goo blog サービス終了のお知らせ 

Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

今日買った、CD、写真集

2022年12月10日 14時27分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

  

今日は、先程の記事にも合った通り、クリニックに行き、先生に会い、話す度毎に、何か、余計にストレス、心の負担が増し、その腹いせか、最初に、帰り道の途中で、中古古本屋、ブックマーケット郡山うねめ通り店に立ち寄った。
 そこで、最初は、ゲームソフト、私が所持している、「任天堂スウィッチ」のソフトを買おうかと思い、何か良いものがないかと、物色していても、皆、高い。
 良いのは、皆、一本、三千円、四千円、もっと高いのになると、五千、七千円なんてものまであった。この店が高すぎるのか、中古にしては、高いなあと思い、諦めた。
 そして、写真集コーナーに行った。そこの、男性写真集のコーナーにて、私は韓国ドラマの、「冬のソナタ」の、ペヨンジュン氏が今でも大好き、大ファンなので、無いかなあ、と思って探しても、やはりそこにはなかった。
 それで、ハ行から、マ行へ移ると、マ行に、「松山千春写真集・『激流』」とあった。これは!と思い、私は、値段を見た。
 三百円。安い、と単純に思った。これだけの体裁の本が、たったこれだけの値段。安すぎる。即決だった。 
 そして、今度は、CDのコーナーを物色した。まずはクラシック。ヴィルヘルム・ケンプのCDは、ベートーヴェンのピアノソナタ全集他がうちのPC、パソコンには入っているが、モーツアルトのピアノソナタは、数曲のみで、全くと言っていい程、無かった。ここに売っていたCDには、ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」という、超有名作。あと、幻想曲二曲、ピアノソナタ第8番、等々この一枚に入っていて、五百円なので、これも即決。
 その後、又、クラシックコーナーを物色していると、ピアニスト、フリードリヒ・グルダの、これも、モーツアルト、ピアノソナタ集(おそらく全集か?)六枚入りの、輸入盤の超大作CDが、1,800円で売っている。モーツアルトのピアノソナタは、うちでは、うちのPC、パソコンの中では、モーツアルトのピアノ協奏曲全集は持って居たが、ピアノソナタは、一番手薄な作品群であり、ベートーヴェンならば、ピアノ協奏曲全集も、ピアノソナタ全集も三つも四つも五つも入っているが、モーツアルトは不覚にも、全くと言って良い程の、無きが如しであった。
 これもゲット。
 今日は、妙に、モーツアルトじみていて、モーツアルトに縁があり過ぎる。
 次に、軍歌大全集、というCDが、三百円で売っているので、これもゲット。
 今度は、ポップスコーナー、Jポップを見ていくと、「アリス」が、ベスト盤二枚が、あった。六百円。これもゲット。
 松田聖子のCDを見ていると、これも全曲ベスト盤があり、皆、モンスター級の、日本人なら、当時の昭和世代、平成でも、彼女を知る者ならば、誰もが口ずさめるような、全17曲。内一曲はカラオケの、大ベスト集が、これは高く、1,200円であったが、これも、ここにこれ一枚しかなく、あとの棚にあるのは、松田聖子の全く知らない、最近の楽曲、CDばかりが置かれていたのを見て、これ、このCDも、私が買う運命、宿命だ、と思い知り、ゲット。
 最後は、後ろ、背面の棚を物色中、フォークソングの、というか、ニューミュージックの、昭和時代の名作が聴きたくて物色中、「五輪真弓」が目に留まり、これも、ヒット曲集、ベスト盤で、六百円也。これもゲット。
 しめて、五千三百五円。皆内税、税込みであった。五円は、買い物袋代金。
 今の時代は、通信の、ダウンロードという、便利な機能があるが、それも、一曲二、三百円と、結構するものなのである。音楽を手に入れるならば、中古か、一番いいのは、やはり図書館等であるが、図書館はうちからは遠く、やはり、中古CDは、「やっと手に入れた!」との実感、欲しいモノが格安で手に入ったとの、嬉しさが実感できて、その喜びに満ち溢れるものだ。
 これを、今、パソコンに入れようとしている最中である。

