『聖愚問答抄』
「今の世は濁世なり。人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修業も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。(中略)今の世をみるに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし。』
本日、郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺の御講に行って来た。本日の御講の参照御書の御金言である。
ここで、「この時は読誦・書写の修業も」とあるが、御住職様のお話だと、日蓮宗身延派は、無理やり法華経二十八品全部を長々と長い時間読み上げていると言う。
日蓮正宗では、大聖人様が、御書で法華経方便品と寿量品とお題目に限る、との仰せをひたぶるに守り、代々受け継がれてきた。それは、真の血脈相承、法水写瓶、唯授一人の法灯連綿たる、日蓮正宗第二祖、阿闍梨日興上人様以下、代々の猊下様お一人のみに御相伝あそばされた日蓮大聖人様の御教えを現代にも受け継ぐ我ら日蓮正宗法華講の信心の中にのみ、伝わっている。伝家の宝刀、正統性、正々嫡々の仏さまの子、使いが我ら、日蓮正宗の信徒なのだ。
この「聖愚問答抄」の話の筋は、法華経を弘通する聖人と、道理に暗い愚人が、七段にわたる問答形式で構成され、儒教・律・真言・禅・念仏などの信仰を遍歴しつつ、聖人と巡り合い、様々な質問を繰り返しながら、聖人に破折・教化され、ついに妙法に帰依する姿を描いている。
五濁悪世の時のこの世の濁りを劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁と表し、中でも見濁の中の見取見とは、劣っているものを勝れていると見誤る。この場合、創価学会は、自らを創価学会仏と名乗り、池田本仏を唱える。未来の経典には、創価学会仏と書かれるだろうと、どこの与太者の与太話なんだろうと笑止千万極まりない。
新興宗教教団に成り下がった池田創価学会。これからどんな珍奇で出鱈目な自身に都合の良い教えが出て来ても、誰も何も不思議じゃない。あたふたと焦り、行くところまでゆくつもりなのだろう。御勝手に、とこちらも静観を構えるのみ。
邪教創価を生み出してしまった日蓮正宗には責任はないのか、と問われれば、破門に付した経緯から、もうとっくに縁は切れた。ただ、正宗は親の立場から、出来損ないのバカ放蕩息子の創価学会各個人会員には善導の救いの手は差し伸べて遣わしている。それ以上、どうこういう筋合いなどはない。
日蓮教団の歴史は分派の歴史。情けないが、これだけ多種多様な人々がいるのに、自分はその任にはないのに、正統性がないのに、自分こそが正しいと我見を張った者達の分派活動に端を発する歴史。キリスト教も似ているが、元をたどればカトリックが正統なので、今はカトリック教が、教えは厳しいが最大派閥だ。
日本の日蓮教団でも、三大秘法の本門戒壇の大御本尊を掲げて、大聖人様直系の、歴代の御法主上人猊下様を旗頭に先頭に立つ、日蓮正宗こそがこの日本国の中でも、本来ならば横綱級、チャンピオンにならなければいけない。
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」(「開目抄下」日蓮大聖人御書五七二頁)