私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

ツイート記事(20250317~)

2025年03月19日 10時20分32秒 | その他

◇ツイート記事(20250317~)◇

 

<3月17日>

◇今年は本格的な変化が始まるのか

2025年について、一部世間では大災害や、世界戦争、金融崩壊、疫病など、いろいろ噂されていますね。

個人的には、世界戦争や疫病の蔓延はないだろうとは思いますが、今後の世界の展開を観る上で、今年は重要な年になるのではないかと考えています。

 

明確な変化の例をいくつか列挙すると。

民衆の意識の変化ですね。

これまで流されるままされるがままだった民衆が、少しずつですが、気づき始めています。

例えば、国や行政、政治のやってきたことのでたらめさですね。

 

それと、世界経済のことですね。

金を刷りってばらまきまくったり、再生可能エネルギー関連事業の流れを無理やり起こしてみたり、流行り病関連事業や戦争関連事業で金を回したりと、無理くりにここまで経済を持たせてきました。

しかし、インフレが起こり始めたことで、それもそろそろ限界になってきています。

そこに今、トランプによる関税の大幅アップや、米国内外の金の流れの変更(USAIDなど)など、急激な外乱が加わろうとしています。

今年中に、世界経済の様子が目に見える形で変化するのではないかと考えています。

例えば、世界的な株価の暴落や、金融危機が起こる可能性が高いと考えています。

但し、まだ世界経済が崩壊するところまでは行かないだろうと考えています。

崩壊はまだ先だろうと考えています。

 

さらには、食料の問題ですね。

食料危機は世界経済の崩壊とリンクしていて、いずれ必ず来ると考えているのですが、

ひょっとすると今年中に、ちょっとした食料危機のような騒動が世界のあちこちで起こる可能性があると考えています。

 

食の問題は、そもそも我々人間にとって基本であり、一番大切なものなのです。

しかし、我々人間は、文明の発展と共に食を疎かにしてきました。

そのような何千年と続けてきた我々の活動がそろそろ限界を迎えているのだろうと、私は観ています。

一番大切な食を疎かにしてしまった我々の活動は、いずれ行き詰まり、破綻するだろうと。

その局面で、大規模な食糧危機が必ず起こるだろうと。

 

<3月19日>

◇広島・長崎の原爆の件

この件については、昔からいろいろ言われているようで、私も二十代の頃から原爆に関する懐疑的な情報を耳にしたことがありました。

しかし、つい最近までは、多くの方々と同じようにあれは原爆だったのだろう考えていました。

 

この件について、よくまとまった動画を観ましたので、貼っておきます。

① 【圧倒的】今までで一番ヤバイ内容です

② 【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第39回「ウォール街ともディールするトランプ、一方日本はグローバリスト特区に?」[桜R7/3/15]

 

この動画を観て、広島・長崎の件について過去にあちこちから耳にしてきた情報のピースが組み合わされ、概要や背景が大分すっきりと理解できました。

 

 
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッション、10時間個人セッション等のご案内は、こちらです。
 
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youtubeライブのご案内とご報告20250316

2025年03月17日 09時05分45秒 | その他

◇youtubeライブのご案内20250316◇

 

今月もyoutubeライブやります。

引き続き月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。

5回目のライブを以下の要領で行います。

どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)

 

 〇配信日時   2025年3月16日20時開始、21時頃終了予定

 〇配信方法   音声だけのライブ配信です

         無料です(どなたでもご視聴いただけます)

         チャットとコメント欄をオープンにします

 〇話す内容   悟りから世間話まで何でも話していきます

         基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っています

         ご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでください

         それらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です

 〇配信サイト  下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください

         慧空チャンネルライブサイト

 

<3月16日ライブの内容予定>

自覚の実践について、できるだけ具体的かつ詳細にお伝えしたいと考えています。

内容は、予定通り、自覚の実践における行為の自覚、考えの自覚等についてお話します。

 

<16日ライブのご報告など>

16日のライブでは、予定通り、行為の自覚、考えの自覚を中心に、自覚の実践についてお話ししました。

5人くらいの方にご視聴いただきました。

ありがとうございました。

 

次回の4月のライブでは、自覚と悟りの階梯というテーマでお話ししたいと考えています。

 

 

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人生を賭けているか

2025年03月14日 09時33分16秒 | 生きるヒント

◇人生を賭けているか◇

 

誰しも皆、一度切りの人生を生きています。

しかし、その人生の場面、場面は刻々と移り過ぎていき、ともすれば流されてしまいます。

 

