を多方面から観察する生き方だとも勝手に思っている。

今日は少し語りすぎた。
そんな反省をしつつ、3名を送った。
広報部長の桜木先生が飛行機トラブルのせいで大学までこれなかった。
お会いしたかったがまたの機会を。

その後、4時半過ぎより、4名のゼミ生の卒論を聞き、
適宜、サジェストした。

今日は違う脳を使ったために疲労した。
取材なども緊張はしないが、
注意機構を余計働かせるためにやはり、脳を使う。
その分、疲労したが、
新たな「記憶」として刻まれた。

今日1日はよい経験なった。


知恵は経験の娘なり。

四国医療の穴吹先生。
ライブDVDありがとう。
この場を借りてお礼です。

穴吹、義治、youtube行きの曲は???




2009年度 森岡研究室 卒業研究一覧

2009年10月29日 23時01分44秒 | 過去ログ
感覚の遮断が垂直跳びおよびその筋活動に及ぼす影響  岸 丈
視覚的喚起刺激が姿勢制御に及ぼす影響      石垣智也
心的ストレスが運動知覚範囲に及ぼす影響     及川新一
歩行観察条件の違いによるミラーニューロン特性 永楽由香里
歩行観察,足音聴取時における歩行ミラーニューロンの作動についての検討
‐fNIRSを用いて‐                     中谷未来
筋出力調節課題の違いによる脳血流量の変化    菅美由紀
匂い刺激が前頭葉情動制御機能に及ぼす影響     森聡至
音刺激のある自転車エルゴメーターでのリズム運動とストレスの関係
                               辻本多恵子

11月の講演スケジュール

2009年10月28日 22時53分48秒 | 過去ログ
日本認知運動療法研究会認定 認知運動療法ベーシックコース(東京)
日 程 2009年11月1日(日)~3日(火・祝)
会 場 首都大学東京 荒川キャンパス(東京都荒川区東尾久7-2-10)
講 師 森岡 周 (畿央大学)他
テーマ リハビリテーションにための脳神経科学,脳の中を治療する


平成21年度四条畷学園大学同窓会総会
日 時: 平成21年11月8日(日) 10:30~12:00
場 所: 四条畷学園大学
テーマ:神経科学の発展に基づいたリハビリテーションの展開
講 師:森岡 周(畿央大学)


東朋香芝病院 特別講義
日時:平成21年11月11日(水)18:00~19:30
場所:東朋香芝病院リハビリテーション科
テーマ:失認
講師:森岡 周(畿央大学)
対象:病院スタッフ


福井県こども療育センター 専門機能強化事業「療育研修会」
日 時:平成21年11月14日(土)13:00~16:30
場 所:福井県立看護専門学校 多目的ホール
テーマ:子供の脳の発達(脳科学の観点から) ~人間に対する興味が科学の出発点~
講師:森岡 周(畿央大学)
対 象:こども療育センター利用児,者の保護者,職員,県内外の医療,教育,福祉関係者,学生


日本認知運動療法研究会アドバンスコース in FUKUOKA 2009
日程 平成21年11月21日(土)13:00開始~23日(月)
会場 ガスホール(パピヨン24) 福岡県福岡市博多区千代1-17-1
受講資格 研究会会員
テーマ 「ロマンティックサイエンスの世界、我々のニューロストーリー」 
     -見失われた身体の歌、あるいはルリアとサックス、
      そして我々の患者たち-
認知カフェ
1) カルロ=ペルフェッティ「見失われた身体の歌-患者の詩の朗読と音楽-」・・小鶴誠・他
2) ルリアのロマンティックサイエンス・・・沖田一彦
3) オリバー・サックス「左足をとりもどすまで」を読む・・・本田慎一郎
4) 半側空間無視患者の「言葉」を聴く・・・片岡保憲
5) 一人称の脳、三人称の脳・・・森岡周
6) 認知を生きる・・・池田耕治


