本日はAMに授業準備を行い、
そのまま10時半より教育学部の授業。
前回が初回であったために脱線しまくりオリエンテーションであったため、
結局は1回目の資料を用いて一次感覚には臨界期が存在するが、
連合に関する領域には確実な臨界期が存在しないことをデータで示した。
結局は言語の発達までいけずに
非言語的コミュニケーションのための感覚情報処理で終わった。
12時にアート・ディレクターの國岡真司さん
カメラマンの熊谷絵美さん
日本理学療法士協会広報部員(神戸大学)小野くみ子さんを大学にむかえ、
PT協会の「PTぁ」の記事取材がはじまる。
理学療法学科の人間発達学の講義より写真撮影&取材がはじまる。
ビデオプロジェクタの音が出ず、問題解決が要求されたが、
自分の講義である双方向性授業スタイルが記録された。
授業はライブである。
バンドのように観客と双方向性を楽しむように授業を楽しむ。
その代わり情報過多にはなれない。
今日は情動の発達の序論で終わってしまった。
取材のみなさんから「楽しい授業ですね」とお褒め(お世辞?)の言葉が。
授業は「恐怖」でもよくないし、「嫌悪」でもよくない。
ましてや「苦しみ」や「痛み」を感じるべきでもない。
ネガティブ情動が授業で感じてしまうと、臨床実習では「心の痛み」にもつながるし、
「恐怖」にもなる。
教員が実習ばかり意識して、出る前から「恐怖」を植えつけてもよくない。
それこそ「うさぎとアルバート」行動主義である。
大脳辺縁系と脳幹だけ機能させる恐怖授業はよくない。
大脳辺縁系と大脳新皮質を機能させる問題解決型授業でないと。
「口」では問題解決型といいながら、スタイルだけそうであっても、
こころがそうでないばあいが多い。
授業の取材後は実験風景を撮影し、
ありえないポーズを要求されたが、
気持ちよく演じさせてもらった。
その後、研究室で「ロマンティック・リハビリテーション」の本意・本質をかたった。
言葉が独り歩きし、本意が理解されていないことが多い。
それも脳の働きであるが。
私淑するルリヤやオリバーサックスの言葉を出しながら、
歴史、絵画、音楽の話をしつつ、
自分の履歴を話した。
私はある一つの型にはまるのを嫌がる特殊なPTであることは間違いないが、
それは人間を多方面から観察する生き方だとも勝手に思っている。
今日は少し語りすぎた。
そんな反省をしつつ、3名を送った。
広報部長の桜木先生が飛行機トラブルのせいで大学までこれなかった。
お会いしたかったがまたの機会を。
その後、4時半過ぎより、4名のゼミ生の卒論を聞き、
適宜、サジェストした。
今日は違う脳を使ったために疲労した。
取材なども緊張はしないが、
注意機構を余計働かせるためにやはり、脳を使う。
その分、疲労したが、
新たな「記憶」として刻まれた。
今日1日はよい経験なった。
知恵は経験の娘なり。
四国医療の穴吹先生。
ライブDVDありがとう。
この場を借りてお礼です。
穴吹、義治、youtube行きの曲は???