八日午前十時十五分ごろ、大津市大萱六の県道交差点で、乗用車と軽乗用車が衝突。弾みで軽乗用車が歩道に乗り上げ、信号待ちをしていた二~三歳の保育園児十三人(男児五人、女児八人)と保育士三人の列に突っ込んだ。
この事故のニュースは昨日の昼の情報番組で各局が挙って大きく取り上げていたし、他のニュース番組でも取り上げない局は無かった。 死亡、重軽傷を含めて11人が巻き添えになった。 13人の列に乗用車に追突されて車道へ乗り上げてしまった軽自動車が突っ込んでしまったことで起きた事故である。 乗用車を運転していた無職新立(しんたて)文子容疑者(52)と軽自動車を運転したいた無職下山真子(みちこ)さん(62)を自動車運転処罰法違反(過失傷害)容疑で現行犯逮捕。同日夜、下山さんについては勾留の必要がなくなったとして釈放した。 新立容疑者は安全確認が不十分だったため事故を起こしたことを認めていると言う。
なぜ、安全確認が不十分だったのか? 脇見運転?スマホのながら運転?運転中に別の事をボーと考えていた? 兎も角、交通事故の中でも前方不注意で事故を起こすケースがほとんどである。 私もスマホを見ていて事故を起こしそうになった経験があり、依頼、絶対にスマホなどを見ることをしなくなった。 あの時はスピードが10Km以下の時だったので、信号待ちで走りだした前方の車が急停止したことを確認するのが遅れて、危うく衝突しそうになって急ブレーキを掛けて、ギリギリで停止できたので良かったけど、ある程度スピードが出ている状態だったら間違いなく事故になっていただろう。
人間は解っていても気が緩むことがある。 特に急いている時とか、何か悩み事がある時とか、運転以外の事に意識が向いてしまう時など。 正常な人間でも時として安全運転が出来ないような状態になることがある。 暴走運転や飲酒運転、最近取り上げられている煽り運転などでの事故は悪質で劣悪だろう。 今回の事故は事故の最大の原因である乗用車を運転していた52歳の文子容疑者だろう。 本人も認めていることもあり、前方を見ていなかったのが原因だろうと思われる。 なぜ? 事故はいろんな要素があることもあるけど、今回のケースは見通しも良い道路であり(ニュースで見る限りはかなり見通しも良く、車線もしっかりとしている)、カーブになっている訳でもない。 道路脇に停車している車なども無く、特に見通しが悪かった訳でもなさそうである。 交通事故は人間が起こす最悪の殺人に繋がる。 人を死亡させる気が無くても、自分の不注意だけで多くの人を死なせてしまう可能性がある。 自由に操ることが出来る自動車は時にはその可能性を忘れさせてしまう。 特に、田舎の閑静な道を走っていると事故とう観念が無くなる時がある。 交通量の多い幹線道路や大きな市街地などの車線が多い道路では頻繁に前方、後方、左右を確認しないと走れない状況なので、事故を意識しながら運転することが多い。 案外、郊外の静かな場所で事故が多いのも事故を忘れさせるような環境が人間の注意力を無くし、運転に集中することを忘れさせるのだろう。
こうした事故のニュースを聞くたびに、車の運転には細心の注意を払いながら運転を心掛けようと再認識するのである。 若い頃に比較すると確かに認識するスピードも落ちているだろう。 自分では変わっていないと思っていても、運動神経も洞察力も落ちているだろう。 年齢を重ねる毎に自分を再確認することが必要だろう。 さらに、すべてに対して寛容な精神が必要で、特に車の運転は余裕が必要なのである。 時間を気にしない運転、横断歩道、信号交差点などでも左右の人をしっかりと確認する意識、
信号交差点以外の交差点では必ず一旦停止することも大切だ。 いくら自分の走行車線が優先だからと言っても、建物で左右が確認できないような交差点では特に必要だろう。 一旦停止しないで交差点に進入してくる車や人、バイク、自転車だって来る可能性がある。 優先順位なんてものは信用しない方が良い。 すべの人がルールを守ると考えるのはとても危険なことである。 危険予知を常に忘れないようにしておきたい。