私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(1)

2024年12月21日 21時05分24秒 | エッセイ

◇本心、カルマ、囚われ、運命と自由意志など(1)◇

 

この世界の謎だらけでなのですが、本当に知りたいポイントである核心的なことがらについては、私たちは何ひとつ知り得ないのです。

これは厳然たるものであり、どうしようもないことなのです。

ですが、解脱したなどと言っている私自身もどうしても気になり、未だについ考えを巡らせてしまいます。

 

今回は、そんな私がここ2、3ヵ月時折考えていることについて書いてみたいと思います。

 

まずは、本心、カルマ、囚われについて。

最近わかってきたのですが、本心とカルマと囚われは互いに関連しているようなのです。

これらの三つのものは、互いに重なった共通する部分を有しながら、互いに少しずつずれた要素を含んでいるようなのです。

カルマという概念は種々に広がりを有していて、具体的に特定するのは不可能なのですが、本心とカルマは実質的に多くの部分において共通しているのではないかと考えています。

つまり、本心に取り組むという意味合いと、カルマに取り組むという意味合いはかなりの部分で共通している可能性があると考えています。

 

これがわかったからと言って、特にいいことがあるわけではなく、凄いことでもないのですがw

もしもうあと何歩か考察を進められたら、もう少し何か具体的なことがわかる可能性もあるのではないかとは考えているのですが、現在のところは、まだまだ考察の始まりのところという感じです。

 

それと、本心、カルマ、囚われと、意識(自我)の成長や悟りとの関係についても考えておりまして、その辺りのことも少し書きますと。

意識の成長段階は大きくわけて二つの段階に分けられるのだろうと考えています。

前半の段階は、意識(自我)を作っていく行程です。

この段階では、カルマや囚われを、追加、解消しながら増やしていく行程です。

これによって、しっかりとした意識(自我)が形成されます。

なお、昔の記事にも書いたことがありますが、自我の一部は、ジャングルジムのように互いに関連付けられた多数の囚われによって構成されています。

 

後半の段階は、前半の段階で作られた意識(自我)により、自らを解体していく行程です。

その取り組みにより、カルマや囚われの解消や手放しが起こるにつれ、意識(自我)がより洗練され、先鋭化されつつ、意識(自我)のさらなる成長に繋がっていくのだろうと考えています。

そして、その行程がある程度進んだ段階で、悟りの行程へと移行していくのだろうと考えています。

 

そして、これらの行程において、自覚とはどのような作用、効果があり得るのかについても考えています。

自覚の有効な作用、効果が得られるのは、後半の段階においてであろうと考えています。

特に、囚われの手放しを中心とした、意識(自我)の解体に対して有効に作用するのだろうと考えています。

 

本心、カルマ、囚われについては、現段階である程度具体的に語れるのはこの程度です。

 

次に、運命と自由意志の周辺について。

 

運命と自由意志の問題は、要するに人生は決定論か否かということです。

いくら考えても結論も出ないし、理解も殆ど進まないのに、どうしても考えてしまいます。

他の多くの人たちの人生を見ていると、運命というものがあるのなら、その運命通りに生きて死んで行っているように見える例が時々あるのです。

もっと言えば、この世界の殆どの人は、運命通りに生きて死んで行っているのかも知れないと思うのです。

では、自分(慧空)はどうなんだ、ということになるのです。

自分は彼らと違うのではないか、それなりに自由意志による人生の選択を行っていると考えたりしているのですが、突き詰めて考えると、自分と彼らの違いは無いこともないが、それが人生の選択の有無に関係するような本質的なものかどうかは、怪しい限りだし、根拠も無いと考えたりもしています。

 

話がぐちゃぐちゃしてこんがらがってしまいそうです(すみません)。

書きながら考えているところもありまして(-_-;)

 

一気に本質的なところを見よう、わかろうとすると、直ぐに不可知の壁にぶち当たってしまいます。

焦ってはいけません。

核心的なことはわからずとも、もう少しはわかることがあるはずです。

欲張らず、論理展開と推論を慎重にちびりちびりと進める必要があります。

 

着眼のポイントとしては、普通の人々と、それなりに悟った人の間には、それなりに違いがあり、その違いが人生の営みにも反映されているのだろうと思うのです。

まずは、この辺りのことを整理して、運命との関連について何かわかることはないかを探りたいと思います。

 

((2)に続きます)

 

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。

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youtubeライブのご案内とご報告20241215

2024年12月16日 10時49分23秒 | その他

◇youtubeライブのご案内20241215◇

 

月1回程度の頻度で、youtubeライブをやってみようと思います。

どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)

 

 〇配信日時   2024年12月15日20時開始、21時頃終了予定

 〇配信方法   音声だけのライブ配信です

         無料です(どなたでもご視聴いただけます)

         チャットとコメント欄をオープンにします

 〇話す内容   悟りから世間話まで何でも話していきます

         基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っています

         ご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでください

         それらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です

 〇配信サイト  下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください

         慧空チャンネルライブサイト

 

<15日ライブの内容予定>

前回のライブで、本心についてお話ししましたので、その流れで、次回も本心について、私自身の体験からお話ししようかと考えています。

その他、ご希望等がありましたら、コメント等(メールも可)でご連絡ください。

 

<15日ライブのご報告>

今回のライブでは、予定通り、本心について、私の体験に基づいてお話ししました。

約8名の方にご視聴いただきました。

ありがとうございました。

 

次回の内容は、特にご希望がないようでしたら、自覚の基本についてお話しする予定です。

次回は、特にご希望がないようでしたら、来年1月の19日(日)の夜にしようかと考えています。

 

 

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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無我、非有非無、無根について再考する

2024年12月08日 11時44分57秒 | 悟り

◇無我、非有非無、無根について再考する◇

 

少し前の記事で、無我、非有非無、無根は同義であるというようなことを書きました。

しかし、よくよく考えてみて、これらを同義と言うには無理があるということがわかってきました。

今回の記事では、その辺りのことを書いてみようと思います。

念のため再度、これらの意味を書いておくと、下記のようになります。

無我は、一切に実体が無い。

非有非無は、一切について有るとも無いとも言えない。

無根は、一切について根拠が無い。

 

