森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

(社)奈良県理学療法士会 3年次新人教育プログラムセミナー

2009年02月27日 08時54分40秒 | 過去ログ
奈良県理学療法士会 3年次新人教育プログラムセミナー

日時: 平成21年3月1日(日)9:30~15:35
場所: いかるがホール
奈良県生駒郡斑鳩町興留10丁目6番43号
T E L:0745-75-7743 

9:15~10:30 『理学療法の教育方法論 -臨床実習教育を含めて-』 
岩山 邦彦 関西学研医療福祉学院

10:45~11:45 『世界の理学療法』   
森岡 周  畿央大学

12:45~13:45 『理学療法の専門領域』  
田平 一行 畿央大学

14:00~15:00 『生涯学習』
佐藤 剛介 奈良県理学療法士会 生涯学習部

ささやかな社会貢献のスタート

2009年02月26日 23時57分29秒 | 過去ログ
今日は大阪で研究開発の打ち合わせがあり、
そのまま満員電車にのる。
久しぶりの満員電車に躊躇したが、
疲労がピークなのも事実であり、
無心というものか、
何も考えず、時の流れが過ぎ去った。


午前中で終え、そのまま京都に向かい、
実習訪問を行う。
亀岡は京都市より体感温度が違う。
途中、保津峡を抜けるときはいつも自然の神秘性に焦がれる。
亀岡駅が改築されており、居心地はよくなっていた。
この施設でも学生は特に問題なく、
臨床実習指導者の人間性・優しさに触れ、
感無量になっているようだった。
「人にやさしく」、これが人間の基盤である。
「アラ」のみを探さず、
その学生のこころのなかを読む。
このようなことが出来ている指導者に出会うと、
学生も幸せだが、そうでない場合もある。
しかし、そうでない場合があるからこそ、
他の人の優しさを大いに感じることができる。
「大いに」というのが秘訣だ。
差異が生まれれば、情報が生まれる。
情報が生まれることで、私らしさ、私の生きる道というのが生まれる(はずだ)。

いずれにせよ、すべて「経験」。
それが知になり、血(身体化)する。

以前にも書いたが、複数施設行く意味がある。
いろんな人間を体感することだ。


今、自分は教育研究者の道を歩いているが、
それを嘆願したわけでもないし、
その道が向いているか、向いていないかなんて、考えたこともない。
楽しくもあれば、苦しくもある。もちろんいらだちもある。

ただ、悩んでも、フリーズは極力しない。
自然体だからだ。
自分を反省しすぎて、凍結しないよう、心がけている。

反省は時に意味をもつが、時に自分を防御するための反応でしかない場合がある。
先日、作家の渡辺淳一がテレビに出ていて、
恋愛に「おくて」である青年に対して、
それは「自意識過剰」だと一蹴した。
自分の弱い部分、傷つく自分をみせない、知りたくない、サインだと。

それもある面、当たっている。

自分は、学生時代は、いわゆるまじめなほうでなかったため、
そして、いわゆる頭が良いほうではなかったため、
深く物事を考えることがあまりなかった。

それが功を奏してか、実習中に毎日毎日注意を受け、
罵声を浴びせられ、担当症例は1期で15症例は超えていた。
などなど続いたが、それが普通だと思っていた。

携帯もメールもない時代、
情報がない分、それが普通だと思っていたし、
注意されて、叱られて、一人前になるんだな、と思っていた。
実技だとか、知識だとか、すべてに負けていたからね~
変な自信は全然なかったのを記憶している。
今の学生みたいに、学校でしっかりと習っていなかったし、
実習前に真剣に練習なんかしてなかったしね~

どっちが良いとはいえない(一生懸命、まじめにがんばっているのが良いのは前提)が、
力を抜くということは時に大切であり、
ときに、出来なくて当然と思うことも大事である。
次に出来れば、それでいい。
肩の力を抜き、次の日の朝を迎えることだ。

