◇夢の中の他者は他者か?◇
つい先日、夢と現実の違いについて少しわかったことがりますので、メモ的に書いておきたいと思います。
きっかけは、ある方から、その方の夢の中に私が登場してこんなことを言っていたという話を聞いたときに起こった理解からでした。
どういう理解かと言うと、
その方の夢の中に登場した私と、この私とは別ものであり、それは私ではないという理解でした。
当たり前のことではあるのですが、そのことに改めて納得したというか、はっきり理解したのです。
少し解説しますと、この現実世界の私にはしっかりと私の中心というか、何かコアのようなものというかが宿っていて、私だという実感があり、それで間違いがないのですが、
その方の夢の中に登場した私については、私の中心はおろかその欠片さえも含まれていないのです。
つまり、それは私ではないのです。
念のために、そもそものところについて書いておきますと、私自身が存在するのかどうかわからないのに、他者が存在するのかどうかなんてわかりっこないのです。
絶対にわからないのです。
ここのところをハッキリとさせておいた上で、話を進めていきたいと思います。
根本的なところでは、私や他者が存在するのか否かはわからないことですが、ここでは、私も他者も存在するとして考えた方が妥当だろうというところで話を進めていきたいと思います。
夢も現実も含めて、世界は私という存在そのものであり、意識として捉えることができます。
そして、この現実世界では、無数の存在たちの意識が重なり合い融合するような状態で存在しているのだろうと、私は考えています。
Aさん、Bさん、Cさん、・・・・たちの意識が、それぞれの身体に意識の中心を置きながら互いに重なり合い融合するような状態で存在していると、私は考えています。
つまり、この現実世界では、AさんにはAさんの意識の中心が宿っていて、BさんにはBさんの意識の中心が宿っていると考えています。
ところが、夢の世界では状況が大分異なるようなのです。
これを、Aさんの夢の中にBさんが登場した場合について説明します。
この現実世界と違って夢の世界では、おそらく、Aさんの夢はAさんの意識のみによって構成されたものであり、Bさんの夢はBさんの意識のみによって構成されたものであり、現実世界のような意識の重ね合わせのような現象が起こらないのです。
ですから、Aさんの夢にBさんが登場していても、その夢の中のBさんんは現実世界のBさんの意識の中心は宿っておらず、夢の中のBさんは現実世界のBさんとは別物なのです。
まとめると、 この現実世界は無数の存在たちの意識が重なり合わされて構成されているようであるのだけど、夢の世界は基本的にその夢を見ている存在だけの意識によって構成されているようなのです。
つまり、この現実世界には他者は他者として存在しているようなのだけど、夢の中の他者は他者ではなくその存在自身の意識により構成されているものであるようなのです。
この理解に連鎖して、次のようなこともわかったというか、考えましたので書いておきたいと思います。
一つ目は、睡眠という意識状態というか、世界がなぜあるのかについてです。
この現実世界に意識の中心を置いているときは(この現実世界を生きているときは)、基本的に睡眠という意識状態が必須となっているようだということがわかりました。
なぜ睡眠が必要なのかは、おそらく、この現実世界が意識の集中や消耗が大きいため、ずっと覚醒しているというのは困難なのだろうと考えています。
そのため、夢の世界は、比較的ガチっと構成された現実世界に対して、曖昧であり、いろいろと出鱈目なところあったり、断片的かつ移ろで不安定なものになるのだろうと考えています。
二つ目は、意識の中心がこの現実世界にないときは(生まれる前や死後の世界は)、世界はどうなっているのかということです。
おそらく、その世界は、この現実世界と夢の世界の中間的な世界なのだろうと考えています。
そのため、その世界では、およらく基本的に睡眠は不要であり、この現実世界程のガチっと感もなく、それなりに朧気で世界となっているのだろうと考えています。
他者の存在も、夢の世界と違って他者は存在しているだけど、この現実世界程には他者として意識されることなく存在しているのではないかと考えています。
ここまで書いてなんですが、だからどうなの、と自分でツッコミたくなるような内容ですね^^;
せっかく書いたのでアップします。
また何かわかったら記事します。