余談ですが、今回改めて無我について考えていて、無我が一切に実体が無いという意味なのなら、無我じゃなく、「無実」と言った方がいいなぁと考えていたところ、

「無実」 ⇒ 「実が無い」

と連想して、これって「空」と同じ意味だな、と改めて納得した次第です。

「無我」、「無実」、「空」は、意味として同じなのだと納得した次第です。

 

さらに余談ですが、じゃあ、悟りの用語として、無我でも空でもいいのかというと、私はやはり、無我にも、空にも違和感を感じるのです。

一切に実体が無いと言うのなら、「無我」ではなく「無実」という言葉を使うのが一番しっくりくると思うのです。

よって今後は、無我ではなく、無実という言葉を使っていこうかと考えています。

 

本題に戻って。

無実(無我)、非有非無、無根に改めて考えていて、これらの意味の広がりは互いに重なっている部分はあるのだけど、それぞれの意味の中心が少しずつずれていることがわかったのです。

なぜなら、これらの要素に関する悟りや理解も、同時に起こるというには無理があり、かなりの部分で独立して起こっているのだろうと思うのです。

実際の私自身の体験からも、そうなのです。

私は、無根については19歳の頃には凡そ理解していたのですが、無実や非有非無の理解は全く無かったのです。

当時の私は、完全な物質主義者であり、種々の物体は実体として存在しているものと考えていました。

また、無実と非有非無との関係についても、大悟したときに無実についてはそれなりにしっかりと悟ったのですが、非有非無についてはまだぼんやりとした部分があったように思います。

 

で、何が言いたいのか。

仏教の系統では、解脱に関する悟り要素として、無常、無実(無我)、苦が挙げられている訳ですが、これらの悟り要素だけでは解脱には足りない要素があるのかも知れないと思うのです。

つまり、無常無実苦だけでは、非有非無、無根に関する要素がカバーし切れていないのではないかと思うのです。

また、仏教系の覚者の言っていることをちらちらと見ている印象からも、無実(無我)については言及する人はいるのだけど、非有非無については言及がないか、わかっていないような様子の人が多いように思うのです。

無根については、無実がわかってくれば自ずとわかるものでしょうが、非有非無についてはどうでしょう。

 

私たちは、必須の悟り要素として、非有非無についての再認識が必要なのかも知れません。

 

 

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幸福論と本心

2024年12月07日 14時19分33秒 | 生きるヒント

◇幸福論と本心◇

 

幸福論と本心というテーマで記事を書いてみたいと思います。

 

本心については、このブログである程度可能な範囲で具体的に書いていますので、まずは、幸福とは何かについて書くことから始めたいと思います。

 

幸福とは何か。

幸福については、大昔から皆さん、いろいろと考えがあるのだろうと思います。

しかし、よくよく考えてみると、幸福って捉えるのが難しく、やっかいな対象なのです。

そこを敢えて、切り込んでいき、本心というものが幸福の中心的な要素になっていることを可能な限り明らかにしたいと考えています。

 

典型的な幸福観では、お金、仕事や地位、パートナーや家庭など、条件や状態が幸福と関連付けられることが多いと思います。

確かに、それらにより感じられる幸福感はありますが、表面的であり、ここで言う幸福とは異なるものです。

幸福とは、こうなったら幸福になる等のように、形や条件がある訳でもなく、特定の状態というものでもないはずです。

ですから、幸福とは、それそのものが目的になることもないし、それが結果として達成されるようなものでもないのです。

 

では、幸福とは何なか、果たしてそれはあるのか。

ここまで来ると、まるで悟り論議のようです(笑)。

悟りに関する話と同じで、一切のことがらはあるとも無いとも言えませんから、究極的には、幸福についても、あるのか無いのかわからないのです。

また、一切のことがらは不可知ですから、幸福についても、それがどういうものかは、究極的にはわからないのです。

 

しかし、そう言ってしまうと余りにも実も蓋もないので、なんとか踏ん張って、もう少し核心に迫りたいと思います。

 

私が考える幸福論とは、こうです。

幸福というものがあるとすれば、それが目的になることもなく、結果としてそうなるものでもなく、得られたり、失ったりするものではないはずである、と私は考えるのです。

もしそれがあるのなら、常にあるべきものではないか、と。

つまり、生きるという過程そのものが幸福であるべきではないか、と。

即ち、人生における日々の取り組みそのものが幸福であるべきではないか、と。

 

ここで疑問となるのが、生きるという過程そのものが幸福であるとなら、幸福な人(あるいは、幸福そうな人)と、不幸な人(あるいは、不幸そうな人)がいるのはどうしてなのか、というところだと思います。

そこで要になるのが、本心であるという訳なのです。

自身の本心に向き合い、それに取り組むとき、その取り組みそのものが幸福になるのです。

 

 

(余談)

一応最後まで書いたのですが、どうもいまいちと言いますか、しっくりきません^^;

どうしようか、と考えてはみましたが、どうにもなりそうにないので、エイヤッとアップしてしまいますねw

どうも私は、幸福には余り興味が無いというか、意欲も湧かないようですw

 

 

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ツイート記事(20241207~)

2024年12月07日 11時18分14秒 | その他

◇ツイート記事(20241207~)◇

 

<12月7日>

◇世界の不安定化が進む

世界中で種々の要因で不安定化が進んでいますね。
それに伴って、これまで隠されてきた情報が明るみに出て来ているますね。
この流れは、来年に向けてどんどん拡大していくのだろうと考えています。
 
私はこの展開の中で、おそらく数か月以内の時期に、まずは、コ〇〇や、そらに対するワ〇〇ンに関する情報がオープンになるのではないかと見ています。
既に、次期トラン政権への移行に関連した動きの中で、それらに関する調査報告や、議会証言が出始めていますが、まだまだ序の口だろうと思っています。
いずれ、驚愕の真実が明るみに出るだろうと思っています。
 
それを知ったとき、世界中の民衆がどう反応するか。
それによって、大変なことになる可能性があると考えています。
 
我々を取り巻く種々のニュースの中で、今一番重要な情報は何かと言うと、私はワ〇〇ンに関する情報だと考えています。
早くワ〇〇ンに関する真実を公開し、効果に比べてリスクばかりが高いワ〇〇ンの実施を、早く止めるべきだと考えています。
 
ですから、世界中の政治家や言論人について、彼らが何を考えていて、どういう立場の人物かを評価するとき、彼らがワ〇〇ンについてどういう立場を取っているか、が最もわかりやすく、確かなリトマス試験紙になると考えています。
要するに、ワ〇〇ンについて反対なら、取り敢えずはオッケーで、
ワ〇〇ンについて賛成や中立は問題外で、何も立場を表明しないのもアウトなのです。
 
