先日亡くなった叔父の元へ母を車に乗せて行きました。
母も姉として会えるうちに会っておこうとシルバーカーを押し歩き
結構な距離を移動してた。
帰りは従兄妹たちが車で送ってくれていた。
肝臓がんが背骨に転移して寝たきりの生活を強いられて2年が過ぎていた。
入退院を繰り返しながらも自宅での療養生活が続いてました。
家族は大変だったと思います。
姉である母が見舞いに行くとわがままを言ったり気晴らしになったそうです。
山形出身の若くして材木屋を開業した亡き父と結婚した姉を心配して
叔父は材木屋を手伝ってくれてた時期があったそうです。
兄が小さい頃はいつも叔父の運転するトラックの助手席であちこちに出掛けるのが大好きで
言葉が乱暴な叔父の「どこ見て走っているんだ、この馬鹿野郎がっ!」って怒鳴ると
兄も真似して「馬鹿野郎!」って言うから周囲から心配されたそう(笑)
時が流れ私もトラックの助手席に甥や姪を乗せることが多くて
親戚からは懐かしがられてましたね。
父と叔父は衝突することが多くてやがて喧嘩別れをする羽目になった。
その後は不動産屋を開業して羽振りの良い暮らしをするようになった。
雪国育ちで倹約化の父と下町気質の叔父は対照的であったけど
一族の男子に与えた影響力は大きかったはずです。
「悔しかったら這い上がれ!」の精神は両家に受け継がれていると思います。
亡くなった当日の叔父の顔は口を大きく開けて苦しそうな表情はまるで他人のようだった。
妹から「生花」について聞かれすぐ近所の叔父の元を訪ねたら
叔母から「折角だから会っていきなさいよ」と納棺された叔父の顔を拝むと
口は閉じられて死に化粧をされ懐かしい叔父さんの顔に戻っていてホッとした。
親族として 叔父が恥ずかしくない葬儀を営んであげたいと思います。