ドナルド・キャンベル(1921−1967)はスピード王。
世界記録を8回も塗り替えている。
そのうち7回は水上ボート。
一回は車。
ドナルド・キャンベルの物語は、父親のマルコム・キャンベルから始めなければならない。
マルコムは、オートバイレースで2回優勝、さらに車のレーサーとしても活躍した。
メーテルリンクの「青い鳥」に感銘をうけて
彼のレーシングカーは「Bluebird」と名付けられた。
右上がマルコムとドナルド
息子のドナルドも父の影響を受け、スピード記録と戦い続ける。
彼のボートも「Bluebird」と名付けられた。
コニストンに行くとあちこちでBluebirdやCampbellという名前を見かける。
私の泊まっていたロッジもBluebirdロッジ。
遊覧船はCampbell号。
その理由は、すべてこのドナルドキャンベルにあった。
Bluebird K7は、7回の世界記録を樹立し、そのうちの4回はこのコニストン湖で成し遂げられたからだ。
コニストン湖はウィンダミア湖よりずっと小さいが、直線距離が長いため、時速400キロを超える記録樹立には最適な環境だったようだ。
ドナルドの名を不動のものにしたのは、実は、この素晴らしい記録のせいだけではない。
1967年1月4日のコニストン湖の挑戦で、時速480キロのBluebirdは、空中に舞い上がるとそのまま湖にたたきつけられ沈んでしまったのだ。
ドナルドの最後の言葉は「She is going・・・」
この悲劇は瞬く間に世界中にひろまった。
記録樹立を撮影していた映像は、そのまま、事故の記録映像となった。
多くの人が生々しい最後の瞬間を映像で見ることとなった。
コニストン湖は深く、結局、沈んだBluebirdもドナルドも見つけることはできなかった。
彼の次々と打ち立てる記録で励まされた多くの人たちが彼の死を悼んだ。
彼の死後1月28日に水上スピード記録に挑戦し続けた勇気と決意に女王から勲章(Queen's Commendation for Brave Conduct)が授けられた。
その後2001年に家族の願いもあってようやっとダイバーたちが沈んだBluebirdとドナルドの遺体を引き上げることができた。
こうして死後34年たって、ドナルドの葬儀はコニストン村で執り行われた。
今はコニストンの教会の墓地に眠っている。
引き上げられたブルーバードは、ラスキン博物館の一角にドナルドキャンベルコーナーが設けられ、そこに展示されている。
父から引き継いだ命を賭けて「青い鳥」を探す夢は、娘のジーナにも引き継がれ、彼女も女性の世界記録を樹立した。
もちろん彼女の船も「Bluebird」。
親子3代でスピードを追い続けた人生、彼らは彼らの青い鳥を確かに捕まえたのだろうか。