 
 
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ツイート記事(20241102~)

2024年11月28日 14時50分02秒 | その他

◇ツイート記事(20241102~)◇

 

<11月2日>

◇世界の腐敗と堕落

ここ数年の世界の様子を見ていると、日本を含めて世界中で組織の腐敗と堕落が進んで行っているのを感じます。

特にコロナ以降はそれが急激に進行しています。

組織の上層部や上に立つ人程、強く腐敗と堕落が進行しています。

これについて、私はもうとっくに改善不可能な状況になっていて、あとは崩壊を待つだけと確信しています。

 

組織の規模が多きれば大きいほど、腐敗と堕落が進行しています。

また、組織の上層部に行くほど、腐敗と堕落が進行しています。

政治家、マスコミ、行政、既得権を持った種々の組織は、特に腐敗と堕落が激しいです。

 

◇腐敗、堕落の進行と崩壊

腐敗、堕落の進行が進む余り、組織の運営が困難になってきています。

例えば、中国やアメリカは国の運営そのものがめちゃくくちゃになってきています。

アメリカは、赤字国債の乱発中毒により返済不可能な赤字国債を抱えており、それがいつ爆発するかわからない状況の中、来週の大統領選挙さえもめちゃくちゃになりそうな状況です。

来週の選挙では、おそらく大規模な選挙不正が行われ、それによりハリスが選出されるのはないかと言われています。

もしハリスが当選すれば、おそらくこれまでにない規模な暴動が起こります。

 

中国も、国も地方行政も途方も無い借金がある中、不動産を中心としたバブルの崩壊が途方も無い規模で進行中であり、どうにもならない状況です。

上から下まで借金でカネが回らなくなってきており、公務員や共産党職員、軍人への給与未払いが拡大してきています。

小規模の暴動が国のあちこちで既に日常的に起こっています。

そろそろ臨界に達し、大規模な暴動が起こるのではないかと見ています。

 

兵庫県知事選挙

私は11月17日の兵庫県知事選挙に注目しています。

最近のネットを通じた情報の拡散により、利権で繋がり、腐敗し、堕落したマスコミを含めた勢力のやっていることが段々と明るみになってきています。

今回の斎藤前知事をめぐる騒動は、そのような勢力の悪事が暴かれた典型的な例なのです。

そして何より、もし今回の選挙で斎藤さんが再選すれば、この日本において利権勢力の謀略が失敗する初めての例になるのです。

正直なところ、斎藤さんも権力志向の人ですから、いい人と言うには問題があるかも知れません。

しかし、斎藤さんを排除しようとしている勢力のあくどさはその比じゃありません。

 

ターニングポイントと崩壊

今回、斎藤さんが再選すれば、これまで伏せられてきた利権勢力が行ってきた種々の悪行に関する情報が、どんどん明るみになっていく、そのターニングポイントになる可能性があると見ています。

そして、そのような情報が明るみなっていくにつれ、利権勢力が崩壊していくとともに、わが国の経済や人民統治も崩壊していくだろうと見ています。

この崩壊への動きは、世界の主要国の動きと連動しながら進んでいくと見ています。

 

<11月6日>

◇トランプ勝利か

今回の米選挙ですが、意外に、順当にトランプが勝利しそうですね(現在日本時間11月6日15:21)

やっぱり選挙不正に関する情報はいろいろ出ていましたが、よほど大規模な不正操作が行われない限り、このまま決まりそうです。

 

もしこのままトランプに決まっても、大きな変化が起こり始まると思っています。

一部でトランプは反DSと言われていますが、私は彼も実は大きな枠組みではDSであり、今回の大統領選はDS内の派閥争いのようなものなのだろうと考えています。
トランプ政権で生じる変化が崩壊へと繋がっていくのだろうと考えています。

 

<11月12日>

◇中国の若者たちの異常行動

日本のテレビでも報道されているようですが、中国南部で、夜中に自転車で幹線道路を何十キロも走る若者の群衆が出現しているようです。

何万人規模の群衆が毎晩自転車で幹線道路を走るそうです。

私は、この若者たちの様子は大規模暴動に繋がるものだろうと見ています。

近いうちに中国で大規模な暴動が起こるかも知れません。

 

<11月14日>

◇youtubeライブ

youtubeライブをやってみようと思い、準備中です。

当分は、顔は出さずに、声だけでやる予定です。

チャットとコメント欄をオープンにして、視聴者さんとやり取りしながら話していくというスタイルにしようと思っています。

話の内容は、悟りから世間話まで何でもありでいく予定です。

まずは月1回の予定でやってみようと思っています。

早ければ、今月中、遅くとも12月から始めようと思っています。

準備が出来たら、このブログとnoteで案内しますね。

 

<11月25日>

◇本心について

一昨日のyoutubeライブで本心について話したことで、本心について考えています。

例えば、本心についてもう少し体系的に捉えられないかとか、本心にアプローチするための何かいい方法がないかなど、考えています。

本心は我々人類にとって極めて重要というか、最も重要な要素であるのにかかわらず、歴史上殆ど着目されたこともなく、ほったらかしになっています。

だから、人類は殆ど進化することなく、同じような過ちを繰り返すのだろうと思う訳です。

と愚痴を言ってもしょうがないですのですが。

 

本心に含まれる要素として、私は二つの要素があるとこのブログで書いています。

一つは、どう生きたいか、どうありたいか等、生き方に関する要素です。

もう一つは、何をしたいか等の具体的な取り組みの対象となる要素です。

しかし、本心の要素には実はもう一つありまして、それは、生きることそのものへの取り組みなのです。

わかりやすく言うと、「生きるんだ」と意識して生きるというか、生きることを意識して生きるというか、そういう要素です。

この意識的に生きるという要素が、本心のベースの部分にあるのだろうということが、実は昨日わかりました。

 

ですから、まとめると、本心は、

まず一番深いベースの部分に、生きることへの取り組みがあって、

その上に、どう生きたいか等の生き方に関する要素があって、

さらにその上に、何をやりたいか等の取り組みの具体的な内容に関する要素があるのだろうと思います。

言わば三層構造になっていることがわかりました。

 