それでも明日はやってくる。
朝、実習に行くまでの精神は苦痛だけど、
それもよるには終わり、次の日をまた迎えることができる。
この1日1日が、連続しているということは、
幸せだ。
その連続性が奪われたときに落ち込むのはとっておいたほうがいい。

18時に亀岡を出てそのまま奈良リハでの勉強会に参加する。
久しぶりで、新鮮だった。
4月より、きちんと向き合いたいと思う。
忙しさに負けて、自分の土台を見失いつつある。
奈良リハに向かう近鉄で、うちの学生でない学生が、
国家試験対策本を立ちながらも一生懸命見ていた。
心のなかで、「がんばれ」とささやかにさけんだ。


明日は東京である。
研究の打ち合わせ、出版の打ち合わせのみならず、
今年度は、全国各地からメールをいただいている患者さんやその家族と都合をみつけ会い、
その心に耳を傾けるよう、自分の(仕事や体)のことはさておいて、
関わっていきたいと思っている。


学生たちも、あなたが会うべき未来の対象者(患者・利用者)のために、
今を生きなさい。





夢は真っ先に困難という友達を連れてくる。
困難は最後に感動という友達を連れてくる。

患者さんに「ありがとう」といわれ、感動され、感動する日も近い。
共同注意の意味を体感する日も近いはずだ。


Ryoma 語録

「何でも思い切ってやってみること。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様骨となって一生を終えるのだから。」

「人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。」

「『・・・しかない』というものは世の中にはない。人よりも一尺高いところから物事を見れば、道は常に幾通りもある。」

「俺が気楽だからだろう。助けてやらねばどうにもならぬと思って奴等は集まって来るらしい」

「世の中の人は何とでも言え、我がなす事は我のみぞ知る。」

「死ぬときは、たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね。」

「世に生を得るは事を為すにあり。」

「人間は丸くて角があり、角があって丸いのが良い。」


4年生、まだまだ時間はある。
ラストスパート!



トップダウンでもない、ボトムアップでもない

2009年02月25日 23時59分52秒 | 過去ログ
今日は実習地訪問day.
2施設の実習施設に巡回指導に向かう。
順調のようで、何よりだ。

評価は標記の通りであり、
双方向に思考することが大切。

トップダウンのみならバイアスがかかるし、
何より経験がなければ、それも難しい。
学内実習の経験は、基本には意味があるが、
いわゆる臨床的といわれるものには、そう意味がない。

若き教員時代には、どんなに丁寧にやっても、
現場のPTには、その臨場感(三次元空間、そして、学生が感じる身体知覚)から敗北してしまうことを感じた。
それで良いのだと最近は思う。
教員はあくまでも基盤作りであり、
ある面、黒子に徹することで、
臨床PTのよさを感じさせることのほうがよい場合が多い。
目の色が変わるというのは、だいたい実習を終えてからだ。

一方、ボトムアップでも要素還元になってしまう。
バラバラで全体がつかめない。
学生のよく陥るパタンであるが、
基本操作を学ぶ面では意味がある。

いずれにしても、どっちかでもだめだし、
どっち優先でもだめだし、
それを双方向に学ぶことで、
経験が作られ、予測制御に向かうのだと思う。

「やってもないとわからない」「みてみないとわからない」「さわってみないとわからない」「うごいてみないとわからない」


生物の根源、それは情報を得るために動くこと。


はじめから決め付けずに、とにかく、進めてみること。

僕自身は、今もそうしているし、
勉強や執筆を始めるときもそうしている。

色々考えるが、結局はやりながら改変しているのである。
最初から決まったものはないし、
シミュレーションしてないわけでないが、しつくしたものでは決してない。

頭で考えず、からだで感じて考えるほうが「動物」らしい。

そんなことを実習訪問で考えた。

トップダウンでもボトムアップでもどちらでもない。
その関係性から現象・awarenessが起こるのかもしれない。

まるで脳のなかの双方向の神経信号の流れのように。
システムとして考えてもそれは大きくは間違っていないと思う。

双方向に流れて、どこかでスパイク(衝突)したところ、
それが創発現象となり、ときに、腑に落ちる偶然となるのだろう。
serendipityとなるには、偶然から幸運を得ることであり、
おそらくニューロンスパイクがどっかで同期化した瞬間であろう。





