◇知ることについて◇
知りたいという欲求は、私という存在を支える深い衝動の一つであり、私たちはしばしばその衝動に翻弄されるため、注意しなければなりません。
最初は「知りたい」という単純な衝動だったものが、いつの間にか、「知らなければならない」や「知る必要がある」という考えを掴むようになり、果ては「私はこれだけのことを知っている」という考えを掴むようになります。
こうなると大変です。
知ることや、知っていることに過剰な価値を置かないでください。
知っていることと知らないことの間に本質的な違いはありません。
知っていることも知らないことも考えですから、両者は考えの違いだけなのです。
知っている人と、知らない人との違いは、その人が選択している考えの違いだけなのです。
要するに、どっちでもいいのです。
仮にあなたが、この世のことを詳細に知り得たとしましょう。
しかし、そうやってこの世の詳細を知ったとしてそれが何になるのでしょう。
それを知っても何にもなりません。
そこには、この世の詳細を知ったというあなたが選択した考えがあるだけです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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知っていることと知らないことの間に本質的な違いはありません。
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知っている人と、知らない人との違いは、その人が選択している考えの違いだけなのです。
要するに、どっちでもいいのです。
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