昨日のバイトに行く時間には、激しい雨が降り始めて・・・。 そのほんの1分前までは原付で行こうかな・・と思っていたので、ちょっと残念。 結局は車で行ったのであるが、バイト先までは3分程度。 バイト先の駐車場に到着する時には雨は止んでいた。 あれ~~。 なんだよ~~。 それでも、翌日の今日の朝に雨が降っていることを考えると、車で行ったことは正解かもと。 しかし、結局は今朝帰宅する時間には雨は降っていないし、今は日差しもあり、しばらくは雨の心配もなさそう。
一昨日から台風の影響で交通機関などの運休や遅延などの影響を伝えているが、この10号のスピードはかなり遅く、なかなか日本列島に近づかないし、九州南部に上陸する進路であるが、まだ明後頃の予報もある。 ただ、日本列島の沿岸地域は雨雲の発生で雨、雷などの悪天候が続きそうだ。
なかなかはっきりしない進路の台風10号である。 明後日は東海地方でも直接的な影響がある予報だが、まだ台風からは離れている事もあり、それほどの心配はいらないだろうと思う。 地震や台風が頻繁に発生しているので、災害に備えるような報道で溢れているようだが、これもどうかなと。
地震が起きたから・・・備えるとか、台風が来るから備えるとか。 何か違う気もする。 そもそも、普段からそうした災害に対する意識は持ち続けている必要があるし、備えや、備蓄などをするなら、いつでも地震が起きた時に対処できるようにしておくことだろう。
先日も書いたけど、内閣府の大規模地震対策特別措置法なるものを発表して、いかにも地震が近い内に発生するような気持ちにさせたり。 それで天然水などが店頭から無くなったり、品薄の米などもさらに店頭から無くなったりと。
昔のオイルショックではトイレットペーパーや、コロナ渦ではマスクが無くなったりと、どうも無駄に働いているような気もする。
普段から水など買わない人でも水を余計に買ったり、普段から米などあまり食べない人も余計に米を買いだめしたりと。
水は3日も過ぎたら店頭の棚には一杯に充填されていたし、米だって、私が住む町のスーパーなどではまだまだ多く店頭に並んでいる。 米が店頭から無くなっているのはほんの一部の店だけなんだろうと思うのである。
それをメディアが大げさに報道していて、いかにも早く買わないと買えなくなると思わせるような報道の在り方が問題だと思う。
前にも書いたけど、地震は何時、どこで、そのような状態で起きるのかは全く未知である。 いくら家に備蓄していても、家に居る時に地震が発生するとも限らないし、全く別の場所で遭遇して、家に帰ることすらできない状態になるかもしれないし、そもそも、備蓄してある家自体が倒壊して、全てが無くなってしまう事も想定されるだろう。 もちろん、断水や停電時にはそうしたある程度の備蓄は役に立つかもしれないが、避難所もあるし、今は山間部や孤立する地域なら別だけど、一般的な住宅地域ではそうした水や電気などの心配はそれほど要らない気もする。
さて、今日はバイト明けで、これも何時も通りだけど、午前中はすぐに過ぎ去り、午後からものんびりしていると、夕方まではアッと言う間に過ぎ去る。
今日も午後からはギター練習で過ごすのだけど、昨日も2時間以上は弾いていたが、曲によって、セーハなどを多用する曲などの練習はかなり指に負荷がかかるので、長くても連続なら1時間程度が限度だと思った方が良いだろう。
今の曲のそうだけど、次の曲はそれ以上にセーハする箇所が多用しているので、少し弾いてみたが、かなり指に負担がかかりそうだし、かなり苦しい押弦の箇所もあるので、ちょっと頑張らないと弾ける様な気がしない。
その頑張らないと・・・だが、ギターの場合にはこの押弦が最大の難しさだと以前から書いているが、実際にセーハして、フレットを幾つも跨ぐような押弦でなければ弾けない曲は、指が短い人やそもそも、手が小さな女性などは相当に苦しいのだろうと思う。 若い人ならまだ柔らかい身体なので、何とか対応できそうだが、高齢になって、身体が固くなっていると、そうした大きく開かないとできない事などの対応は難しい。
私はそれほど小さな手ではないが、それでも4か所程度のフレット間を抑えるのがやっとであるし、セーハしてそのフレット間を抑えて、他の指でさらに抑えるのは至難である。 などど、弾く前からちょっと弱気な発言だが、実際にギターは左手の押弦がどれほどしっかりと、どれほどスムーズに出来るのかがほとんどすべてだろうと思う。 右手の爪弾きはその気になれば相当に難しいと思える動きも無理する必要はない。
これは必要以上に広げたりするような動きが無いからだ。
これに比較すると、左手の動きは相当に難しい。 フレット間の移動もそうだけど、即座に移動、即座に難しい押弦をすることは簡単なことではない。
人間の指だけではなく、身体の動きなども、基本的には日常的な生活に即した動きをするように出来ているし、普段からそうした人間工学的な自然な動きをするように出来ている。 普段の指の動きはそれぞれの指は連動して、規則的な動きをするように出来ている。 ギターの押弦はそうした基本的な動きとは別に、指が独立した動きをする必要があるし、普段、全く動かさないような指の動きをする必要があるから、難しいのである。
これをいかに、自然な動きにするか・・・。 それは、ギターの運指を当たり前に出来るまで、何度も繰り返して動かす事が必要になる。 これは運動機能の問題で、いかに指が独立して動かせるような神経細胞が出来るのか・・・。
さて、理屈はともかくとして、これからも、ギターは私の生涯の趣味であり、ある意味ではギターは今や私の最大の生き甲斐でもある。
なので、どんなに難しくても、どんなに無理だと思われても、決して諦めるようなことは考えていないし、諦める事は無い。 難しいから弾かないのでは、この先、ギターの幅を広げることは出来ないし、それでは楽しみも半減してしまう。
まだまだ10年、20年も時間はあるのである。 焦る必要はないし、諦める要素もない。