だから何だという話ですがw

メモ程度に取り敢えず書いてみました。

 
◇ロシア経済の崩壊が近づいている可能性
ロシア経済も中国経済と同様、もうダメだと言われ続けてなかなか倒れないのですが、
そろそろ本当にダメになってきているようです。
情報のネタは、例えばこの動画をご覧ください(よくまとまっているよい動画です)。
 
主な理由は、以下の通りです。
・経済制裁による国際取引の決済手段に関する封鎖がさらに厳しくなっている
・インフレが厳しく、政策金利が21%、市中の預金金利が24%
 
旺盛な発展途上国でもあり得ない金利水準なのに、今のロシアで24%なんて経済が持つはずがありません。
 
ロシア経済が崩壊しても、それが他の主要国の経済に直接的に影響することはありませんが、心理的な影響が他の国にも及びます。
例えば、ロシアで預金封鎖や貨幣価値の崩壊が起これば、その心理的な影響は小さくないと思います。
 
 
<11月28日>
◇大阪の泉大津市市長選挙
あの立花氏が急遽、泉大津市市長選に立候補するとのことで、泉大津市って聞いたことあるなぁと思っていたのですが、
現職市長の南出さんは反コロナワクチンで有名な人だったのですねw
 
これは面白くなりました\(^o^)/
徹底的に戦ってほしいと思います。
 
ちなみに、私はもちろん、今回は南出さん推しですし、おそらく南出さんが勝つだろうと考えています。
 
立花さんはワクチンについてコメントしないので、おそらく大きな枠組みではDS側の人なんだろうとは思っていましたが、今回の件でハッキリしました。
ちなみに、再選した兵庫県知事の斎藤さんも、おそらく大きな枠組みではDS側の人なんだろうと思っています。
 
投票日は12月15日でしたっけ?
非常に楽しみです(#^.^#)
 
しかし、立花さんもどこか重要な歯車がズレているなぁと思っていましたが、
今回の件はそれが大きく露見することとなりました。
痛いなぁ(>_<)
 
 
 
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
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youtubeライブのご案内とご報告20241123

2024年11月24日 19時50分14秒 | その他

◇youtubeライブのご案内とご報告20241123◇

 

下記の要領で、youtubeライブをやってみようと思います。

どうぞ気軽にご視聴ください(^O^)

月1回程度の予定で、やってみようと思っています。

 

 〇配信日時   2024年11月23日20時開始、21時頃終了予定

 〇配信方法   音声だけのライブ配信です

         無料です(どなたでもご視聴いただけます)

         チャットとコメント欄をオープンにします

 〇話す内容   悟りから世間話まで何でも話していきます

         基本的にチャットの書き込みとやり取りしながら、話していこうと思っています

         ご質問や、ご希望の話題、ご意見など、なんでもチャットに書き込んでください

         それらを、このブログ記事のコメント欄に書き込んでいただいても結構です

 〇配信サイト  下記のリンクからyoutubeサイトにアクセスください

         慧空チャンネルライブサイト

 

<ご報告>

23日夜のライブでは、8名の方にご視聴いただきました。

内容は、本心についてお話ししました。

この流れで、次回も本心について、私自身の体験からお話ししようかと考えています。

次回のライブは、12月15日(日)20時からの予定です。

 

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自閉症の息子に自覚を伝える

2024年11月17日 11時07分12秒 | エッセイ

◇自閉症の息子に自覚を伝える◇

 

私には、今年二十歳になる自閉症の息子がいます。

自閉症の障害は非常に重く、重い知的障害、情緒障害、自傷他害等の問題行動、こだわり等があります。

自傷は、自分の頭を拳で殴る、壁や窓ガラスに頭突きする、手を机等に打ち付ける、膝を床に打ち付ける等があります。

他害は、他者の服や髪に掴みかかる、爪を立てる、殴る等があります。

会話は、例えば「昼ご飯の後、散歩に行きます」等のごく簡単な声かけは通じます。

自分からの発語は、「おやつ」、「散歩」等のごく簡単な単語を話せる程度です。

文字や時計(時刻)の判別等はできません。

 

5、6歳の頃から上記のような問題行動が激しくなっていき、支援学校やデイサービスでの対応も難しくなり、自宅でも手に負えなくなり、10歳のときに児童施設で受け入れてもらうことになりました。

その後、児童施設から成人施設に移行し、現在も施設で生活しています。

施設に入っても、面会があるのと、年に何回かは自宅に帰省させていますので、親子の関係はそれなりに保たれています。

 

息子が施設に入って1年程経った頃でしょうか、私は息子に自覚の真似事のようなものを教え始めました。

息子は、統合失調症の傾向があり、情緒が上下に不安定に揺れやすく、情緒が落ちると、マイナス方向の感情や衝動が連鎖的に起こり、それに巻き込まれ埋没し、抜けられなくなります。

そこで、息子の情緒がマイナス方向に落ちそうになったところで、そのことを息子にわからせ、自分で自分の情緒の落下を止めさせるための取り組みを始めました。

このブログで伝えている「自覚」が、それに使えるのではないかと思ったのです。

 

具体的な取り組みは、自分のマイナス方向への状態の変化に気づかせることと、自分の状態の悪化にブレーキを掛けさせることを繰り返し徹底的に伝えるというものでした。

例えば、自分の情緒が落ちそうなっていることや、掴みかかる、爪を立てる等の問題行動が出そうになっているときに、そのことをハートの部分でハッと気づかせることを繰り返し伝えました。

息子の手を胸に誘導して、ここでハッと気づくんだという具合に伝えました。

また、情緒の悪化や、爪立て等の衝動に対して、息子の手を腹に誘導して、ここでグーッと堪えるんだという具合に繰り返し伝えました。

気付くためと、堪えるために、ハートと腹に意識を向けることを特に意識して伝えるようにしました。

 

このような取り組みを始めた当初は、息子に伝わっている様子も手応えも全くなく、自分は何でこんなことをしているのだろうと馬鹿らしくなることもありました。

でもなぜか、止めずに続けたのでした。

 

