医者か陸上か苦悩…それでも夢へと走る 「焦るな」同級生の言葉に感謝
特別な感情を胸に秘め、取り組むアスリートがいる。陸上女子800メートルで18年日本選手権4位の広田有紀(25=新潟アルビレックスRC)は、昨春に医師免許を取得した。秋田大医学部を卒業した後は研修医になることを先送りし、競技に専念する道を選択した。その後、世の中は新型コロナウイルスの猛威に見舞われた。今も終息の見通しは立たない中、医師免許を持つ者として、アスリートとして、その思いを語った。 【写真】白衣をまとい笑顔の広田 陸上女子800メートル 広田有紀(25=新潟アルビレックスRC) ■『よしやるぞ』矢先 今も葛藤がある。「完全にゼロにはなっていない」のが本音だ。とはいえコロナが始まった昨春は、もっともっと心が揺らいでいた。広田は当時を振り返る。 「陸上一本に絞って『よしやるぞ』と思った矢先に、医療従事者の苦悩などのニュースが毎日、流れていた。自分のやりたいことと、世間で求められる人材の必要性を考えた時、自分はこんなことをしてていいのか。そんな葛藤はありましたね。『好きなことをやりたい』なんて、言っていられないんじゃないかなと、毎日、思っていました」 ■社会的意義を考え 医師というのは、資格を持つ限られた人しかなれない。誰しもなれる存在ではなく、その資格を自分は持つ。だからこそ、社会的意義を考えると、心は複雑になった。「この葛藤の中で、陸上をするのが両立するよりも一番しんどくて…」。毎日書いている日記で、感情の整理もしていた。 励みになったのは、研修医となり、医療現場の最前線にいる大学の同級生との電話だった。「医療が大変な時に、私は走ってていいのか」「医師の世界に戻ったら、ちゃんとできるのかな」。葛藤や不安を打ち明けていた。そして、いつも「応援してるよ」と励まされた。心に残っているのは、「焦るな」と言われたこと。「焦るなとの言葉は陸上一本にのめり込む上で、貴重でした」と感謝する。 ■「忘れていないよ」 もちろん苦悩を聞く側にもなる。医療従事者は外出や休日の過ごし方など生活も制限され、今なお仕事も多忙な日々を過ごす。だからこそ、「みんなのことは忘れていないよ」と伝えるようにしている。「それが私にかけられる言葉」であり、心から思っていることだ。苦しい中でも友人たちが「まあ頑張れているけどね」と前向きに話しているのを聞くと、「自分よりも過酷な状況で頑張っている存在が身近にいる。勝手に励みになっているんです」。 ■電話「延期したい」 もともと秋田大卒業後、すぐに研修医となるか、競技を続けるか、悩んでいた。思いが固まったのは5年生だった18年日本選手権。自己ベストとなる2分4秒33を出し、4位に入った。実習などの医学部のカリキュラムをこなすには、練習は夕方5時半から限られた時間でしかできなかった。大変な勉強と競技の両立は「誇り」でもあったが、もっと走りたいとの欲が出ている中では「中途半端」にも感じた。「もっと時間をかけたら、もっと可能性が広がりそう」と思うようになった。レース直後、眼科の開業医である母美恵さん(59)に電話をかけ、意思を伝えた。「研修医になるのは延期したい」。最初は驚いていた母も「好きにしなさい」と背中を押してくれた。覚悟が決まった。 20年2月に医師国家試験に無事合格。「合格率も高く、何も特別なことはしていない」とさらり言うが、試験の直前期は「1日10時間ぐらい」の勉強をしたという。同年4月から出身地である新潟アルビレックスRCに入団、念願だった競技に専念する道を歩み出した。しかし、結果を求めるあまり、オーバーワークで、同6月に右アキレス腱(けん)を痛めた。3月にも右ふくらはぎを肉離れしており、負の連鎖に。