私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

存在に関する情報

2024年10月04日 21時50分17秒 | エッセイ
◇存在に関する情報◇


9年程前に見た夢の体験から、私たち存在に関する興味深い情報をいくつか読み取ることができますので、今回はそれを記事にしておこうと思います。
ひょっとすると、この情報がどなたかの役に立つかも知れないと思っています。
その夢の体験はブログ記事にしておりまして、リンクはこれです。

私は12年程前に明け渡しを体験した後から、身体の無い存在になっている夢を頻繁に見ます。
その身体の無い存在とは、本当に身体が無く、視覚だけがあり、意識としては薄っすらとした自我(思考や発意、感情等)があります。
存在の大きさはおそらく点のような小さいもので、透明です。
私は、そのような視点だけの存在になって、人々の様子や景色を眺めている夢を頻繁に見ます。
多くの夢は特筆するようなことは余りないのですが、上でリンクを貼った9年前の夢は、とても変わっているというか、面白いのです。

簡単にどんな夢かと言うと、
視点だけの存在になっている状態から、夢の中の身体のある他の人物と一体化し、その状態のまま暫く時間を過ごした後、再びその人物と分離したのです。
以下、その夢から読み取れる情報について書きます。

◇視点だけの存在があり得る
おそらく夢と現実は本質的な違いはありませんから、夢の中で起こることは現実でも起こり得ると考えています。
ですから、この現実世界でも、身体の無い視点だけの存在があり得るのだろうと考えています。

◇視点だけの存在が他の人物と一体化したり、離脱する可能性
この現実世界においても、視点だけの存在が肉体のある他の人物と一体化したり、離脱するという現象が起こり得ると考えています。
ちなみに、夢の中で、視点だけの存在である私(慧空)が他の人物と一体化したときは、それまでの慧空という認識は消失し、その人物になり切っていました。
しかし、その人物としての自我の働きは私が担っているという感覚でした。
つまり、その一体化している間、私は傍観者ではなく、その人物として主体的に活動していました。
そして、その人物から分離した後は、再び慧空としての感覚が甦りました。

◇一個の肉体に複数の意識存在が同居している可能性がある
夢の中で、その人物に私が一体化する前から、その人物は普通に活動していましたので、既に何らかの意識存在が入っていたのだろうと考えるのが妥当だと思います。
だとすると、私がその人物と一体化していた間は、その人物には複数の意識存在が入っていた可能性があると考えるのが妥当だろうと思います。
そして、これは現実世界においてもおそらく同じであり、私たちの肉体には複数の意識存在が入っている可能性があると思います。

ここで興味深く、かつ謎なのが、一つの肉体に複数の意識存在が入った場合、肉体のコントロール等の活動の主導権はどうなっているのだろうということです。
私は夢の中で、視点だけの存在のときも、他の人物と一体化しているときも、主体的な自我感覚(主導権)は自分にあったように思います。



◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。

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