今日は、1995年4月発行の詩集
「いのち輝け青春」の中から紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/39/589d65e8fe20aa8414acb0d3d3bc393a.jpg)
この詩集の《はじめに》です。
旅から旅の人生をしていると、人生の限界での生命の叫びが聞こえてきます。
わたしも青春時代、対人恐怖症になり
人前に出ると顔は真っ赤になり、足は震え、心臓は破裂するぐらいの状態に苦しみました。
あの時の絶望の孤独のつらい思いは二度としたくないと
強い人間をめざして旅をはじめました。
旅に出て、あの日と同じ気持ちの人と出会ったら
少しでもいたわってあげられたらと旅をつづけています。
苦しいとき、
この世にひとりでも自分の事をわかってくれる人がいたら
本当に心がやすらぎます。
生きてきたならば、生きているならば
いのち輝かせて人生を生きていってほしいのです。
試練、挫折、逆境を打破して
自分のすばらしい青春をつくっていってほしいのです。
あなた、人生頑張ってください。
幸せになってください。」
こんな思いでまとめた一冊です。
そして、その次のページには、いまから15年前、阪神淡路大震災で叔父と叔母を亡くされた方からのお便りから始まっています。
そのご夫婦には、当時中学3年生と、小学校6年生の男の子がいて、震災の朝、一瞬にして両親が家の下敷きになってしまった様子が書かれています。
素敵なご両親に育てられ、心優しく、芯のしっかりした子・・・
家族を一瞬で失ってしまった二人に、「生きる希望」がもてるよう、なにか一言だけでも光を・・・・
そして、そのあとのページに、その時に書いて送った詩が掲載されています。
今日は、特別に、その詩をすべて紹介させていただきます。
「運命」
いつも いつまでも
二人のそばにいてやりたかったけれど
これがお父さんお母さんの運命だったんだ
これからふたりにとっては
耐えられないほどの さみしさや 哀しさや
試練があるだろうけれど
まっすぐ生きていって下さい
お父さんが一生懸命強く生きたように
お母さんが明るく優しく生きたように
ふたりには
お父さんお母さんが教えたように
誠実に生きてください
ふたりのそばには
たくさんの力をかしてくれる
心をおぎなってくれる
生きることを教えてくれる人がいます
素直に感謝を忘れず
青春を人生を生きてほしいのです
“あの兄弟はすばらしい人間だ”
と言われる人になってください
お父さんお母さんはいつもそばにいます
ふたりの心の中にいます
仲よく生きていくんだよ
強い人になってね
「兄弟」
ふたりだけで生きてゆこうな
お父さんお母さん
いなくなってしまったけれど
兄弟 力あわせて
生きてゆこうな
これからどんなときでも
おぎないあい
いたわりあい
つくしあい
生きてゆこうな
誰もいなくなってしまったけれど
泣くときも一緒
笑うときも一緒
ひもじいときも一緒
負けないで生きてゆこうな
お父さんお母さんに しかられないように
兄弟ふたり 離れないで生きてゆこうな
「我が子」
わがこよ
どんなことにも くじけない
あかるいたくましいひとに
なってください
わがこよ
どんなことでも すてきなことに感動するひとになってください
わがこよ
どんなことでも
自分のちからでやりとげられる
こころのひろい
つよいひとになってください
わが子よ
生きること
がんばってください
15年、もう15年 まだ15年。
私は21歳。東京でテレビや新聞で報道されていた、大阪、神戸の姿は、東京にいると想像も出来ないものでした。
春、大阪府豊中市の、千里阪急百貨店さんで須永博士展覧会が開催されることを知り、お休みを使って(当時はまだ、食品会社に勤めていました。)大阪へ初めて手伝いに行きました。
まだ数ヶ月しか経っていない大阪に近づくにつれ、青いブルーシートがかかった家が目立ってきました。
ビルが斜めになっているままの建物も数多くありました。
展覧会をしていた千里阪急さんのあたりは、それほど被害も少なかった場所ではあったのですが、あの時、行ってよかったとこころから思います。
デパートに入るときは、裏の、警備員さんがいる入口から、開店時間前に入り、受付をしてバッチをもらって、会場の階までエレベーターで行きます。
ちょうど同じ時間に、社員のきれいな女性が、小さな赤いキャリーバックをひっぱって、受付をしていました。
「おはようございます!」
とあいさつすると、「おはようございます
」
と、とっても素敵な笑顔で![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
横にいた、他の売場の女性が、
「大丈夫?」
と聞いていました。
「大丈夫よ。うちは無くなっちゃったから、これがわたしの家財道具全部だけどね」
と。
「えっっ・・・」
私はなんの言葉も出ませんでしたが、
「生きていただけ、いい。」
と言っている人がたくさんたくさん。そして皆さん、大変そうな顔をしていない。大変なはずなのに。
3日間、サイン会の手伝いをしたのですが、家族を亡くした方、友人を亡くした方、家が無くなった方・・・
東京にいたら絶対に感じることが出来ない、被災地の「人のこころの強さ」を見ました。
デパートの社員も、お客様も、みんなが被災者という中で、みんなで助け合い、笑顔で、この今を乗り越えてゆこうという空気がいっぱいあふれていました。
それからも、須永博士は毎年春、夏に展覧会を大阪で開催し、その度に手伝わせてもらいました。
15年経った今、大阪へ行くと、震災のことは外からはわからないほどきれいに復興したように見えますが、その影で、今もたくさんの苦労、哀しみを抱えて生きている人がまだまだたくさんいるんですよね。
関西の人々のパワーや明るさが、大変なことも大変と見せない、そんな気がします。