ところが、取り組みを始めて1年くらい経った頃でしょうか、息子の様子に変化が見られるようになったのです。

そのとき、私は、情緒が落ちていきそうになっている息子の様子を少し離れた場所から見ていました。

息子は、情緒が落ちてくると表情等が曇ってきて、急にマイナスのスイッチが入ります。

マイナスのスイッチが入ると、爪立て等の他害や自傷が始まります。

息子の情緒が落ちてきたので、もう直ぐ私のところに爪を立てにやってくるだろうと思って見ていたところ、息子が何かを堪えるようにして我慢していることに気付いたのです。

私は「おやっ」と思い、息子の様子を見ていると、息子は時折「んーん、んーん」と唸りながら必死に耐えているようでした。

そして、その格闘が数分続いた後、急に息子の様子が切り替わり、落ち着きを取り戻しました。

 

息子はいつの間にか、自分で自分の情緒の落下に気づき、踏み止まることを覚えていたのでした。

私はそのことに驚きながら息子に近寄り、「ハッとしてグーをやったんか?」と尋ねました。

すると、息子が「うん」と応えたのでした。

私は嬉しさに涙がこぼれながら、息子を抱き締め、「偉いやっちゃ」と褒めてやりました。

 

この息子の一歩はとても大きなものではありますが、その後の歩みが順調であった訳ではありませんでした。

長い停滞の時期や後退期を繰り返しながら、何年も掛けて取り組むことになりました。

最初のうちは、情緒が落下しそうなときに上手く「ハッとしてグー」をやれることは殆どなく、大半はそのまま落下していくので、その度ごとに「ハッとしてグー」を伝える必要がありました。

取り組みを始めて5年くらいが経ち、息子が15、6歳になった頃でしょうか、情緒の落下に対し、何割かの確率でブレーキを掛けられるようになったような具合です。

ブレーキを掛けても情緒の落下を上手く抑えられるのは、凡そ半分くらいだったように思います。

何年も掛けて、息子の身体と意識に刻み込むようして繰り返し伝える必要がありました。

そうやって取り組みを続けているうち、情緒が落下しかけたときに、少しずつ少しずつ「ハッとしてグー」が出来る機会が増えていきました。

 

言うたらダメゲームの話。

息子は、頭の中をある欲求というか、言葉が回り始めると、そのループに囚われてしまい、抜け出せなくなることがよくありました。

一番多かったのは、「ごはん」です。

食べることぐらいしか楽しみというか、時間を過ごすことがないのもあり、食事が終わって暫くすると、「ごはん」と言って次の食事を要求し始め、それが30分、1時間、長い時は2時間も続くことがありました。

「ごはん」、「ごはん」と何度も何度も訴えられるだけでも辛いのに、爪を立てたり、掴みかかったり、頭を壁に打ち付ける等の問題行動も重なることが多く、その相手をするのは本当に大変でした。

 

そんな中、「ハッとしてグー」が少しやれるようになってきたとき、私は息子に対して、ゲームのようなある取り組みを思い付いたのです。

名付けて、「言うたらダメゲーム」です。

息子が「ごはん」、「チーズ」(息子は何よりもチーズが大好きなのです)、「車さんぽ」(ドライブのことです)などと言ってグルグルし始めると、まずは息子に、「ごはん、ごはんってグルグルしている誰ですか?」などと言って、自分がグルグルにしていることを気づかせるようにします。
グルグルし始めると、「グルグルしているのは誰ですか?」と言ったぐらいではもう止まらないのですが、自覚を促すべく一応は何度か声掛けします。

 

それでもグルグルが止まらなかったとき、「言うたらダメゲーム」の発動を宣言するのです。

息子がそれ以上、その問題の言葉を言ったときは、息子にその言葉を言ったことを伝えて、頭を手でしばくのです(これを虐待と言う人もいるでしょうが、そんなことは気にしません、笑)。

もちろん、息子にはこのゲームのルールを繰り返し、何度も説明します。

ゲームを始めたときは、息子がグルグルに嵌ってしまって問題の言葉を発する度に、ルールを説明して頭をしばく、ということを延々と繰り返していました。

頭をしばくと息子の状態が余計に乱れてしまったり、泣き出してしまうこともありましたが、まずは徹底的にやってみようと思い、息子が問題の言葉を発する度に容赦なく頭をしばいていました。

 

ところが、このゲームに関しては意外に早く、息子が対応するようになったのです。

このゲームを始めて3日目頃くらいだったでしょうか、いつものように息子がグルグルに嵌ってしまったので、息子に「しゃあないなぁ、言うたらダメゲームやるしかないな。ほな、始めるぞ。」と言ったのです。

すると、息子がニヤッと笑ったのです。

私はその息子の様子にピンと来て、息子に「なんやお前、ひょっとしてこのゲームのルールがわかったんか?」と尋ねました。

これに対し、息子はまたニヤッとしながら、「うん」と応えたのです。

「それじゃあ、ゲームをやってみよっか」と言って、ゲームを始めると、それまで「ごはん」等と繰り返してグルグルしていたのがピタッと止まったのでした。

私は、息子に「凄いやないか、グルグルを止めれたやないか」と言って、息子を褒めてやりました。

 

この「言うたらダメゲーム」も万能である訳ではなく、息子の状態が悪く、情緒が余りに不安定になっているときは、やはりどうしようもなく、いくら頭をしばいてもどうしようもないときも多々ありました。

それでも、前述の「ハッとしてグー」とこの「言うたらダメゲーム」等を組み合わせて、繰り返し繰り返し、息子に自身の様子を自分で気づかせ、ブレーキをかけさせ、切り替えさせるように働きかけました。

 

この「言うたらダメゲーム」に関連して、息子の知性の発達が窺えた話があるので、それを書きたいと思います。

息子がドライブに行きたくなり、「車さんぽ」と繰り返し、グルグルし始めたときでした。

いつものように「言ったらダメゲーム」を発動し、息子が「くるま」とか、「くる」とか、「く」と言ったところで何度か頭をしばいた後でした。

息子が暫く静かになった後、「がいしゅつ(外出)」と言ったのです。

なんと息子が、禁止ワードを避けて、言葉を替えてきたのです。

これに対して、私はすかさず「「がいしゅつ」と言うのもダメだからね」と伝えたのです。

すると今度は、息子がさらに言葉を替えて「ようい(用意)」と言ってきたのです。

「「ようい」と言うのもダメ」と伝えると、今度はさらに「いきたい!」と言ってきました(笑)。

「「いきたい」もダメ」と伝えると、もう我慢の限界だったようで、怒り出し、私に掴みかかってきました(笑)。

このときは、相当ドライブに行きたかったようです(笑)。

 