人生は上々だ

2009年02月24日 00時43分15秒 | 過去ログ
今日は昨日までの遠征で朝、「もう少し」寝かせてほしい、
と自分の声が聞こえた。
久しぶりに昨晩は金縛りに近いものを感じ、
自らの疲労をどっかで解消しないといけないと思った。
夢のなかでは断片的に悲しいことが起こり、
これもまた半年前の8月22日になくなった母の「警告」なのかもしれない。
「忙しすぎる」のをブレーキするために。

8時に大学に行き、
今日の国家試験対策のコピーをする。
今日で最後にした。
あとは体調を整え、自己管理のもと、
次の日曜日を迎えてほしい、と伝えた。
ラストスパート。
3月31日にラブレターをいただくように、
悔いないよう、この1週間をすごしてもらいたい。
専門はそれでもまだ10点は上がると思う。



その後は、本日締め切りの修士論文審査報告書を完全に仕上げ、
副査の先生方に最終のチェックにお願いにあがった。
すべての報告書を整え、金子研究科長に提出した。
これにて大学院生1期生のすべての仕事が終わった。
これからは2期生に真剣に向かい合いたい。
3月5日の大学院研究科委員会で晴れて「合格」となりうるだろう。


この確認作業などで終日とられ、
17時が過ぎ、MOOKの校正原稿を郵送し、
今日は「警告(ラフィンノーズの歌を思い出してしまうのは私だけ?)」を信じて、
17時代に帰ろうと思い、
家路を急いだ。
明るいうちにかえるというのも良いものだ。
この前、博多駅に18時ごろ着き、
その際、帰宅を急ぐサラリーマンを見て、
「働く男」とは、こういうものなのか、と日本人魂を見た。
「蘇る勤労」

今日は帰り、アカデミー賞を確認し、
「つみきのいえ」がとり、Great! と叫び、
先日福岡で少し時間が空いたので観た「アンジー」の映画が蘇り、
こころの繋がりとは何だ?!と考えた。
チェンジリングは身体の重さを感じる映画である。
ダンサーインザダークを観たときもそれを感じたが、
それよりはすがすがしい気持ちもわき起こる。
スラムドッグ$ミリオネアが輝いた背景には時代を感じる。
もう1度、人間は回帰していきそうだ。
文化からそれが垣間見ることができる。
音楽もそうだろう。


「おくりびと」がとったのは、
私の今年度の母親に対する「エンバーミング・死化粧」の体験が重なった。
日本人の概して語らず、にっぽん文化の真髄をみた。

死生観は万国共通の面(情動)と日本固有の面(感情)がある。




さて、今日のアフター5は遊んだ。
今度の なんばHatchのRED WARRIORSのライブのチケットをローソンチケット(ネット)とると、
Unicornのページへ。
すべてsold out
いやいや、恐れ入った。
彼らの復活テーマはおそらくこの時勢に対する何らかの意味であろう。
バブル全盛期に生き、「ヒゲとボイン」や「スターな男」を残したバンド。
バブルが終焉し、「すばらしき日々」を残したバンド。
その歌詞には当時の風刺が描かれている。
そして新しいアルバム「シャンブル(フランス語では部屋だったと思う?)」の作品の歌詞も今の風刺、そして彼らの今の気持ち(例えば「ひまわり」)」をが描かれている部分もある。
「不景気」な時勢。
たくましい日本を勤労からよみがえらしてほしい。
やはり、その鍵はわれわれ「アラフォー」なのか。
消費する術を知っている「アラフォー」。
文化までも支配するのは、ちょっと不安だ。
10代後半から20代前半の若者が本来文化を作らないといけないが。
安定志向、安全思考がそれを抑制しているようだ。
それがこのリハの業界にも見え隠れする。
安全はsafetyであり、安心はfreedom from care。
「freedom」に生き、文化を創り、消費をする。
もっと元気になってもらいたい。
その世代に。

