私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

夢、現実、転生

2024年01月07日 10時26分41秒 | エッセイ
◇夢、現実、転生◇


首記のテーマについて、とりとめのない文章を書いてみようと思います。
おそらく、上手くまとまらず、何が言いたいのかわかりにくい内容になりそうですが、取り敢えず書いてみます。

最近、自分の夢を観察していてよく思うことがあります。
それは、夢の中の私の人格特性における表面的な部分は夢によって多少の変化がありますが(行動的だったり、人前に出ていくタイプだったり、その反対だったり等)、コアの部分はどの夢の中でも同じだし、この現実世界の私とも同じだということです。
基本的にお人好しで、真面目なんです。
でも、芯の部分はこうだという譲れない部分がしっかりあって、そこはとても骨っぽいんです。

ここで一つ思ったことありまして。
それは、私の人格特性のコアの部分は、現実と夢だけではなく、転生に関しても継続していくのではないかと思ったのです。
但し、そのコアの部分も経験や精神の成長に伴って少しずつ変化していくのではないかと。

さらに話を続けます。
それと私は、身体が無く、存在だけ(魂だけ?)になっている夢をちょくちょく見るんです。
存在だけになっているときは、空間にポツンの自分の視点というか意識があって、そこからうつろ気な意識で世界を観ているのです。
それでも、思考もある程度は働いていて、観たものについてああだこうだと考えたり、空間中で自分の位置を移動させたりできるのです。
この存在だけのときも、人格のようなものがあるようなのです。

それで、少しピンと来たのです。
夢の中で身体が無く存在だけになっているときは、人格特性についてはコアの部分だけになっているのではないか思ったのです。

但し、存在だけになっているときは、身体があるときと比べて、自分に関する意識や感覚がかなりぼんやりとしていて薄いのです。
この現実世界の自分のような明確かつ詳細な記憶等も無いのです。
夢の中で、存在だけになっている状態から、その近くに居た人(知らない中年男性)の身体に入って同化した状態になり、さらにその身体の外に出て存在だけの状態に戻ったことがあるのですが、身体に入って同化しているときはハッキリと自分に関する意識や感覚があるのですが、存在だけになるとそれらが急に希薄になるのです。
記憶等に関しても、存在だけのときはハッキリとした記憶のようなものが無いのに、身体に入った瞬間、その身体に基づく記憶がハッキリとあるようなり、身体から出ると直ぐにその記憶が無くなるのです。

何が言いたいのかと言いますと、私という存在には、身体がある状態と、身体が無い状態とがありそうなのです。
少なくとも、夢の中ではそのようです。
死後の世界はどうなんでしょうね。
おそらく、死後の世界も夢の世界の延長線みたいなものなのではないかとは思いますが、こればかりは死んでみないとわかりませんw

この関連については、また角度を変えて書いてみたいと考えています。
意識の発生、涅槃や解脱も含めて考えると謎が深まるばかりですが、私たちが全く触れられないということはなく、ある程度は触れる余地もあり、知り得る部分もあると考えています。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (2)
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