◇意識に関する考察(2)ー自己認識と観照意識ー◇
前回の記事「意識に関する考察(1)ー自己認識についてー」の続きです。
また少しわかったことがありましたので、書いておきたいと思います。
前回の記事では、私という意識の本質的要素に自己認識があり、これは何かを認識するという現象に一体となっていると書きました。
つまり、認識という現象には、例えば視覚を通してPC画面を認識したとき、認識の内容に関する要素(PC画面に関する認識)と、その認識自体を認識する自己認識とが一体に含まれていると書きました。
今日は土砂降りの雨が降って農作業が出来ないので、その周辺のことについて考えていました。
具体的には、自己認識を主客の観点からどう捉えればいいのかについて考えていました。
その中で、自己認識とは何だろうと改めて考えていたとき、閃きました。
自己認識とは、観照意識なんだということがわかりました。
これは私にとって余りにも当たり前なことなのですが、どういう訳か今までこの二つが繋がっていませんでした。
自己認識と主客の問題については、もう少し整理して記事に書きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
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コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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また少しわかったことがありましたので、書いておきたいと思います。
前回の記事では、私という意識の本質的要素に自己認識があり、これは何かを認識するという現象に一体となっていると書きました。
つまり、認識という現象には、例えば視覚を通してPC画面を認識したとき、認識の内容に関する要素(PC画面に関する認識)と、その認識自体を認識する自己認識とが一体に含まれていると書きました。
今日は土砂降りの雨が降って農作業が出来ないので、その周辺のことについて考えていました。
具体的には、自己認識を主客の観点からどう捉えればいいのかについて考えていました。
その中で、自己認識とは何だろうと改めて考えていたとき、閃きました。
自己認識とは、観照意識なんだということがわかりました。
これは私にとって余りにも当たり前なことなのですが、どういう訳か今までこの二つが繋がっていませんでした。
自己認識と主客の問題については、もう少し整理して記事に書きたいと思います。
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