この話の最後に、息子にまつわる別のエピソードを紹介したいと思います。

実は私は、社会に出て最初の約二十年間はデスクワーク系の仕事をしていたのですが、その仕事を辞めてから現在の農家を始めるまでの5年間は、成人の知的障害者入所施設で支援員として働いていました。

その施設は、息子のような知的障害のかなり重い方々を中心に受け入れているところで、利用者の多くは全くあるいは殆ど言葉を話せないような人たちでした。

そのような特に重い障害を抱えた人たちに対して、何をしたくてこの世に生まれてきたのだろうという疑問が私の中にあったのです。

そのような人たちは、何もしなくてもそこに居るだけでいいんだ、という考えもあり、それはそれである程度は的を得ているところもあるようには思われますが、私はそれでは納得できませんでした。

彼らなりに何かあるのではないか、と私は考え続けていました。

 

そんな訳で、私は時折、息子に対して「お前はこんな身体でわざわざ何をしに生まれてきたのか?」と問いかけていました。

もちろん、応えが返ってくるはずもないのですが、わざわざ、どうして、という疑問に、息子の障害の不憫さが相まって、息子に対して呟かずにはいられなかったのです。

 

いつだったか、息子が前述の「ハッとしてグー」をやり始めた頃だったかは忘れましたが、私がまた息子に、「お前はわざわざ何をしに生まれてきたのか?」と問いかけていたときでした。

そのとき私は、息子が何をしに生まれてきたのかが、ハッとわかったのです。

息子は自身の障害に取り組むべく生まれてきたことがわかったのです。

息子だけでなく、障害を持って生まれてくる人、あるいは生まれてから障害を持つ人は、その障害に取り組むべく生まれてきていることがわかったのです。

それがわかったとき、私は嬉しくて涙をこぼしながら、「そうか、そうだったのか、お前は凄いヤツや」と言って、息子の頭を撫でてやりました(私は感動すると、直ぐに涙が溢れてしまいます^^;)。

息子は意味がわからず、ポカンとしていましたが。

 

それ以来、私は息子や重い障害を抱えた方々に対する考え方が大きく変わりました。

それまでは、彼らのことを不憫な人とか、何かの因果で罰ゲームのような人生を歩んでいるのかとか、幼稚な余り訳がわからず過酷な人生に飛び込んでしまったのかとか、そのように考えているところがありました。

しかし、それ以後は、彼らのことを果敢な挑戦者として、また対等なひとりの人間として考えるように変わりました。

 

知的障害は、人が人であるための重要な要素である自我の活動が難しくなります。

そのため、重い知的障害を持つ多くの人たちは、人生の営みや取り組みが、自らの感情や衝動、周りからの影響に流されるまま、されるがままといった具合に、どうしても漫然としたものになりがちです。

残念ながら彼らの多くには、自身の障害への取り組みや精神的な成長が見受けられないのです。

そんな彼らに対して、私はお節介に、「〇〇(利用者の名前)はそれでいいのか」とか、「そのまま何もしないで死んでいくつもりなのか」とか、「自分は何をしに生まれてきたのか、思い出せ」と、呼びかけていました。

彼らにも、持って生まれてきた自分の本心を振り返ってもらいたかったのです。

 

このような呼び掛けは、周りに他の職員が居ないときにやっていました。

私が上記のような呼びかけをすると、普段はぼーっとしていて余り反応が無いような人でも、明らかに嫌がったり、苦しそうな素振りを見せたり、激しく私に突っ掛かってきたりするのです。

それに対し私は、嫌がられても彼らの意識に突き刺すように繰り返し呼びかけていました。

自分が閻魔大王になったかのように。

でも残念ながら、自身の障害への取り組みに繋がるような人はいませんでした。

 

上記の「〇〇はそれでいいのか」、「そのまま死んでいくつもりなのか」、「自分は何をしに生まれてきたのか、思い出せ」等の呼びかけは、息子に対してもやっていました。

息子に対しては力余って、「お前は世界中の自閉症者が出来なかったことをやろうとしている」とか、「お前ならきっとできる」とか、「どんどん上手になってきている」とか、「お前は自閉業界の革命児になれ」なども呼びかけていました。

 

なぜか、息子はこのような私の呼びかけをそれなりにちゃんと聞いたのです。

全く聞かなかったり、嫌がって爪を立ててくるときも多々ありましたが、しっかりと私の目を見て聞くときもあったのです。

そして、情緒が不安定になりそれを踏み止まろうと格闘している様子などから、自身の障害への取り組みの様子がしっかりと見て取れたのです。

また、それが意識の成長に繋がっている様子も見て取れたのです。

だから、私の方も、そのような息子に対する取り組みを続けることができのだと思います。

 

息子ももう二十歳になり、ひと段落というか、もういいやと思っているのか、この頃は余り私の言うことを聞かなくなってきました(笑)。

私が「ハッとしてグー」を伝えたり、呼びかけをしようとすると、手で私を突っぱねて「いやだ」と言ったりもします(笑)。

息子なりに自立したのかもかも知れないと思い、嬉しくもあり、少し寂しさを感じるところでもあります。

 

おしまい。

 

 

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
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近況など(20241110)

2024年11月10日 14時00分54秒 | 個人的なこと

◇近況など(20241110)◇

 

久しぶりに近況など書いてみようと思います。

 

◇幸せの件

先月、幸せに気づいたこをと記事にしました。

まずは、その関連のことを書いてみようと思います。

「ああ、自分は幸せだったんだな」、「これからもずっと幸せなんだな」と気づいた訳なのですが、特に何が変わった訳ではないのです。

幸せかどうかにかかわらず、私はこれまで本心に取り組み続けてきていて、これからもそうしていくのみであり、私の生き方が何も変わる訳ではありませんから。

しかし上手く表現できませんが、幸せに気づいてから、何かじんわりとした幸福感があるというか、あるいは、もとからあったそのじんわりとした幸福感に気づいたというか、そういう微妙な感じの変化はあるような気がしています。

それと、これまで自分の中に、「幸せ」という言葉に拒絶反応するようなところがあったのですが、それが殆ど無くなったというか、大きく減りました。

トンガっていたところが、少し丸くなったようにも感じています。

 

一切皆苦との関連。

やはり、基本的なベースは一切皆苦なのです。

存在しているのが苦しく、辛いことには変わりないのです。

それでも、幸せなのです。

本質的に、幸せとは苦しみや辛さを伴うものなのだろうと改めて納得したところでもあります。

 

