◇自覚と内観の違いについて◇
誤解しておられる方が多いのではないかと思ったので、自覚と内観の違いについて改めて書いておこうと思います。
自覚と内観とは、起こってくる考え(現象を含めて)を観るという点では共通しています。
しかし、両者は決定的に違っています。
何が違うのかと言いますと、自覚の肝は、「私」に意識を向けることなのです。
考えを観ることは補助的なものなのです。
「私」に意識を向けさえすれば、考えを観なくとも、自覚になるんです。
ですから、自覚をやられる際には、起きてきた考えをただ観るのではなく、まず、「私」に意識を向けた状態をつくっていただきたいのです。
その上で、起こってきた現象や、感情や思考等の考えに対する自覚をやって頂きたいと思います。
まずは、「私」に意識を向ける、これが基本であり、自覚の最大のコツにもなります。
繰り返しますが、まずは、「私」に意識を向けた状態をつくる、これが基本です。
その状態を保ちつつ、起こってきた考えについて自覚をやっていくのですが、そのときもちょっとしたコツがあります。
現象でも、感情でも、思考でも、行為でも、何か考えが起こってきたときに、『私』、あるいは『私が』という主語が入った自覚のフレーズを心の中で唱えながら、その起こってきた考えに対する自覚をやって頂きたいのです。
具体的には、
「『私』がこれをやっているんだ」とか、
「『私』がそう考えているんだ」とか、
「これは『私』の考えなんだ」等の
主語である『私』が入った自覚のフレーズを唱えながら、逐一、徹底的に、かつ丁寧に自覚をやって頂きたいのです。
そうやって、『私』という主語が入った自覚のフレーズを心の中で唱えることで、自ずと、私(自分)に意識が向くようになり、考えに対する主体性(主導権)が養われていきます。
それとともに、自覚も深まっていきます。
そして、自覚が深まってくると、そう言った自覚のフレーズを唱える必要もなくなっていきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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誤解しておられる方が多いのではないかと思ったので、自覚と内観の違いについて改めて書いておこうと思います。
自覚と内観とは、起こってくる考え(現象を含めて)を観るという点では共通しています。
しかし、両者は決定的に違っています。
何が違うのかと言いますと、自覚の肝は、「私」に意識を向けることなのです。
考えを観ることは補助的なものなのです。
「私」に意識を向けさえすれば、考えを観なくとも、自覚になるんです。
ですから、自覚をやられる際には、起きてきた考えをただ観るのではなく、まず、「私」に意識を向けた状態をつくっていただきたいのです。
その上で、起こってきた現象や、感情や思考等の考えに対する自覚をやって頂きたいと思います。
まずは、「私」に意識を向ける、これが基本であり、自覚の最大のコツにもなります。
繰り返しますが、まずは、「私」に意識を向けた状態をつくる、これが基本です。
その状態を保ちつつ、起こってきた考えについて自覚をやっていくのですが、そのときもちょっとしたコツがあります。
現象でも、感情でも、思考でも、行為でも、何か考えが起こってきたときに、『私』、あるいは『私が』という主語が入った自覚のフレーズを心の中で唱えながら、その起こってきた考えに対する自覚をやって頂きたいのです。
具体的には、
「『私』がこれをやっているんだ」とか、
「『私』がそう考えているんだ」とか、
「これは『私』の考えなんだ」等の
主語である『私』が入った自覚のフレーズを唱えながら、逐一、徹底的に、かつ丁寧に自覚をやって頂きたいのです。
そうやって、『私』という主語が入った自覚のフレーズを心の中で唱えることで、自ずと、私(自分)に意識が向くようになり、考えに対する主体性(主導権)が養われていきます。
それとともに、自覚も深まっていきます。
そして、自覚が深まってくると、そう言った自覚のフレーズを唱える必要もなくなっていきます。
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読んで頂いてありがとうございました。
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まだ私は内観にこだわっていたようでした。
まず私を意識すること。
これなら仕事中でもできるかもしれません。
やってみます。
浮かぶ思考はずいぶん減ってきています。
感情が沸き起こることも減り、起こってもすぐに消えてしまいます。
みるものはみられるものがわかる気がします。
何か動作をしているとき、たとえば歩いているときなどに
「私が歩いている」と自覚することをつい忘れてしまうことがあります。
これも、しっかり自覚したほうが良いですね?
はい、ぜひやってみて頂きたいと思います。
>何か動作をしているとき、たとえば歩いているときなどに
>「私が歩いている」と自覚することをつい忘れてしまうことがあります。
>これも、しっかり自覚したほうが良いですね?
いえ、kayoさんの場合はもう、「私が歩いている」等の自覚は特に必要ないだろうと思います。
それよりも、シンプルに「私」に意識を集中した状態を維持されるといいと思います。
そうしていると、何か感情や思考が起こってきたときに、その感情等を引き起こしている囚われに気づきやすくなります。
「観るものは観られるもの」は、余り気にしないでください。
それが終わりではありませんので。
いまは、「私」に意識をしっかりと向ける力を養われた方がいいと思います。
後々で必ず役に立ちます。
よかったです。
動作時に「あーまた、忘れてたー」って思っていたので(笑)
私と、そこに起こる感情や思考にできる限りず-っと意識を向けるようにします。
ありがとうございます。