さてさて、バービーも復活したことをMr Kozuruから聞いた。
ジュンスカもそうだ。

俺たちの世代は元気だ。
1989年の3月の写真を以前にのせた。
このときはPersonzのコピーバンド。



Unicornのアルバムや写真は、
deep purpleのburnやジミヘンのギターを燃やすシーンをパロディったり、
Clockwork Orange(スタンリー・キューブリック作)のロゴをパロディったり、
ブログは「お熱いのがお好き」をパロディっている。

まえとちっとも変わらず、遊び心いっぱいだ。



puffyなどの曲もビートルズのリフが多く出てくるなど、
「人生は楽しい」ということを心からそのやり方から感じる。
笑いが絶えないバンドだ。

人生は上々だ!

そういや~スタンリー・キューブリックといえば、
シャイニングで狂気を演じたジャック・ニコルソン。
この映画はひそかに、いや自分にとっては相当に恐怖を感じた記憶がある。
ホテルの廊下のシーンが蘇る。
The Bucket Listを観ていないのが、気になる・・・
ニコルソンといえばアカデミー賞の常連。
ジョーカー役の狂演も記憶にある。
今年度、ヒース・レジャーが助演をとったのもうれしい。
彼は昨年28歳で他界した。
28歳といえば、ジャニス・ジョップリンが27歳、マーク・ボランが29歳。
関係ないが、中岡慎太郎が29歳・・・
脳の記憶はまさに連想ゲームだ。
脳の可塑性、そして対話・会話による脳のミラクルは「あると思います」



久しぶりにベースを取り出し、
「ペケペケ」を弾き、
本棚からごぞごぞと楽譜(数少ない邦楽の譜面)を取り出し、
一通り弾いてみた。








+チャットモンチーの「last love letter」を耳コピした。
意外と鈍っていない。

18時に家に帰りつくと、1日が長い。
それを体感すると、これまた「happy」だ。
たまには、このような「空間」「時間」が必要だ。


もう1回、「人生は上々だ」

しかし、youtubeのunicornがことごとく著作権でなくなっている。
敏腕ストラテジーを感じる。
細かなプロデュースがさえている。
人生をプロデュースするという言葉を先日卒業パーティー用のビデオレターで贈った。

お~と、祝1周年! 今ではかけがえのない高知のフレンズ






平成20年度長崎大学理学療法学同門会卒後セミナー

2009年02月23日 12時44分35秒 | 過去ログ
平成20年度 長崎大学理学療法学同門会 卒後セミナー

日 時:平成21年3月7日(土) 14:00~17:00
場 所:長崎大学医学部保健学科(〒852-8520 長崎市坂本1-7-1)

テーマ:「理学療法と運動学習」

1.特別講演「運動学習を科学する」 14:00~15:30

  講 師:畿央大学大学院健康科学研究科   教授  森岡 周 

  司 会:長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 教授  沖田 実 


責任と覚悟

2009年02月22日 22時31分13秒 | 過去ログ
金曜日は昨今問題になっているボンバルディア機で福岡空港へ向かう。
高知に帰るときはほとんどがボンバルディアなのだが、
福岡までこの機材が中心になるということはコストパフォーマンスが相当によいのだろう。
高知での胴体着陸を目の前にした自分であるが、
事故に対する不安というというよりも、
機内持ち込みの荷物の収納スペースが限りなく狭いのがいやだ。
国際便でも機内持ち込みの自分にとって荷物を預ける行為自体が、
自分のスケジュールをくるわせる。
どうでもよいことにストイックなのである。

