バイトを始めてから本を読むようになった。 これは、勤務先での仕事があまりにも暇であることだ。 本を読まなくても、私はそれ以前からAudibleで朗読を聞いていた。 朗読も結局は本を読むことに違いはないが、ナレーターが流暢に、内容に即して、さらには絶妙な抑揚を持って読むので、自分で読む以上に理解できるし、楽しむ事も出来る。 さらに、何かをしながらでも読む事が出来るし、文字を目で追うことも無いので、疲労感も少ない。 実際に、短編なら本を読む事も苦にならないが、長編となると、ちょっとシンドイ。 それが、小説の内容や展開、登場人物などの楽しさがあるなら読む気力も湧くが、ある意味で、説明的な文体は疲れて読み進める気力も失せる。 なので、今もバイト先で本を読むことは続いているが、本は短編とは言わなくても、あまりページ数が多い厚い本を読む気もしない。
長編小説は朗読に限っていて、今も15時間を超える小説を聞いているが、それでも、8時間も聴いていると、ちょっと飽きて来るような事も珍しくない。
平野 啓一郎「マチネの終わりに」を聞いている。 これはギタリストと彼女との物語なので、クラシックギターを趣味としている私はそれほど飽きるような事もないかもしれない。 ただ、ギターの話にはあまり意味もないようだ。 この登場人物、天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。との関係を抒情的に物語として構築されている。 若い人の恋愛とは違って、ある程度人生の苦難を乗り越えて来た男女の関係をとても清廉な関係性で表現されている。
天才ギタリスト・・・という、一般的な人間ではないある意味では特殊な世界の人間と、通信記者と言うこれも通常のサラリーマンとは違っている職業の人間の恋愛?の物語は平凡な私のような人間には理解できないような事も多々あるし、2人の会話もある種の理知的で、高学歴のような人格などもあり、ちょっと・・・と思う事もあるが、周囲の人達は特別な人間ではないし、会話自体はとても平凡な内容だったりするし、違和感は感じない。
ただ、互いが惹かれる繊細な部分は普段は自身が分析などする事が無いだろうし、これは詩人が見つめる世界感のような深層心理を言葉にするような物だろう。
まっ、私は普段は時代小説が好きでほぼそうした小説以外を読んだりすることはないが、この本は以前からちょっと気になっていて、ギタリストが主役?の小説などはほとんど見かけるような事が無いので、タイトルも知っていたし、映画にもなった事もしている。 が、現代小説はあまり読む気がしていなかったが、時代小説もあまり読む本が無くなって来たので、最近はとりあえず聞いてみて、面白くなければ、すぐに辞めて、次を探す事になるのである。 ただ、今のところは飽きる事もなく、聴き続けている。 ただ、面白いと言う以外に、まだ飽きていないと言うような程度で、最後まで聞くことになるのかは不明だけど。 最近は本を読んで、特に感動するとか、何かを理解するとか、何かこれまでと違っている真実や、概念とか、考え方に出会うなどと思うような事もほとんどないし、そうした意味合いで読む事もない。
若い時には、純文学やある意味ではノンフェクションなどの小説から多くの物を得た記憶があるが、65歳を遥かに超えている私の人生では、小説から得られる物はほとんどない。 どれほどのリアルな恋愛だろうと、ロマンチックな関係だろうと、あるいは、その逆の悲惨で凄惨な物語やリアリティーだろうと、もう、心がそのことに心酔するような感動は得ることは出来ない。
今では、その文体や内容や、登場人物などが面白いか、そうでないのか・・・が最大の関心であり、その小説が良いか悪いかの評価の唯一の物なのである。
男女関係だけでなく、同性の友達や、上司や家族や親族や、師匠や生徒・・・などなどの関係性は意味がなく、人間としての関係性でしか私は感じないのである。
さてと、今日も朝のバイト以外はのんびりと過ごす日だ。 今日もギターを弾いて過ごす事に決めているし、洗濯物もバイトから帰宅してから終えて干してあるが、夕方に取り入れるだけである。
ギターの弦交換も終えて、今はちょっとまだ安定していないので、まだまだ音色には不満もあるが、それも1週間程度で思っているような音色に変わるだろう。
しかし、以前から弦の種類に関してはかなり気にしていて、一旦はこれだと思う弦に決めた・・・と思っていても、実際に弦交換をすると、やっぱり交換した弦以外の弦の方が良かったかも? とか、次はやっぱりあれにしようかな・・・とか。 なんだか、結局はあれこれと迷うのである。
まっ、それならそれで、次は再び以前から気に入っていた弦にしようなどと、交換して間がないのに思ったりするのである。
そして、おそらく、次は違う弦にするのだが、やっぱり、以前の方が良かったかな・・・などと繰り返すのだ。
そして、ギター(クラシックギターのみでも)もこれまで4本も購入した経験があるが、結局は一番気に入っているギターは最初に買ったギターであり、ある意味ではとても無駄な・・・出費を繰り返したような気もするが、ただ、ギターを替えたからこそ、そんなことを思うのであり、そうでないなら、今でも別のギターが欲しく思う気持ちは消えていないだろうし、今でもやはり、もう少し良いギターが欲しいと思う気持ちには変わりはないが、しかし、そんな資金もないし、仮に今以上のギターを手に入れても、使い切れないだろうし、そのギターを余すことなく生かすような技量も持ち合わせてはいない事も解っている。
音色は単にギターの良し悪しで決まるわけでもない。 当然だが、ギタリストの技量も問題が大きいし、そのギターとの相性が合っている弦を使うことも必要だろうし、もっと言えば、そのギターの特性を生かすような楽曲もあるだろう。
そうしたある意味では音楽としての魅力を醸し出す事が出来るのは、いろんな要素が互いに補い合って、あるいは、重なり合って、絶妙な音色を醸し出す事が出来る瞬間だろう。 瞬間・・・、まさしく、音楽は1音の音色の連続性だし、そうした繋がりが心に染み入る人間的な普遍な欲求を叶える物なのだろうと思う。
さてと、こうした解釈はともかくとし、今日もギター講座の課題曲をしっかりと練習することにしよう。