私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

解脱と慢

2017年07月01日 21時41分19秒 | 悟り
◇解脱と慢◇

以前、煩悩の慢について考えたことがありまして、そのことを文章に書いてみようと思います。

人に備わる種々の衝動について、それらを煩悩として捉える考え方があります。
その煩悩の中で、最後まで残るのが慢と言われているようです。
しかし、その慢も解脱の悟りに至ると落ちる訳なのです。
それはどうしてかということを考えた訳です。

その前に、どうして慢が最後まで落ちないのか、その理由を私なりに書いてみます。
大悟では、囚われが薄くなるのに伴って、観るものは観られるものを実感するようになります。
そして、さらに悟りが進むと、私とは意識の連鎖であり、意識そのものであるということを理解するようになります。
しかし、それでも慢は落ちないのです。
その理由は、自らの得た悟りをまだしっかりと掴んでいるからなのです。
自分は到達した、自分は知っているという慢が落ちないのです。

ではどうして、その慢が解脱の悟りに至るのに伴って落ちるのでしょう。
それは、一切皆苦の理解が起こる、あるいはそれが腑に落ちるからなのです。
何もかもが苦であり、私という存在そのもの、この世界そのものが苦である訳ですから、誇るものなど何もなくなる訳です。
慢も落ちるという訳です。


もっともったいぶって書きたかったのに、何だか小話のような軽い感じになってしまいました。(^o^)


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (19)
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