 以上。よしなに。wainai

『文学崩れ』

2022年12月10日 13時57分19秒 | 学校・教育への提言特集、注文・学校・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
 私が福島県立安積高校時代、高校の先生、担任は、男性の、国語教師で、この教師を、私は余り好きではなかった。
 何かだらしない。何か不熱心である。自分の、教育熱心さが全く無い。
 私にとり、欠点だらけの教師であり、私は、心底嫌った。大嫌いだった。
 このクラスは、このだらしない教師の影響を常に受け、学年最初当初の学年発足スタート時期は、成績では他のクラスよりも常に一位、二位の、上位をキープしていたが、この教師の受け持ちの期間は、特に後半などは、次第に成績が低迷しだし、最下位すれすれに大低迷した。実際に最下位の憂き目にも遭った。
 全ては、本当にだらしがない、この教師の、怠慢、驕慢、懈怠の教え方、考え方、指導の仕方の過ち間違い、生活の乱れたこの教師自身の性質、資質に負い、伴うものであった。トップが狂えば、末端までが狂う。今の池田大作率いる創価学会と同じ論理である。
 ある時、その教師は、自身が仙台市の、東北大学文学部国文科出身であり、その、仙台の街にて、その日は大いにはしゃぎ、飲み歩き、同じ学生連中と店から店へと梯子(はしご)して、大酒を飲み下し、仙台を大股で歩き、大袈裟に、えばったような事を言い、大威張りで、我らクラス生徒に誇らしげに語ってみせた。
 私は、その時、それに対して、無性に腹が立ち、家に帰り、その事を、あの先生は、どうもおかしい、不真面目だ、おかし過ぎると、真面目になって、うちの母に直訴し、訴えた。
 すると、うちの母は、母は大学へは進学はしなかったが、実際、東京の新宿区にある一大進学校、東京都立戸山高校生時代から、その卒業した後、その人達が大学へ行き、その後の人生も実によく知っているらしかった。
 その先生の、汚らしい程の、行状記、バンカラ、破廉恥(ハレンチ)振りを、私が母に語り、言うと、即答で、「そういうのは、そういう人を、大学文学部出身者の、『文学崩れ』と言う」と言い、そう、はっきりと言って、結果、母も私と同盟を結んだ形になり、その先生を親子二人で軽蔑し憎悪した。
 母は、文学者、この場合、その、生活が乱れた作家陣、無頼派と呼ばれた駄作・「人間失格」の太宰治、や、もっと前の、「布団」の、田山花袋など、そういった、乱れた生活を送りつつ、自分の執筆した作品、下卑た作品を提示・陳列し、目の前に見せ、迫って来る様を、非常に厄介であり、それら文学者、生活の乱れた文学者共を、大変に心底から軽蔑していた。これには、私も一理あるなあと、深く日頃から思い、感じていた。
 私は、その日は、家に帰っても、その変な先生の事が気になってしょうがなかったが、うちの母の「文学崩れ」の言葉を聞き、絶対に自分は、大学の文学部になんかは進学したくない、と思い始めた。そうして、妙に安心して、その日明日の予習をして、自分の床に安心して入れて、ぐっすり眠れたのを、昨晩の如くに、今も思い出している。

 以上。よしなに。wainai

ちゃんと道路交通法を守っている原付バイク

2022年12月10日 13時49分05秒 | 各種交通機関、車、電車、自転車等軽車両、歩行者、交通マナー等々。道路交通法
 今日、クリニック通院の為、自転車にて、帰り道に、横断歩道に差し掛かった。
 そこへ、向こう側から、原付バイクが一台、通りかかった。
 私は、横断歩道で、自転車に乗り、自分が渡ろうとするのを待ち構えていたが、きっと、原付位の事だから、私を無視して、通り過ぎるだろう、という位にしか、思ってはいなかった。
 しかし、今日、この時の原付バイクは、私の存在にいち早く気付き、十メートル、五メートルと次第に減速してゆき、遂に、横断歩道の前にて、停まった。
 私は、その、彼の思いに応えて、深々と礼を返し、その横断歩道を自転車で渡り、その場を後にし、去った。
 今日は、何て、いい人に出会えたのだろうと、いう思いを深くしている。

 以上。よしなに。wainai