◇死後について

できることなら、死後は入滅により消えて無くなりたいと思っているのですが、どうなるかはわからないというところは変わりないのですが、ひとつはっきりしてきたところがありまして、そのことを書きたいと思っています。

消えてなくなることが叶わず、輪廻を繰り返す必要があるのなら、私はこの地球の今の時代に生まれてきたいと願っています。

それは、地球のこの時代が一番遣り甲斐あり、面白いと思うからです。

人生についても選べるのなら、選択可能な範囲で一番しんどい人生を選びたいと思っています。

なぜなら、それが一番遣り甲斐があり、面白いからです。

楽な存在や楽な人生は、退屈で勘弁です。

輪廻から逃れられないのなら、私はこの地球の今の時代を延々と繰り返していたいと思っています。

 

◇足の骨折の件

9月13日の足の骨折は、順調に回復中です。

現在はギブスも取れて、リハビリ中です。

数日前からごく簡単な作業ならこなせるようになってきました。

 

◇日本人の意識変化

ネットの様子を見ていると、スピと陰謀論ブームが起きていますが、一部でスピから悟りへのシフトが起こってきているように感じています。

他人軸でなく、自分軸で生きることの大切さへの言及も数多く見受けられるようになってきています。

日本人の一部に、意識変化が生じているようです。

この流れはさらに拡大しながら、当分の間続くのではないかと見ています。

私のブログのアクセス数やセッション依頼等は、余り伸びていませんが(笑)。

 

◇今後の活動について

youtubeを使ったライブ配信等、何か変わったことをやってみたいような気もしているのですが、どうもやる気が起きず、ほったらかしになっています。

最近やったことは、骨折して動けなくてヒマなので、このブログ記事のテキストデータをダウンロードしました。

そのうち、カテゴリごとにまとめて、noteで販売してみようかと思っています。

 

 

◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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ツイート記事(202410~)

2024年10月28日 17時48分52秒 | その他
◇ツイート記事(20241010~)◇
 
<10月10日>
◇大悟を振り返って
ここ数日、無我の悟り(大悟)について何か呼び水になるような文章を書けないかと考えているのですが、なかなか難しくてまとまりません。
それで、自分が大悟したとき、どういう経緯を辿ったのかと自分の過去の足取りを振り返ってみました。
ちなみに、私が大悟に至った日は、2013年10月19日(土)でした。
自覚を始めて解脱に至るまで、思ったことや気づいたことをノートを書いてましたので、今でもそれを読むと当時の足取りをある程度追うことができます。
 
今までこのブログでは余り大きく取り上げて来なかったのですが、自分が受け入れの取り組みを結構熱心にやっていたことがわかったのです。
ここでの受け入れとは、自分自身を受け入れるというものです。
受け入れには二種類あり、一つは外側に対してのもので、もう一つは内側である自分自身に対してのものです。
外側に対しての受け入れは、外側に対して握り締めている囚われの手放しと関係していて、小悟に通じています。
内側に対しての受け入れは、自分自身に対して握り締めている囚われと関係していて、大悟に通じています。
囚われの手放しは、自覚によってそれに気づくことによっても生じるのですが、受け入れによっても生じのです。
 
その自分の足取りを辿っていてこれはと思ったが、大悟する19日の前々日の夕方の通勤電車の中で起きた、私に対する感謝でした。
電車の座席に座っているとき、自分がしている過去、現在のすべての経験について、それが経験できているのは私という存在があってこそなのだということに、ハッと気づいたのです。
その瞬間、私自身に対する大きな感謝の気持ちが湧き起こり、座席に座ったまま下を向いてボロボロと涙を流して泣きました。
自宅の最寄り駅に着いても涙が止まれず、下を向きながら遠回りをして自宅に帰りました。
 
私の場合、大悟には、自分自身に対する受け入れからその感謝に至る体験の影響も大きかったのだろうと思います。
私は小悟に至る際も明け渡し体験(受け入れ)の影響が大きかったので、受け入れが優位になりやすいタイプのようです。
 
道は人それぞれですが、何かヒントになる方がおられるかもと思い、書くことにしました。
なお、上に書いた大悟する19日の前々日の体験は、その翌日にブログ記事にしていました。
リンクは、これです。
 
<10月13日>
◇中国は崩壊寸前か
ここ最近、世界情勢の変化のスピードがどんどん速まっていると感じています。
中国だけでなく、アメリカも急激に劣化して行っているようで、どんどん崩壊が近づいているように感じています。
そんな中、習近平が中国国内の内乱に対する準備を進めているというニュース動画を見つけました。
その動画のリンクは、これです。
 
その内乱とは主に民衆の暴動のことのようですが、おそらく軍の一部による反乱も相当警戒しているのではないかと思います。
最近の中国は、地方政府の役所が襲撃され、役人が惨殺される等の事件が頻発しているようです(正規ルートでの報道は無いですが)。
私の個人的なカンで言うなら、中国の人民統治はあと1、2年で崩壊するのではないかと考えています(3年は持たないのではないか)。
中国の人民統治が崩壊すれば、その心理的な影響がアメリカに伝わり、アメリカの人民統治も崩壊するだろうと考えています。
そうなれば、この日本も含めて、全世界の経済も統治も崩壊します。
 
さて、どうなるのでしょう。
 
<10月16日>
◇近況など
久しぶりに近況など書いてみます。
 
足の骨折の件
9月中頃に、農作業中の管理機の操作ミスにより右足首上(腓骨、外側の細い方の骨)を骨折し、現在療養中です。
骨折した部分が少し離れてしまっていて、手術を勧められたのですが、手術はイヤだったので(笑)、そのままギブスを巻いてもらって頑張っています。
そのせいもあって、骨がなかなかくっつかず、困っています。
ギブスの装着は5週間が限度らしくて、それでも骨が付かない場合は、そこから手術もあり得るとのことで、おそらく大丈夫でしょうが、少し不透明な状況です。
来週水曜に、ギブスを外してみて、まだ暫く療養継続となりそうです。
 
本来なら、農業の秋の収穫作業ど真ん中なのですが、やり始めたところで骨折してしまい、放置状態となっています。
今年の収穫は、大半は諦めることになるかも知れないと覚悟しています。
 
