summer diary

日記らしきページ

自然と人間

2012年05月12日 | Weblog

 

 GW明けの今週は強風が吹き荒れる天候が続いている。 栃木県では竜巻が発生して、多くの人が怪我をし、中には命を失った人もいた。
竜巻はアメリカや広大な大陸のある国の物と思っていたけど、この日本でも大きな規模の竜巻が発生することがあるのだと改めて気づかされた。 それにしても、津波や地震も規模によっては大変な被害を招くけど、竜巻は本当にすごい力を持っているのだと思った。
TVの映像でみると、まだ真新しいような家も屋根、窓が破壊されている様子だし、自動車が簡単に横転していた。 電信柱が何本も倒れていて、古い民家は土台ごと無くなっているし、鉄筋の集合住宅の窓ガラスはほとんどの部屋の窓が割れて飛ばされている様子。
自然の力にはとても太刀打ちできないのは分かっているけど、人間の弱さを改めて再認識することになった。
どんなに頑張っても、所詮は人間が自然の力を制御することは不可能であり、また防ぐことも無理だろう。

そんな人間の弱さにも関わらず、原発を何十も建設している日本はやっぱりダメな国だとも言える。
使用済みウランの処理方法さえ確立できていない状態で見切り発車している原発の安全性は全くのまやかしだとしか言いようがない。
今回の福島原発の津波による大事故も、決して予想不可能な事ではなかったはず。 想定外と言う言い訳で済むようなことではない放射能の驚異は判っていたはずだ。 広島、長崎の原爆投下による悲惨な結末をしっかりと刻んでいるならば、原発建設は有り得ないことだ。

経済優先主義で進んできた国家の最大のツケが福島の事故として跳ね返ってきたのだと感じる。 経済発展のための電力供給を優先させるための原発建設はあまりにも短絡的な幼稚な発想だとしか言いようがない。
現在は週十年ぶりで原発は停止状態になっているけど、施設にはそのままウラン燃料や使用済み燃料があり、同じような災害があれば、福島の二の舞となることも想像できる。 
世界で唯一の被爆国がいとも簡単に放射能を容認することになったのはどうしてなのか? 当時の政府や官僚や原発推進派の多く学者や著名人だけの問題じゃなく、その建設を容認したことも少なからず責任はあるはず。 その容認をさせるような政府の手法(原発立地条件の補助金など)はある種の詐欺師の類と同様な気がする。 

改めて、この機会を見逃すことなく、原発のある街の住民は同じ間違いをしない意思を強く持って欲しい。 そして、再度原発を稼働させるようなことがないことを祈りたい。 原発で生活を支えている住民にとっては大変な試練となることも理解できる。 しかし、ここで再び経済優先の社会を繰り返すなら、いつかまた、必ずそのツケを返さなけれならない日がくる。 遠い未来の子孫たちにそのツケを払わせるのはあまりにも無責任で子供じみている。 そして、その時は単なる地域だけの問題ではなく、日本と言う国家そのものの崩壊を想定しておかなければならないだろう。