北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

ツバメ号とアマゾン号

2017-07-12 22:18:12 | イギリス

湖水地方の滞在先にコニストン湖を選んだのは偶然だった。

本当は、ウィンダミア湖のあたりにしたかったのだけれど、手頃なコテッジがなかったのだ。

ウィンダミア湖にしたかったのには、理由がある。

子供の頃興奮して読んだアーサーランサムの「ツバメ号とアマゾン号」の舞台だったからだ。

訳者の神宮輝夫さんがあとがきで舞台はイギリス北部の湖水地方ウィンダミア湖と書いていたのがずっと心に残っていた。

イギリスにいた時もウィンダミア湖に足を運んだ。


コニストン湖?ま、ウィンダミアに近いし、いいか。

せっかくだから「ツバメ号」シリーズ全巻持って行って読もう。

重いので我が家にある岩波のハードカバーではなく、新書版を新たに買い揃えてイギリスに来た。


コニストン湖の遊覧船に乗ろうとすると

「ツバメ号とアマゾン号コース ヤマネコ島」とある。

えー???


ツーリストインフォメーションには、ツバメ号とアマゾン号の本も置いてある。

「ヤマネコ島はコニストン湖にあるの?」

「そうだよ。私が生まれたところは、ツバメ号と伝書鳩に出てくる街さ」とインフォメーションのおじさん。


私が持っていたツバメ号の本を見せると、嬉しそう。

ひとしきりその話で盛り上がった。


コテッジに帰って新書本を見てみると追加されたあとがきに

「舞台は湖水地方のコニストン湖」と書かれている。


これを運命と言わずして何を運命という。

しかも地元の博物館では著者のアーサーランサム展がたまたま開催中。

感激で一人涙がにじむ。


コテッジの窓から見えるコニストンオールドマンが「ツバメの谷」に出てくるカンチェンジュンガとわかった時には、昨日までと違った山になってしまった。

 

「ツバメ号とアマゾン号」はアーサーランサムが書いた子供向けの小説。

全部で12巻から成る。19カ国で翻訳されている児童文学の古典だ。

全巻が翻訳されたのは、日本だけ。神宮輝夫さんありがとう。

アーサーランサムは1884年にイギリスのリーズに生まれ、子供の頃夏休みを湖水地方で過ごす。

その後、戦争記者になりあちこちを転々としたあと、ロシア革命時にロシアですごす。

レーニンの秘書と結婚したとランサム展では書いてあった。

第一回のカーネギー賞受賞者でもある。

なんとMI6(イギリスの諜報機関 ジェームスボンドね)にも所属していた。


45歳で「ツバメ号とアマゾン号」を書く。

登場人物の子供達の個性が生き生きと描かれ、100年経った今でも色あせない。

イギリスにはアーサーランサム協会もあって、根強いファンに支えられている。


日本からもランサムサーガに惹かれて湖水地方を巡礼する人も多い。


当然乗りましたよ遊覧船「ツバメ号コース」。

ガイドは日本でオペラ歌手をやっていて日本語も少し話せるというロバート。


これが、ハリハウ。

フリント船長の屋形船。

実はVictorianスチームゴンドラだけど、まさにこんなだったそうな。

ベックフット。

宝物を見つけたウの島

馬蹄湾。右の岩がジョンがツバメ号をナンパさせた岩。

そしてヤマネコ島。

秘密の港が見える。

今日は、誰かが停泊していて全然秘密じゃないけどねとロバート。


ツバメの谷。

ズボン破りの坂。

そして、カンチェンジュンガ。

アマゾン川の河口。

アマゾン号が隠れた葦の原。

これで身悶えするのは、ランサムファンだけっていうのはわかっているけど書かずにはいられない。


ロバートは他の乗客には内緒で、彼が集めている世界中のツバメ号の本のリストを見せてくれた。
日本の本も半分揃っている。
スウェーデンのを手に入れるのが難しいんだよね。


私が、日本に帰る時には、私の持ってきた本を全部送るね。

重いから持って帰るのも無駄だし、捨てて帰るのも残念。

私の本が一番喜ぶ完璧な貰い主を見つけたよ。


というと嬉しそうに住所をくれた。

待っててねロバート。
まだ、ノーフォークの湖沼地方で、残りの半分を読まなきゃならないから。 

 