第49回近畿理学療法学術大会
会期 平成 21 年 11 月 22 日 (日)
会場 神戸国際展示場2号館
シンポジウム:テーマ「私の考える理学療法の展望」
シンポジスト
 京都大学 市橋則明 先生「骨関節系分野での理学療法の展望」
 兵庫医療大学 高橋哲也 先生「心臓リハビリテーション分野での理学療法の展望」
 畿央大学 森岡 周 先生「脳科学の進歩から理学療法の未来を展望する」


福岡ハンドセラピィ研究会
日時 平成20年11月29日(日)
場所 福岡国際医療福祉学院
内容 手の運動制御と運動学習
講師 森岡 周(畿央大学)


意を発する

2009年10月28日 22時48分05秒 | 過去ログ
今日はAMに学部ゼミ生2名の卒論プレゼンを聞く.
2名とも順調であり,自分自身を高めることができており,
よき学生にめぐり合えたと思う。
「研究」とは、基本的には「自分」でやるものであり、
久しぶりに、このような自立できる学生に出会えたと思う。
あとは、1ステージ上げてもらいたい。
国際的にも。

その後、島津製作所の方と今後の整備計画について話した後、
桜井高校向けて出発する。

電車では「メニエール」症状が久しぶりに出て、
短い距離ながらも冷や汗が続く。

桜井高校では、高校2年生に向けて
「進路」「大学」「脳」「運動」「学習」の話をした。
後のアンケートでは、高校生からは珍しく多くの学生から、よい評価をいただいた。
うれしい限りである。
科学に興味をもってくれたことに。
大学とは、教員と学生がともに科学をする場所である。
この科学とはデータをとるという意味だけをさしていない。

「脳」にも興味をもってもらえてこの上ない幸せである。

畿央大学にきたときは一緒に勉強していきましょう。

高校を後にして、ゼミの男衆の石垣・及川・森・岸君の4名に
手伝ってもらい、ビビットな黄色の椅子、本棚を組み立ててもらった。
感謝したい。


その後、院生の信迫君、平松君、藤田君と雑談兼、今後の展開について話、相談にのり、
職場を22時に後にする。

昨日より、「脳を学ぶ(2)」の原稿を書き始め、
スタートは上々だったが、
このように外部の仕事が合間に入ることで、
中断が余儀なくされ、
それにより、意識が変わってしまう危険性がある。

それを打破せねばならないが、
明日は授業にPT協会の取材が入る。
それはそれで仕事だし、うれしいが、時間・体力とのにらめっこを年々、加齢とともにしないといけない自分がいて、
それを調整することも大事な仕事だと思う。

いずれにしても、あれも、これも、したい、というモチベーションだけはまだ残っている。

目の前には自己で決めた締め切りが10以上ある。

本、原著、総説、実験などなどである。
大学の仕事とは別のタイムリミットを設けることで、
自意識を高めることを自分を痛めつけながらすることで、
最終的には自分のモチベーションに変わっていくと思う。
そうすれば、新たにしたいものがまた沸き立つはずである。

ドーパミンが大量に出る瞬間に出会う(はずである)。

福岡ハンドセラピー研究会の定員300名が1週間程度で埋まったようである。
襟を正さなければならない。


修了ははじまりにすぎない

2009年10月27日 23時44分29秒 | 過去ログ
sfnから帰国したこうむら君と吉田君から「達成感&これからの展望」メールが届いた。
外の空気を吸うことで、初めてうちなる自分自身を知ることができる。
シカゴでの経験は、自分自身にとってかけがえのないものになったようだ。

成功、失敗ではない、その内なる感情こそが、人の強さ、たくましさになる。
やったものにしかわからない感覚である。

世界を知ることは、自己を知る手続きである。
病院内で生活するセラピストもいるが、
やはり、大海原にでるというか、
自分自身の羅針盤で航海した経験はかけがえのない記憶になる。

次の目標を1歩ずつ進めば、
1ステージ上の舞台にたつことができる。

私の方はというと、いつもの平穏な2日間を過ごしている。
週末は久しぶりにダウンで、土曜日は布団のなかで過ごしたが、
月、火と学部研究の指導、会議、大学院研究指導、授業準備と過ごした。

大学院の希望者が複数名来室するが、
大学院の目的なんか、10人いたら10人違う。
出て何なるかなんて、出る前に決めればいい。
自己を高めたい、その欲求がいちばん大事だ。
それを生涯持ち続けることが大事なんだ。
自己を知るための手続きが勉強である。