一旦、荷物を置き、
講義会場へ。
実習指導者である原病院の柿原先生に迎えにきていただいた。
同じく本学の実習指導者である原病院の安藤先生、朝倉健生病院の小鶴先生と挨拶し、
そのままRizzolattiらの運動制御モデル、SakataらのUnimodal & Multimodal Neuronの知見を利用して「姿勢図式」「身体図式」の講義を行う。
柿原先生の視線が真剣であり、
責任というものが男の肩に乗ってきたのだと思い、感心した。
福岡リハビリテーション病院の平川先生のプレゼンは聞いていて安定感があった。
うちの福本先生と九州リハ大の同期らしい。
彼はクレバーな男だ。

10時より小鶴先生と中洲の鉄なべ餃子発祥の店でのみ、
大人な会話をした。

翌日は院生と今後の研究の打ち合わせをして、
またもや中洲で飲んだ。

そして、今日一路「西宮(平成リハビリ専門学校)」まで向かう。
今年度は兵庫県理学療法士会によくよばれる。
「失行」「失認」の病態を知るための神経科学と、
評価、そして治療介入仮説を述べた。

いずれにしても、時代はどんどん進んでいる。
このスピードにセラピストもついていくかだ(自分も含めて)。
行為・行動・運動(現象)から脳をモニタリングする。
その術を身につけるためには、それ相応の覚悟と知識と経験がいる。
身体も脳(神経)も心もすべて双方向に理解する。
この難解な学問、それが人間科学であり、
人間復権を意味する「リハビリテーション」の科学だと思う。
PTもOTもSTも相当に深い学問なのである。
3~4年なんかでマスターできるものではない。

ロードは静かに終わり、久しぶりに奈良に帰ってきたようだ。
いくらでも寝れてしまう。

メールのたまり方がジンジョウじゃないが、
なんとか、月・火で読みたい。



進化し続けるスピード

2009年02月20日 01時30分35秒 | 過去ログ
今朝、近鉄名古屋駅を出発して、
大学まで帰る。
毎回思うのだが、名張をすぎて桜井までの日本の原風景に心休まる。
ド田舎なのだが、その田園風景は日本人の心をくすぐる。
そのようなことを思うと、
前日の講演は深く短く反省し、
明日に向かって前向きにと、脳がチェンジする。

石田先生や野々垣先生から温かいメールをいただき、
ボディーイメージについて興味を持ってもらえたようだ。
意外と、臨床的な話が自分は多いのである。
神経科学を推し進めた講演ではないので、
臨床家には受けが良いが、基礎研究者には解釈や比喩が多く入り、
本質的な細胞レベルの根拠に乏しさを感じられてしまうのであろう。
一長一短あるが、長所を伸ばし、短所を改善する。
この両方を用いて、さらに細分化していきたい。

13時より大学院の会議。
来年度からは大学院のweb授業が全面的にテレビ会議システムを利用することになる。
毎年システムが変わり機械についていくのが教員陣は大変なのだが、
変わるということは進歩していることであり、
喜ばしいことでもある。
次年度はインターネット授業でも顔を拝見しながら進めることができる。
プレゼンテーションも名古屋でも岐阜でも、香川でも、
九州でも北海道でも、
フランス・イタリアでも行うことができそうだ。


14時半より理学療法学科会議。
16時20分より教授会。
今日は案件が多く、相当長かった。

19時より院生の熊谷さん、
そして共同研究者の奈良リハの平澤さんに来てもらい、事務的作業を済ました。
いつもありがとう。

その作業をしているときに、
なんと、院生の論文審査報告書、最終試験報告書の締め切りが来週の月曜日だと発覚し、急ぎ書類を書き、整えた。
その作業がこの時間までかかってしまった。
12名の報告書を書くのはいや~~大変だった。