「いのち輝け青春」の中から紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/39/589d65e8fe20aa8414acb0d3d3bc393a.jpg)
この詩集の《はじめに》です。
旅から旅の人生をしていると、人生の限界での生命の叫びが聞こえてきます。
わたしも青春時代、対人恐怖症になり
人前に出ると顔は真っ赤になり、足は震え、心臓は破裂するぐらいの状態に苦しみました。
あの時の絶望の孤独のつらい思いは二度としたくないと
強い人間をめざして旅をはじめました。
旅に出て、あの日と同じ気持ちの人と出会ったら
少しでもいたわってあげられたらと旅をつづけています。
苦しいとき、
この世にひとりでも自分の事をわかってくれる人がいたら
本当に心がやすらぎます。
生きてきたならば、生きているならば
いのち輝かせて人生を生きていってほしいのです。
試練、挫折、逆境を打破して
自分のすばらしい青春をつくっていってほしいのです。
あなた、人生頑張ってください。
幸せになってください。」
こんな思いでまとめた一冊です。
そして、その次のページには、いまから15年前、阪神淡路大震災で叔父と叔母を亡くされた方からのお便りから始まっています。
そのご夫婦には、当時中学3年生と、小学校6年生の男の子がいて、震災の朝、一瞬にして両親が家の下敷きになってしまった様子が書かれています。
素敵なご両親に育てられ、心優しく、芯のしっかりした子・・・
家族を一瞬で失ってしまった二人に、「生きる希望」がもてるよう、なにか一言だけでも光を・・・・
そして、そのあとのページに、その時に書いて送った詩が掲載されています。
今日は、特別に、その詩をすべて紹介させていただきます。
「運命」
いつも いつまでも
二人のそばにいてやりたかったけれど
これがお父さんお母さんの運命だったんだ
これからふたりにとっては
耐えられないほどの さみしさや 哀しさや
試練があるだろうけれど
まっすぐ生きていって下さい
お父さんが一生懸命強く生きたように
お母さんが明るく優しく生きたように
ふたりには
お父さんお母さんが教えたように
誠実に生きてください
ふたりのそばには
たくさんの力をかしてくれる
心をおぎなってくれる
生きることを教えてくれる人がいます
素直に感謝を忘れず
青春を人生を生きてほしいのです
“あの兄弟はすばらしい人間だ”
と言われる人になってください
お父さんお母さんはいつもそばにいます
ふたりの心の中にいます
仲よく生きていくんだよ
強い人になってね
「兄弟」
ふたりだけで生きてゆこうな
お父さんお母さん
いなくなってしまったけれど
兄弟 力あわせて
生きてゆこうな
これからどんなときでも
おぎないあい
いたわりあい
つくしあい
生きてゆこうな
誰もいなくなってしまったけれど
泣くときも一緒
笑うときも一緒
ひもじいときも一緒
負けないで生きてゆこうな
お父さんお母さんに しかられないように
兄弟ふたり 離れないで生きてゆこうな
「我が子」
わがこよ
どんなことにも くじけない
あかるいたくましいひとに
なってください
わがこよ
どんなことでも すてきなことに感動するひとになってください
わがこよ
どんなことでも
自分のちからでやりとげられる
こころのひろい
つよいひとになってください
わが子よ
生きること
がんばってください
15年、もう15年 まだ15年。
私は21歳。東京でテレビや新聞で報道されていた、大阪、神戸の姿は、東京にいると想像も出来ないものでした。
春、大阪府豊中市の、千里阪急百貨店さんで須永博士展覧会が開催されることを知り、お休みを使って(当時はまだ、食品会社に勤めていました。)大阪へ初めて手伝いに行きました。
まだ数ヶ月しか経っていない大阪に近づくにつれ、青いブルーシートがかかった家が目立ってきました。
ビルが斜めになっているままの建物も数多くありました。
展覧会をしていた千里阪急さんのあたりは、それほど被害も少なかった場所ではあったのですが、あの時、行ってよかったとこころから思います。
デパートに入るときは、裏の、警備員さんがいる入口から、開店時間前に入り、受付をしてバッチをもらって、会場の階までエレベーターで行きます。
ちょうど同じ時間に、社員のきれいな女性が、小さな赤いキャリーバックをひっぱって、受付をしていました。
「おはようございます!」
とあいさつすると、「おはようございます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
と、とっても素敵な笑顔で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
横にいた、他の売場の女性が、
「大丈夫?」
と聞いていました。
「大丈夫よ。うちは無くなっちゃったから、これがわたしの家財道具全部だけどね」
と。
「えっっ・・・」
私はなんの言葉も出ませんでしたが、
「生きていただけ、いい。」
と言っている人がたくさんたくさん。そして皆さん、大変そうな顔をしていない。大変なはずなのに。
3日間、サイン会の手伝いをしたのですが、家族を亡くした方、友人を亡くした方、家が無くなった方・・・
東京にいたら絶対に感じることが出来ない、被災地の「人のこころの強さ」を見ました。
デパートの社員も、お客様も、みんなが被災者という中で、みんなで助け合い、笑顔で、この今を乗り越えてゆこうという空気がいっぱいあふれていました。
それからも、須永博士は毎年春、夏に展覧会を大阪で開催し、その度に手伝わせてもらいました。
15年経った今、大阪へ行くと、震災のことは外からはわからないほどきれいに復興したように見えますが、その影で、今もたくさんの苦労、哀しみを抱えて生きている人がまだまだたくさんいるんですよね。
関西の人々のパワーや明るさが、大変なことも大変と見せない、そんな気がします。