「自分は、人生を賭けているのか」

 

人生の時どきに、この問いを自分自身に投げかけてみていただきたいと思います。

 

 

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自覚の手応えは腑に落ちるまで

2025年03月10日 10時28分10秒 | 自覚ワーク等の紹介

◇自覚の手応えは腑に落ちるまで◇

 

ここ何週間か、自覚や私を捉えることの手掛かりについて、何かよいヒントになるものはないかと考えていました。

この点について、やっと今の私なりの結論に到達しましたので、書いておきたいと思います。

 

自覚とは、最も単純化して言えば、私に意識を向けることでです。

しかし、その肝心かなめの私は、あるとも無いとも言えない捉えどころのないものです。

ですから、そもそもところ、私に意識を向けることも、私を捉えることも、とてもやり難く、困難なことなのです。

そこを敢えて取り組んでいこうとするのが、自覚なのです。

 

ですから、自覚の行程は、ああでもない、こうでもないという手探り、試行錯誤の連続となります。

自分の感覚だけが頼りです。

 

しかし、そのような暗中模索の行程にも、時折、確かな手応えを得られるときがあるのです。

例えば、「私がこれをやっているんだ!」とか、「私が考えに囚われていたんだ!」とか、「私がそう考えていたんだ!」ということに、ハッキリと気づいたり、それが腑に落ちるときがあるのです。

これは自覚を続けていれば、必ずあるのです。

どうか、その手応えが得られるまで続けていただきたいと思うのです。

 

 

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夢の中の他者は他者か?

2025年03月03日 17時14分34秒 | エッセイ

◇夢の中の他者は他者か?◇

 

つい先日、夢と現実の違いについて少しわかったことがりますので、メモ的に書いておきたいと思います。

 

きっかけは、ある方から、その方の夢の中に私が登場してこんなことを言っていたという話を聞いたときに起こった理解からでした。

どういう理解かと言うと、

その方の夢の中に登場した私と、この私とは別ものであり、それは私ではないという理解でした。

当たり前のことではあるのですが、そのことに改めて納得したというか、はっきり理解したのです。

少し解説しますと、この現実世界の私にはしっかりと私の中心というか、何かコアのようなものというかが宿っていて、私だという実感があり、それで間違いがないのですが、

その方の夢の中に登場した私については、私の中心はおろかその欠片さえも含まれていないのです。

つまり、それは私ではないのです。

 

念のために、そもそものところについて書いておきますと、私自身が存在するのかどうかわからないのに、他者が存在するのかどうかなんてわかりっこないのです。

絶対にわからないのです。

ここのところをハッキリとさせておいた上で、話を進めていきたいと思います。

根本的なところでは、私や他者が存在するのか否かはわからないことですが、ここでは、私も他者も存在するとして考えた方が妥当だろうというところで話を進めていきたいと思います。

 

夢も現実も含めて、世界は私という存在そのものであり、意識として捉えることができます。

そして、この現実世界では、無数の存在たちの意識が重なり合い融合するような状態で存在しているのだろうと、私は考えています。

Aさん、Bさん、Cさん、・・・・たちの意識が、それぞれの身体に意識の中心を置きながら互いに重なり合い融合するような状態で存在していると、私は考えています。

つまり、この現実世界では、AさんにはAさんの意識の中心が宿っていて、BさんにはBさんの意識の中心が宿っていると考えています。

 

ところが、夢の世界では状況が大分異なるようなのです。

これを、Aさんの夢の中にBさんが登場した場合について説明します。

この現実世界と違って夢の世界では、おそらく、Aさんの夢はAさんの意識のみによって構成されたものであり、Bさんの夢はBさんの意識のみによって構成されたものであり、現実世界のような意識の重ね合わせのような現象が起こらないのです。

ですから、Aさんの夢にBさんが登場していても、その夢の中のBさんんは現実世界のBさんの意識の中心は宿っておらず、夢の中のBさんは現実世界のBさんとは別物なのです。

 

まとめると、 この現実世界は無数の存在たちの意識が重なり合わされて構成されているようであるのだけど、夢の世界は基本的にその夢を見ている存在だけの意識によって構成されているようなのです。

つまり、この現実世界には他者は他者として存在しているようなのだけど、夢の中の他者は他者ではなくその存在自身の意識により構成されているものであるようなのです。

 