「人生すべて勉強である」「知恵は経験の娘なり」

修士、博士、研究者がゴールでない。
そのような決まったレールを考えるから小さい研究しかできない。

大学院研究はプロセスの場である。
結果を優先するばかりに、研究の本質を知らずに修了するものが多い。
男性(男子)に余計それを感じる。



自分に向き合い、自分を高め、最終的にはまわりまわって社会貢献となる。
最初から社会貢献なんかを考えるのはまだまだおこがましい。
とにかく自己を高め続ける。
それさえあれば、なんでもできる。


シナプスの本性

2009年10月24日 17時07分18秒 | 過去ログ
金曜日は岡山で講義に向かう.

このルートももう無意識だ.
6年目に突入した.
月日は年々早くなる.

教育学では,いつもスタートを「人間」と「ロボット」の違いから
人とは?人が人を模倣するとは?人と人との教育とは?
を考える.

人の優れたところをみんなは挙げるが,
ロボットの優れたところを挙げると,
途端,「正確性」「記憶」「速度」という視点になる.
CPU,HD,メモリといったところであろうか.
しかし,現代の人を観察すると,
仕事の正確,速度,容量が問われている.
現代人は機械になろうとしているのか?

このように住みにくい社会になったのはなぜだろうか?
「感性」とか「創造性」とか重要というが,
このゆとりのなさからは矛盾が生じる.
スローフードとかスロー社会とかもてはやされること自体がおかしい.

社会はアメリカ,中国のようになっている,
もっと,地に足をつけ,日本人としてのスタイルを考えたい.

こういう速度が重要視される世の中,社会に冷めた人が増える.
それはシステム脳が強い男子に特に多い.
男子が生きにくい社会でもある.
「自由」ということを要求すると,
その自由を上手く使えない.
なにか与えられたテーマでしか動けない.
彼らは人間らしい「大脳皮質」の自由が奪われている.

規則正しい仕事に就くことが何よりもの報酬になっている現代において,
特になんらかのプレッシャーを感じてしまう男子の目が死んでいる場合がある.
これはうちの大学の教育学部学生にも同じことも言える.
理学療法学科は必修科目であまりそれを感じないが,
選択となると,なぜそれを選択したかの理由・感情があるはずだが,
それもない・・そしていやな授業もボイコットせず,
「恐怖」を常に感じているために,
いやいやながらも出て,意識は授業に向けられず,目は死んでいる.
私は仮にも脳科学を研究しているものなので,
表情知覚は瞬時にできてしまう.
無意識に出る表情こそが,その人の本意となる.
ことばは偽りの場合が多々ある.


自己責任のもと,
必要ない授業は出ずともよい.
映画とか,音楽とか,スポーツとか,もっとそんな時間に費やしたほうがよい.
あるいは友達同士で議論を深めてもらいたい.
今のカフェは,昔の喫茶店のように,議論を深める場所でもなくなった.


自分の内部の感覚のなさが極めて目立つ.
外部の感覚ばかり気にしている.
「私を守って!」という心の叫びしかないようにも感じる.


バリアフリー社会,ゆとり教育が生物としての競争心を奪い,
生きる活力を奪ってしまった.

豊に生きることばかりを気にして,
たくましく生きるという動物的本能を奪ってしまった.

しかし,人は動物であるために,
その欲求が理性で普段抑えられすぎてしまい,
一気に爆発してしまう.
現代人の「キレる」という現象は,
豊かさでたくましさを抑えすぎた,矛盾現象から起こる.
奇怪な犯罪もそういう矛盾現象かもしれない.

セカンドライフとか,バーチャルライフなど,
デジタル社会が横行すると,アナログ感覚である
私とは何者か?どこに向かうのか}という視点を奪ってしまう.
湿度をもったアナログ社会で子どもは育まれるべきであろう.
なぜなら,人は自然界に生きる生物,つまり自然現象なんだから.

シナプスは電気配線回路とは違う.
電気信号を化学信号に変換する脳の意味を考えてもらいたい.