私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

死と向き合って生きる

2015年03月21日 14時42分16秒 | エッセイ
◇死と向き合って生きる◇

死が身近にある人は恵まれています。

死と向き合えば、自ずと自分がまだ生きていることに目が向くからです。


あなたはまだ生きています。

まだ時間があるのです。

どうか、悔いの無いよう生きて頂きたい。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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6 コメント

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Unknown ()
2015-03-21 21:27:15
死を意識するのに、いい方法はありますか?
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Re:了さんへ (慧空)
2015-03-21 21:48:58
コメントありがとうございます。
基本的には、意図して死を意識するのは難しいのだろうと思います。
でも、真剣に自分が死ぬことを想像すると、ある程度は死を意識できるのではないかと思います。
例えば、ガン等で余命半年を宣告された気になってみるとか。

それで、そういうワークがないかちょっと調べてみました。
そしたら、やっぱりありました。
もしよろしければ、参考にどうぞ^^
死の体験旅行
http://www.machitera.net/project/spirit_body/death/
http://tocana.jp/2014/06/post_4274_entry.html
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自覚とは… (せんまさ)
2015-03-22 11:49:30
最初に彗空さんの自覚の記事を読んだ時、自意識過剰にならないかという疑問が有りましたが…自意識過剰の状態は感情混乱な状態であり、自覚はそういう状態にも冷静に気づいている意識がある事を自覚して行く事なのかなと今は感じてます。 初歩的な事でコメントしてしまいましたね。
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Re:せんまきさんへ (慧空)
2015-03-22 13:23:29
コメントありがとうございます。
自覚は、「私」に意識を向け、考えをつくり出している「私」を自覚し、「私」の主導権(主体性)を取り戻していくことですから、自覚を始めた最初の過程では、せんまきさんもご指摘のように、確かに自我(エゴ)が強化される時期があるんです。
また、こんなことも言えます。
自覚を習って、本質の私をある程度捉えられると、多くの人は、なぜか、意識が外向きになってしまい、自覚をやめてしまうか、仮にやっていても、浅い自覚に終始し、一向に自覚が進まない状態になってしまいます。
困ったものですが、しょうがいようです(^o^)

>自覚はそういう状態にも冷静に気づいている意識がある事を自覚して行く事なのかなと今は感じてます

うーーん、ちょっと違うのです。
その「冷静に気づいている意識」についても、それは私の考えだとして自覚し、削ぎ落としていくんです。
すると、最後には確かなものはなーんも残らなくなるんです。
そういう感じです^^
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Unknown (せんまさ)
2015-03-23 10:41:16
そうなんですね。 彗空さんの仰るように私の自覚は途切れ途切れで浅く、彗空さんのようにこれでもかという程の集中力を保つ事ができてません。 瞑想すら持続しないので、こんな自分もしゃ~ないなぁなと…私はまだそういう時期ではないのかな甘えてる次第です(苦笑)
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Re:せんまささんへ (慧空)
2015-03-23 19:29:34
どんまいです^^
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