この理解に連鎖して、次のようなこともわかったというか、考えましたので書いておきたいと思います。

一つ目は、睡眠という意識状態というか、世界がなぜあるのかについてです。

この現実世界に意識の中心を置いているときは(この現実世界を生きているときは)、基本的に睡眠という意識状態が必須となっているようだということがわかりました。

なぜ睡眠が必要なのかは、おそらく、この現実世界が意識の集中や消耗が大きいため、ずっと覚醒しているというのは困難なのだろうと考えています。

そのため、夢の世界は、比較的ガチっと構成された現実世界に対して、曖昧であり、いろいろと出鱈目なところあったり、断片的かつ移ろで不安定なものになるのだろうと考えています。

 

二つ目は、意識の中心がこの現実世界にないときは(生まれる前や死後の世界は)、世界はどうなっているのかということです。

おそらく、その世界は、この現実世界と夢の世界の中間的な世界なのだろうと考えています。

そのため、その世界では、およらく基本的に睡眠は不要であり、この現実世界程のガチっと感もなく、それなりに朧気で世界となっているのだろうと考えています。

他者の存在も、夢の世界と違って他者は存在しているだけど、この現実世界程には他者として意識されることなく存在しているのではないかと考えています。

 

ここまで書いてなんですが、だからどうなの、と自分でツッコミたくなるような内容ですね^^;

せっかく書いたのでアップします。

また何かわかったら記事します。

 

 
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ツイート記事(20250202~)

2025年02月25日 08時53分48秒 | その他

◇ツイート記事(20250202~)◇

 

<2月2日>

◇10時間個人セッション始めました

以前、このブログの読者の方から、悟るまで徹底的に対応します等、もっとじっくり対応するようなセッションがあってもいいのではないかとのご提案をいただきました。

これまで、依存関係を避けるため、セッション等も含めて、読者の方と余り密にやり取りすることを避けてきました。

しかし、いろいろ考えた結果、確かにもっとじっくり対応するというやり方もあってもいいという考えに至りました。

 

そこで、悟るまで対応しますというのは、現実的に無理がありますので、

まずは10時間でやってみようと考えました。

ご興味のおありの方は、どうぞご検討ください。

案内は、この記事をご参照ください。

 

<2月14日>

◇一匹目のイナゴ

私は何年も前から世界経済の崩壊について言っているのですが、私は社会の枠から外れた人間ですから、そういうことも見通せるし、平気で言ってしまいます。

今朝、ネット記事で、おやっと思うようなポジションの人物がそのような発信をしているのを見つけたので、メモしておこうと思います。

市中にいる一匹目のイナゴを見つけたかもしれないと思います。

ちなみに、「一匹目のイナゴ」というのは私の造語ですw

 

その人物の発信のリンクを貼っておきます。

バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

この方は慶応大学経済学部の教授(小幡 績氏)だとのことです。

慶応と言えば、本来はその筋の方である筈なのですが、なんでこんな発信をするのか少々疑問ですが、そこは取り敢えず置いておくことにします。

記事が消されるかも知れないので、全文コピーもしておきましょうかね(一応w)。

 

ーーーコピペ記事(ここから)ーーー

バブルは崩壊し資本主義が終わりこの世が終わる

配信ー東洋経済オンラインー

 
トランプ大統領の就任式で顔をそろえた、テスラのイーロン・マスクCEO(右)ほか、ビッグテックの面々(写真:ブルームバーグ)
 

 

ーーー(ここまで)ーーー

 

◇私を捉える

私のこの悟りのヒントを伝えるという活動について、ここ数日、とても反省していることがありまして、

それは、私を捉えることについて、簡単に説明するだけで済ませてきたことです。

私を捉えることは、自覚の基本中の基本であり要なのですが、そこが自覚の一番難しいところで、

多くの方々が苦労するところなのです。

私を捉えるときの要領やヒントなどについて、もっと丁寧、ねちっこく、何度も何度も伝える努力をした方がよかったなぁ、と思っています。

今となってしまいましたが、ブログ記事や、youtubeライブ等を使って徹底的にお伝えしたと考えています。

 

<2月22日>

◇私を捉えることの難しさ

私を捉えることをどうやったら他の人に伝えることができるのか、繰り返し考えています。

明日のyoutubeライブではそこをお話しする予定ですし。

それで、私を捉えること、それを伝えることの難しさを改めて実感しております。

やはり、悟りの道に特効薬のようなものはないのです。

伝えるにも実践するにも、泥臭く繰り返し粘り強く取り組んでいくしかないのだと思います。

 

