北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
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ポターとピーターラビットの村

2017-07-16 21:17:55 | イギリス

トップ画像は、ホークスヘッドの美術館


イギリス湖水地方と聞くとピーターラビットを思い浮かべる人も少なくない。

ウィンダミア湖の西側のニアーソーリーという村に作者のビアトリクス・ポター(1866−1943)の住んでいた家も残されている。

ビアトリクスと湖水地方の出会いは偶然で、毎年夏を過ごしていたスコットランドのコテッジがとれずにウィンダミア近郊で過ごすことになったのがきっかけだ。17歳の時のことである。

以来、その美しさに魅せられたビアトリクスは、湖水地方をしばしば訪れるようになる。

ロンドンの裕福な家庭で育ったビアトリクスは、家庭教師によって教育され、学校に通うということがなかった。

26歳の時に初めて描いたカードが売れる。
それを皮切りに画家としての仕事がはいる。


35歳の時に私家版でビーターラビットの物語を発行。
ここから、「グロスターの仕立て屋」「ベンジャミン・バーニー」の話など続けて商業出版されるようになる。


その頃の編集者ノーマンと恋愛関係になるが、(といってもほとんど二人だけで会うことはなく、文通の時代だった)手紙でプロポーズされた1ヶ月後にノーマンは白血病で亡くなってしまう。ビアトリクス39歳。

 

その収益で、生涯15の農場と4000エーカー以上の土地を買った。 
若い頃から自然保護に関心を抱き、美しい自然が開発業者の手で壊されるのを防ぎたかったのだ。


コニストン湖のそばにモンクコニストン荘園という4000エーカーのナショナルトラストがあるが、これもビアトリクスが 1929年にナショナルトラストと共同購入したもの。
宿泊施設もあって泊まることができる。


その後、ニアーソーリー村のヒルトップ農家を買い、後年、そのそばのキャッスルコテッジに移り住む。

いまでは、その家を含めてヒルトップと呼ばれている。ビアトリクスがなくなるまで過ごした家だ。


ここでは、自然保護活動の一環で知り合った弁護士のウィリアムと知り合い1913年に結婚。
二人が生涯を過ごした場所となった。


ヒルトップは、広い庭に色とりどりの花が咲き乱れている。

入り口から玄関に向かうアプローチは2つあって、どちらも素敵な花の道だ。 

玄関正面の階段を下ると菜園。

いかにもピーターラビットが出てきそうな菜園。

菜園の入り口。こちらも、ピーターラビットの友達が覗いていそうな雰囲気。

それもそのはず、ビアトリクスは実在の建物や動物をモデルにして描いていたのだ。

ニアソーリー村のポストは、そのまま、ピーターラビットが手紙を出したポスト。

村の人たちは、自分の家や自分の知っている場所が物語に登場することをとても喜んでいたのだそうだ。


家の中では、彼女が暮らしていた時とそっくりそのままの状態を見ることができる。

中でガイドをしてくれるナショナルトラストのおじさん曰く、

「私がニアソーリーに住んで21年になるが、その間、一軒も新しい建物がたったことはない。ここは、ずっと変わらずそのままの村なんだ」


「ビアトリクスは死ぬ時に、どんな些細なものも含めて全てをナショナルトラストに寄付していった。だから、この家の中のものは、その時とまったくかわっていないのさ。唯一カーベットだけは、5〜6年ごとに新しいのに変えなくちゃならないけどね」

「書斎に飾ってあるたくさんの絵は、大きい油絵は、弟の作品、この一番上の絵はお母さん、その次がお父さん、一番したのはビアトリクス自身が描いた。才能のある芸術一家だったんだね」 

 「あの棒はなんですか」
 

「あれはね。チーズとかものを掛けておくための棒さ」

ビアトリクス・ポターの家は、そのまま、ビクトリア朝時代の生活がわかる博物館でもあった。


ビアトリクスは晩年は農業とくに羊の飼育に力を入れていた。
湖水地方特有のハードウィック種(当時は絶滅の危機だったとか)をそだててコンテストで銀賞をとったりしている。(羊について知りたい人は、過去ブログをみてね) 

後年は、女性で初のハードウィック種飼育者協会会長までつとめている。

ピーターラビットの作者は、羊の飼育家としても一流だったようだ。

あまり知られていない一面だ。



不便なところにあるヒルトップを訪ねたい方

もちろんホークスヘッドから40分歩くというてもありますが、

マウンテンゴートという会社がホークスヘッドからウィンダミア湖のフェリー乗り場までヒルトップ経由で小さなバスを出しています。
30分おきぐらい。片道5ポンド、往復で買うと安い。 

ということは、ボウネス(ウィンダミア)から船で、対岸のフェリー乗り場まで渡りそこからバスで来ることもできます。
どうやらこのルートのマウンテンゴートのバスは日本のガイドブックでは押さえられていないようで、歩いている人やタクシーの人を見かけましたので参考までに。525番の路線バスより数が多いです。