河野 正志:道具の観察における上肢の位置が運動イメージに及ぼす影響
高濱  宏:高齢者における固有感覚を基にした上肢の知覚学習に関する研究
松下真一郎:自閉症スペクトラムにおける聴覚的リズムの視覚的情報処理とその特徴
信迫 悟志:視線方向認知の脳内機構とその課題の臨床効果に関する研究
川崎  翼:身体位置関係の認識と立位姿勢バランス能力の関連性
前井 千早:介護老人保健施設における認知症ケアの現状と今後の課題
大植 賢治:運動の認識における身体内部および外部への能動的注意が脳活動に及ぼす影響
谷口  博:プリズム順応課題の脳活動と治療効果
中野 英樹:立位姿勢制御に効果的に作用する足底の知覚学習に関する研究
藤田 浩之:足底知覚学習課題が後期高齢者の立位姿勢バランスに及ぼす効果
藤本 昌央:運動イメージの鮮明化に影響する言語の分析
林部 美紀:動作観察時の作業療法士と作業療法学生の視点の相違




先ほど、日曜の資料を遅れながら兵庫県理学療法士会の表先生に送った。
久しぶりに高次脳機能障害を整理すると新鮮だった。


社団法人兵庫県理学療法士会阪神南尼崎ブロック講演会

2009年02月20日 01時09分00秒 | 過去ログ
社団法人兵庫県理学療法士会阪神南尼崎ブロック講演会 講演

日 時  平成21年2月22日(日) 14:00~16:00
会 場  平成リハビリテーション専門学校 
     〒663-8231 兵庫県西宮市津門西口町2-26
     TEL:0798-38-1288
内 容  「高次脳機能障害に対するリハビリテーション」
講 師  森岡 周(畿央大学)

               

朝倉健生病院・原病院合同研修会

2009年02月20日 01時07分18秒 | 過去ログ
朝倉健生病院・原病院合同研修会
(共催:福岡県認知運動療法研究会)

日時
平成21年2月20日(金)19:00~

19:10~20:00 講演:ヒトの身体図式の脳内再現‐前頭‐頭頂ネットワークに基づいた治療仮説‐
            畿央大学 森岡 周

20:15~21:00 福岡県認知運動療法研究会・症例検討

場所 原病院(福岡県大野城市白木原5丁目1番15号)
   (畿央大学臨床実習施設)


浮き沈みな人生

2009年02月19日 07時37分30秒 | 過去ログ
昨日は大学で大学院の修士論文審査要旨をいくつか書き、
合間に高次脳機能障害に関連した研究論文の調査を行う。
14時に大学を出て、一路、名古屋へ。
近鉄特急で1時間半、名古屋に到着する。
18時半より名古屋大学で講演。
ライフトピア連携研究会というものであるが、
いつもは40名ぐらいでやられているアットホームなものが、
今回は300名弱のようで、
興味を感じた。

しかし、私の講演はというと、
今年度のワーストに近い内容になってしまい
反省する。
毎年、何回かくる、このようなときが。

これは私の中の感覚であり、
「準備不足」「情報過多」になり、
前半から後半にかけての流れが途絶えてしまった。
1時間の間に端的に話すことも大切である。
研修会なので長い講演を引き受けているとついつい余談や一枚のスライドでの話が長くなり、スライドそっちのけで話すのが得意になってしまった。
スライドを指し示し、それを端的に説明するといった、
サイエンス手法を再度認識し、自分のものにしないといけないと思った。

一方で、今回お招きいただいた名古屋大学の石田先生、
そして目の前にすわられた鈴木先生、内山先生、河上先生は、
20代の半ばの私からご存知な方々ばかりなので、
その視線は恩師に近いものもあり、
いろんなことが意識にのぼり、
しゃべる内容がぶれたのも事実なのかもしれない。
密かな緊張感があった。


終了後、名古屋大学の院生たちと懇親。
いろんな熱意が伝わってきて、
研究がうまく進行することを祈った。


今日は今から大学に帰り、
会議の3つ出る予定である。


プロとして反省する日であった。
安定感がほしい。