<2月25日>

◇麻疹に過剰反応

私はここで、民衆が急速に幼稚化しており、それによりいずれパニック的な行動を起こすと言い続けておりますが、

それを裏付けるような報道を目にしましたので、メモしておきます。

その報道は、麻疹患者の発生に関するもので、外国から帰国した女性が麻疹を発症し、電車等を利用していたことがわかったので注意を呼び掛ける報道でした。

リンクも貼っておきますね。

春日井の20代女性はしかに感染 愛知県が注意呼びかけ|NHK 東海のニュース

 

いよいよ、麻疹で騒ぎ出すようになってきたようです。

日本でこういう状況ですから、他の国ならもっと酷いでしょう。

民衆がイナゴと化す日は、そう遠くないのかもしれません。

 

 

 
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youtubeライブのご案内とご報告20250223

2025年02月24日 08時53分34秒 | その他

◇youtubeライブのご案内とご報告20250223◇

 

昨年末から始めたyoutubeライブですが、まだまだ続けていこうと思っています。

月1回程度で、少なくとも10回くらいはやってみようかと考えています。

4回目のライブを以下の要領で行います。

どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)

 

 〇配信日時   2025年2月23日20時開始、21時頃終了予定

 〇配信方法   音声だけのライブ配信です

         無料です(どなたでもご視聴いただけます)

         チャットとコメント欄をオープンにします

 〇話す内容   悟りから世間話まで何でも話していきます

         基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っています

         ご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでください

         それらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です

 〇配信サイト  下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください

         慧空チャンネルライブサイト

 

<2月23日ライブの内容予定>

自覚の実践について、できるだけ具体的かつ詳細にお伝えしたいと考えています。

1回でおさまらない場合は、2回に分けてお伝えする予定です。

その他、ご希望等がありましたら、コメント等(メールも可)でご連絡ください。

 

<追記(2月14日)>
23日のライブでは、自覚の実践における中核的な部分である、私を捉えるところを徹底的にお伝えする予定です。
ですから、自覚ワークのそれ以外の部分をお話するのは次回以降になると思います。

 

<2月23日ライブのご報告と次回の予定など(2月24日)>

23日のライブでは、予定の通り、自覚の実践における私を捉えるところの手掛かり等を中心にお話ししました。

8名くらいの方にライブでご視聴いただきました。ありがとうございました。

 

次回は、3月16日(日)20時からの予定としたいと考えております。

内容は、自覚の実践における行為の自覚、考えの自覚等についてお話します。

 

 

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再度なぜ私を捉えることが大切なのか

2025年02月12日 11時48分23秒 | 自覚ワーク等の紹介

◇再度なぜ私を捉えることが大切なのか◇


半年程前に、「なぜ私を捉えることが大切なのかについて」という記事を書きましたが、大事なことなのでもう一度書いてみようと思います。

まずは、お膳立てから書きます。

一切のことがらは考えであり、実体が無く、あるとも無いとも言えない、幻のようなものです。

ですから、私も考えであり、実体が無く、あるとお無いとも言えない、捉えどころのないものです。

そもそもところ、確かなものなど何処にもないのです。

しかし、そのように幻のような多種多様な考えの中で最も確かなものを敢えて挙げるととすると、それが「私」なのです。

最も確かなものは、目の前にあるパソコン等の物体ではなく、「私」なのです。

そして私たちには、そのようにあるのか無いのかよくわからない「私」が一人に一つずつ備わっているのです。

 

なぜ私を捉えることが大切なのか、大きくわけてその理由は二つあります。

私たちには否応なく「私」が備わっているのですが、多くの方はそれを意識することなく、無自覚に生きています。

そのため、意識が外側に拡散しやすく、自らの本心に向き合うことも難しくなります。

生きることに対する取り組みも深まりずらいです。

私を捉えることで、意識が「私」に向き、自らの本心にも向き合いやすくなります。

これが一つ目の理由です。

 

もう一つの理由について。

一切は考えであり、この世界も考えなのです。

それはそれで合っているのですが、それだけでは意識の置きどころがなく、意識が彷徨ってしまうのです。

世界の中心である私を捉えることで、意識が定まりやすくなり、悟りへの取り組みも進みやすくなります。

 

また、私自身もそうでしたが、多くの方々は私を捉えることなく、覚醒体験等により悟りの行程に入ってしまいます。

悟りの行程に入ると、自我や自我感覚が急激に希薄化しますから、「私が無くなった」、「私はもとから無かった」等の誤った認識に嵌まり込みやすくなります。

そもそも、一切のことがらについて、あるとも無いとも言えませんから、「私が無い」という認識は間違いであり、そのような間違った認識により悟りが起こることはないのです。