イギリスの友達

2017-07-12 08:20:12 | イギリス

30年ほど前に2年半イギリスの北東の街に住んでいたことがある。

街に1軒の日本人。3歳の子供連れ。しかも、英語が話せない。

2万人程度の小さな街では、プチ有名人。みんなとても親切にしてくれた。

全くわからないのに、コーヒーモーニングやコーヒーアフタヌーン(ま、主婦たちの茶話会ね)に誘ってくれる。

針のむしろのような時間だけど、若かったし、無料の英会話教室と思えば安い。

せっせと出て、みんなが笑うと少し遅れて追蹤笑。わかってないけど、雰囲気だけはつくらなきゃ。


なんてことをやっていると、今度は、ディナーに誘ってくれる。

6時頃出かけて行って、帰るのは11時頃。

10時前に「じゃあ」というのが失礼みたいで、夫婦揃ってヘトヘトになって帰宅。


誘われると誘い返す。

これも無料の英会話教室だと思って、ほぼ毎週誰かに誘われ誰かを誘っていた。


なんてことをやっていると、ちょっとは話せるようにもなる。

だいたい親しい友達は私が口を開く前に、

「あ、コーヒーね」「あ、薬局ね」

などと、テレパシーでもあるかのように理解してくれる。


みんなが、珍しいところ珍しいイベントにせっせと誘ってくれて、もしかするとローカルの人より詳しいかもしれないほどに居心地よくなった頃帰国。


帰国してしばらくすると息子が白血病を発病した。

住んでいた地域にまだあまり友達もいない頃。

病院から帰ってきてイギリスの友達に電話をした。

留守番電話。

「息子が白血病にかかった」

と泣き声でひとこと言って切った。


その3日後、病院から家に帰ると玄関前に花かごが。

添えられていたメッセージは

「Guisboroughの友達から」

息子を失うかもと心細い中で、私は嬉しくて泣いた。


後で聞くと、留守番電話を聞いた友達が、周りの知人に声をかけて私の知り合いだと思われる人たちの家をまわって寄付を募って送ってくれた花かごだった。

何十人もの友達の思いの詰まった花かごだった。

私はまた泣いた。


そんな経験があったら、誰でもイギリスを好きになるでしょ。

で、長い休暇をイギリスでとることにしたのだ。


今いる湖水地方は、私の住んでいた街から車で3時間。

私がいると連絡すると、キャスとロッド夫妻が訪ねてきてくれた。


ゆっくり会うのは30年ぶり。

互いの家族の写真をみながら(ipadは便利)積もる話は尽きない。

お互いに歳はとっちゃったけど、話し始めると全く変わっていないことに気づく。

外見に惑わされない魂の部分で友達になっていると離れていた年月などすぐに取り戻せるのだろう。


翌日は、「まだ行ってないところへ連れて行ってあげる」ということでバスルートのないホニストン鉱山を回るバターミア湖コースをドライブ。


実はバターミアはキャスが子供の頃毎年夏を過ごした場所なのだそうだ。

大学で教えていたキャスの父はまとまった夏休みがとれて

「今年はどうする」と聞くと子供達は口を揃えて

「バターミア」

で、毎年バターミアの同じコテッジに3週間滞在した。

最初の頃は電気もなくてね。毎日、近くの牧場までミルクをもらいに行くの。

寒くなると暖炉で薪を焚いて。

湖で泳いだり、山に登ったり本当に楽しかった。

最初は、あの低い山に登るのが決まりなの。

 

そのコテッジは、60年経った今でもまだ、あった。

「外装とか綺麗にしてるけど、そのまんまだわ」

感慨深げなキャス。


その後、湖畔で大きな流木に座って

「7歳の時の気分にひたっているの」

「あれが、サワーミルクの滝。全く変わらない」

ああ、そんな子供時代を持っているなんて、なんて素敵なの。


その上、二人の新婚旅行もバターミア湖だったということで、泊まったホテルももちろん健在。

「あの部屋だったよね」

「記念日に来たのはあっちのバルコニーの部屋だったね」

と、彼らの人生をたどる半日を過ごした。


私のコテッジまで送るという彼らに、これ以上の長いドライブはさせられない。

これから3時間以上かけてまた帰るのだ。

アクセスのいいケズゥイックで強引に降ろしてもらいさようなら。


「本当にindependentなんだから」と褒め言葉とは言えない口調で言われた後

「次に会うのはまた30年後かしらね」とハグして別れたのだった。


ふたりとも30年後まで、長生きしてください。

私は、きっと生きているから。