今後の農業の取り組みについて
農業を始めて今年で実質4年目なのですが、地方の山の中で小さな農家が農業で生活費を稼ぐのは構造的に無理なんだということは2年目の時点でわかっていました。
それでも、まだ農業について納得できないところがあるというか、僅かな可能性についてトライしてみたいようなところがあり、ここまでやってきました。
 
しかし、農業(と言うより、現代社会)が抱える構造的な種々の問題の壁は大きく、この4年目は私の農業に対する取り組みの節目になるのではないかと考えながら、取り組みを続けてきました。
基本的に無理な取り組みをしていますから、どうしても無理をして作業をしてしまう状況が多くなり、骨折事故を起こしてしまいました。
 
骨折とそれによる農業へのダメージは大きいですが、私の農業に対する取り組みに対する良い節目を作ってくれたように感じています。
自分の置かれた状況に冷静に向き合うことができた感じです。
世界経済もあと3年は持たず崩壊するのではないかと考えていますので、その点からも、農業だけでなくライフスタイルを含めたいろいろな面で、見直し、切り替えていくタイミングだと考えています。
 
来年からは、農業に割くエネルギーを半分以下に減らして、それ以外のエネルギーは、経済崩壊後の生活に対する準備と、それまでの生活資金獲得のためのアルバイトに当てて行こうと考えています。
サバイバルのための当面の主な取り組みは、以下のポイントです。
・食料の備蓄や方法の整理
・念願の鶏小屋の建築
・薪ストーブ用と風呂用の薪の準備
・簡易なソーラー発電設備
・狩りの準備(罠と簡単なハンティング)
・簡単な無線設備
 
ヒマつぶし
療養中でヒマなので、ネットの動画ばかりみてます。
ここ数日は、世界を旅している青年の動画を観ています。
〇リヤカーで北米、南米大陸縦断をしている青年の動画(リンクはこれです)
〇原付バイクで世界一周をしている青年の動画(リンクはこれです)
 
<10月21日>
◇悟りと夢の変化について(夢の中で心が動かない)
12年程前にあった明け渡し後、寝ている間に見る夢の様子が大きく変わったのですが、解脱後の変化として、夢の中で心が全くという程動かなくなったのです。
正確には、あーだこーだという思考は起こるのですが、感情や快不快等の情緒的な要素が殆ど無くなってしまったのです。
明け渡し前は、夢の中で誰かと格闘したり、高いところから落ちたりして、喜び、怒り、悲しみ等の喜怒哀楽や、恐怖心もあったのですが。
それが、明け渡し後から、夢の内容も比較的淡々とした内容のものが多くなり、喜怒哀楽や恐怖心等の心の動きも小さくなっていきました。
そして、解脱後は夢の中で心の動きが全くという程無くなってしまったのです。
 
一昨日の夜は、久しぶりにハードボイルドなちょっと激しい内容の夢を見たのですが、それでも心が動きませんでした。
どんな夢かと言うと、
私は何かの組織の一員になっていて、その組織は何かテロの標的になるリスクを警戒していて、私は、バスに乗り込もうとする人たちの警戒任務にあたっていたのです。
その任務中、バスに乗り込もうしている人のスーツケースの中に爆弾が仕込まれていることが直観的にわかったのですが、その直観とともに、その直後にその爆弾が爆発することも直観でわかったのです。
私はとのとき、そのスーツケースを持った人の直ぐ近く(2メートル以内)にいて、爆弾の爆発はもう止めることができず、どうしようもないことがわかったのですが、爆弾が爆発することに気づいたときにほんの少し驚きのような心の動きがあっただけで、それ以外は全くという程心の動揺がなかったのです。
まるでサイボーグのようでした。
そして、爆弾が爆発する瞬間に目が覚めたのです。
目が覚めても、全く動揺が残っておらず、呼吸も心臓の鼓動も全く通常の状態でした。
むしろ、爆弾が爆発した後のことを観れなかったので、残念な気持ちがありました(笑)
 
<10月28日>
◇崩壊前夜か
最近、現在の社会構造の崩壊へ向けた変化がどんどん明るみになってきていると思っています。
崩壊のタイミングは意外な程近い可能性もあると感じています。
まだそこまでは無いだろうとは思いますが、早ければ来年夏にすべて崩壊するということも全く無いとは言えないのかと考えています。
 
今度の展開の予想として。
米大統領選後に、中国を筆頭に、米国、中国の混乱が急速に進んでいくのではないかと思っています。
混乱の中身は、経済的なもの、政治的なもの、内乱的なもののすべてが起こってくるだろうと思っています。
またおそらく、主要メディアによる情報統制も世界的な規模で崩壊していくでしょうから、これまで伏せられていた重要かつ深刻な情報がどんどん明るみになっていくだろうと思っています。
例えば、主要各国の財政運営が既に破綻していてどうにもならない状況であることや、
DSと言われる組織の闇の取り組みなどが、明るみになっていくと思っています。
 
そのような混乱が急速に進むいずれかの段階で、民衆のパニックが世界規模で連鎖的に起こり、各国の人民統治が崩壊するだろうと考えています(2026年末までに起こるのではないか)。
そうなると、暫くの間、ライフラインの停止、食料を含めた物資の流通の停止が起こります。
 
補足です。
戦争について、現在あちこちで戦争が起こっていて、それをさらに拡大させようという闇の働きがありますが、
これが世界的な戦争に発展することはないと考えています。
世界的な戦争をする程の力は、闇の勢力にももう無いし、主要各国にも無いと思います。
例えば、中国には台湾や日本に戦争を仕掛ける力は残っていないだろうと考えています。
 
◇兵庫県知事選
個人的に、衆院選よりこっちの方がよっぽど面白いと思って観ています。
斎藤前知事が再度立候補するだけでも面白いのに、NHK党の立花氏まで参戦して、どうなるのか見ものだと思っています。
私は、これはメディアを含めた古い体制の崩壊が現れている典型的な例だと見てます。
 
 
◇悟り伝える意志
あるジャーナリストが政治家の姿勢について語っているのを聞いていて、
悟りを伝えることについても通じる部分があるなぁと思いました。
 
端的に言えば、悟りを伝える意志と覚悟ですね。
 
さて私自身にはその意志と覚悟がどの程度あるのだろうか、と我が身を振り返りました。
どうなんでしょ。
暫し考え、見つめ直してみたいと思います。
 
 
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