間違った認識に囚われている限り、そこで迷い続けることになります。

 

さらに、悟りの行程に入り、進んでいくとき、手掛かりになるのは自分自身、即ち「私」の微妙な感覚だけなのです。

そのとき、「私」を捉えらていないと手掛かりとなるものが得らず、どうしても迷ってしまうのです。

ですから、悟りの行程を歩んでいく際には、どうしても「私」を捉えておく必要があるのです。

これが二つ目の理由です。

 

 

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無我、非有非無、無根について再考する(補足編)

2025年02月10日 11時34分00秒 | ブログ案内

◇無我、非有非無、無根について再考する(補足編)◇

 

以前に、「無我、非有非無、無根について再考する」という記事を書いたのですが、これについてもう少し補足的なことを書いておこうと思います。

 

無実(無我)と非有非無の違いについて書いてみようと思います。
簡単におさらいすると、無実は一切に実体がないという意味で、非有非無は一切にあるともないとも言えないという意味です。

 

おそらく釈迦は、無我(釈迦は無我ではなく、どちらかというと非我と言ったという話もありますが、ここはそれほど本質的なことではありません)に、無実という意味だけではなく、非有非無の意味合いも持たせたかったではないかと考えています。

あるいは、釈迦は無実と非有非無の意味の違いを深く理解しないまま、曖昧に一緒くたにして扱っていたのかも知れないと考えています。

かく言う私自身も、つい最近まで無実と非有非無の意味の違いについて、曖昧にしたままほったらかしにしていました。

 

しかし、無実と非有非無とは本質的に別ものなのであり、一緒くたに扱えるものではないのです。

非有非無は、シンプルにものごとの有る無しについて言っています。

これに対し、無実は、ものごとに実体があるのかないのか、つまりものごとの実体性について言っているのであって、ものごとの有無については言及していないのです。

突き詰めて考えてみると、これは当たり前のことであり、ものごとに実体があるのか否かと、ものごとの有る無しとは別の問題なのです。

一緒くたにできるものではないのです。

 

このように文章で書くと、無実(無我)と非有非無の違いが明確であり、わかったような気にもなりやすいだろうと思います。

しかし、この違いを本当に理解するのは至難なのです。

これは大問題であり、無実と非有非無の公案と名付けてもいいのかも知れません。

 

 

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改めて幸福論と本心について

2025年02月10日 10時45分22秒 | 生きるヒント

◇改めて幸福論と本心について◇

 

少し前に「幸福論と本心」というテーマで記事を書いたのですが、どうも今一つしっくりしないまま書いてしまい、そのままになっていました。

そのもやもやしていた部分が私の中でやっとハッキリしましたので、改めて記事にしておきたいと思います。

 

短刀直入に書くと、私という存在にとって本心が重要、もっと言えば本心だけが重要なのであって、それ以外はどうでもいいのです。

本心に悟りが含まれている場合は、悟りも重要になりますが、そうでないなら、悟りだってどうでもいいことなのです。

つまり、本心に向き合えているか、取り組めているかが重要なのであって、幸せかどうかなんてどうでもいいことなのです。

本当に自分にとって大切なこと、どうしてもやりたいことがわかっていれば、幸せかどうかとか、幸せになれるかどうかなんてことを気にせず、その大切に思うことや、やりたいことに取り組むはずなのです。

 

しかし、そうやって幸かどうか等を度外視して本心に向き合い、取り組むと、その取り組みそのものが揺るぎない幸福なものになるのです。

なぜそうなるのか、その理由についても、改めて考えてみると実は簡単なことなのです。

それは、私たちがどういうときに幸福感を感じるのか、その源泉というか、メカニズムに着目すれば簡単に説明が付くのです。

 

私たちは、起こっている衝動や欲求や衝動が満たされたときに満足感やそれに伴う幸福感を感じるのです。

私たちに起こってくる衝動や欲求は、浅い本能的といか動物的なものから、最も深い本心に関するものまで多種多様なものがありますが、それらの衝動や欲求の中で、私たちにとって最も深く重要度の高いものがやはり本心に関するものなのです。

ですから、私たちの中にあるその最も深く本質的な衝動、欲求である本心に向き合い、取り組むことで、自ずとそれによる揺るぎない満足感、幸福感が起こってくるのです。

 

 
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