新潟開催だった日本選手権も「痛くて走るのがしんどかった」と予選落ちで、不本意な2020年だった。今季は痛みも消え、練習を順調に積めている。復活の手応えをつかむ。 ただ女子800メートルで東京オリンピック(五輪)に出るのは容易でない。参加標準記録は自己記録とは5秒、日本記録とは1秒近くも速い1分59秒50だ。「強気で臨みたい。頑張るだけ。コロナ、けがで不安になることもあったけど、目標はぶれずに練習をしている。最大限を日々つなげていけば、もし目標を達成できてもできなくても、それは自信、今後の糧になるのではないか」と話す。決勝は6月27日だ。 ■志望は産婦人科 いつまで競技を続けたいか-。そんな問いには、このように言葉をつむぐ。 「そんなに先までは全然考えていなくて…。女性としての生活、医者としての生活のプランもいろいろ考えているんです。陸上のゴールをいつにするかは、今年の日本選手権の後に、すべて決めようと思っています。五輪を目指して、全力で頑張って、自分に可能性があると思ったら、もう1年、可能性がないなと思ったら、夏には研修医病院に就活へ行く予定です」。 医師としての志望は、産婦人科だ。生理の問題など女性アスリートの悩みはよく分かる。自分がアスリートだったからこそできる特別なことがあると感じている。「アスリートと医療従事者をつなぐパイプ役ができたら」とも話す。また研修で、お産を生で見た時に「最後に『おめでとうございます』と言える素晴らしさ」にもひかれた。 将来はどんな医者になりたいのか? そう問うと「難しいのですが、それ考えるんです」と笑い、こう言った。 「お医者さんは忙しくて、患者さんに近いようで、遠い存在になりがちと聞く。だからこそ、患者さんの側にいられるお医者さんになりたい。こうやって陸上関係者とも医療関係者とも関われたことで、コミュニケーション、人との関わり方も勉強させてもらった。せっかくつけた力を生かして、患者さんから話を聞き出し、寄り添えるお医者さんにはなりたいですね」 アスリートとして、ドクターとして。その2つの道を究められるのは、希少な存在だ。だからこそ、目指す姿がある。【上田悠太】 ◆広田有紀(ひろた・ゆうき)1995年(平7)5月20日、新潟市生まれ。新潟高から秋田大医学部に現役合格。陸上は同市の白山小5年時に吹奏楽と両立する形で始め、ずっと800メートルを中心に戦う。新潟高では2年で国体、3年で全国高校総体を制する。秋田大6年時の日本学生対校選手権は2位。好きな食べ物は「1位が真鯛。2位が中華くらげ」。趣味はユーチューブを見ることと猫カフェ巡り。165センチ。 広田の他にも医師を志すトップアスリートはいる。ラグビー・ワールドカップ2大会連続日本代表で今季で引退する福岡堅樹は今春から順大医学部に、柔道女子18年世界選手権金メダルの朝比奈沙羅は昨春から独協医大に入学。陸上男子110メートル障害で日本新を樹立した金井大旺は東京五輪で競技を引退し、歯科医を目指す。陸上男子400メートル障害で49秒50の真野悠太郎も医師国家試験に合格、3月に名大医学部を卒業。
こういう人が羨ましい。
五輪出場選手の中にはプロスポーツが存在しない競技を極めながら生活が困難な選手もいて
女子サッカーが初めて五輪に出場した時の荒川(ボンバー)選手もスーパーのレジのバイトで
生活を維持してたそう。
選手村での食事は男子サッカーチームが専属シェフを連れて行ったので
女子選手の食事を負担してくれていたそうです。
この後、なでしこジャパンとして注目され女子サッカーリーグも創設され
後進の育成に大きく貢献してくれましたよね。
日本ではスポーツ選手として生計を立てるのは難しいから
五輪でメダルを獲得する事で注目されて道が拓ける選手も多い。
フェンシングやカーリングもその代表的な例ですよね。