私は、この所、考える所がありまして、
作業所もそうなんですが、
先日来、星ヶ丘等々の、
デイケアに通おう、と思ってきましたが、
それを翻意し、翻して、
いっそ、それらをも、止めてしまおう、と、
思い立ちました。
まあ、有難いとも思うんですが、
私としては、精神的な負担、御国に厄介になり過ぎている、という、
負い目ともなる訳です。
その件に関して、以前、お寺の、Kさん、ここではもうバレているかもですが、
一応、そのまま、Kさんとします。
Kさんにも突っ込まれたのですが、
それに対して、私の返答は、この場合、
名実ともに、と言われる如くに、
名を取るのか、詰まりは、名誉を重んじ、名を上げる事に汲々とするのか、
それとも、実を取るのか、実体、それこそ、果実としての、実、を取るのか、
二者択一に迫られた時、私は躊躇なく、「実を取る」と明言致しました。
それに付いて、Kさんも、それで行くんならば、
全て、今の状況に、有難い、感謝を以て、暮らしてゆく事だ、と仰られました。
私の胸算用からも、御国への私の申し訳ない気持ちからも、「いけ好かない」訳です。
そこで、考えました。一端、白紙に、この問題を、戻そうと。
私を、作業所へと、そこで働く事を非常に勧めてくれた方は、
福祉の、「AS館」の「H本K子」さんでした。4、5、6年前にです。
その情熱というか、彼女、H本さんも、丁度、たしか、
その、H本さんの相談員としての、御役目が終わるか終わらないかの時の、
その前だったかもしれませんが、H本さんも、私を急かせて、
急いで作業所へと、私を急き立てたのでした。
それ以来の、作業所勤務でしたが、元々は、私は、「お寺に通う」という、
選択肢を、それにより、一週間に何日間でしたが、失った訳です。
元々は、私の生活リズムは、お寺に通う、時には夜も、という、
サイクルが、くるくると、私の生活リズムとしては、最初から、そうなっていた訳です。
私は「お寺の子」「お寺で仏道修行に励む仏教徒の一人」であったのです。
それが、元々の、私の、姿、この、作業所生活に入る前からの、スタイルだったのです。
そこへと、元へと、素の自分、元の自分へと、戻ってみようか、と、
自分は今、考え方が代わり、それを実行してみたい、と思って居ります。
今は、とにかく、もう、これしかない。
お寺に戻る。日蓮正宗無量山寿海寺へと舞い戻る。これ以外に無い。
こう、思う次第です。
私は、何も、これ、この決定には、不満も、不服もありません。
以前のままの、六、七年前の、生活態度、あの頃の、自分に戻るだけの話ですから、
大満足な訳です。
よって、私の考えは、朝令暮改、直ぐに考えが変わるタチでして、
それを、人は、「君子豹変す」とも言いますが、
これは、誰からも言われた事、強制では決してないんです。
皆、自分で、自前で決めている事なのです。
ですから、このまま、私なりに、将来は、又、どういう決断、結論に至るかは、
時のみぞ知る、これでいいじゃありませんか。
そういった話であり、私は、これから、日蓮正宗のお寺で、仏道修行に励みます。
これこそ、「純情一直線」と名付けて良いと思います。
以上、長くなりましたが、私の生活態度に関する、小話を、ここで、述べさせて頂きました。
お付き合い頂き、誠に有難う御座います。言いたい事は、全て述べました。
以上。よしなに。wainai
(編集後記)
筆者記す。この決断には、何十年前までには、市内に、40か所程度の、作業所が存在した。それが、現在では、ほとんど、業態を代えてしまい、福祉職員の方々が仰る通り、私のニーズに合う所が、ない。
今、通っている作業所に通おうにも、そこの、作業所の管理責任者が中心となり、私の再通所、再開する事に、反対の意見を、私がそこへアポ、アポイントメントを取ろうとする度に、邪魔立てされる。
そこで、就労移行支援事業所、そうして再度、福祉作業所、遂には、病院でのデイケアにまでこちらは身を翻し、考えを改めて来たが、それすら、何だか、バカらしくも、愚かしくも、自身で思えて来た。
そこで、私個人の考えが二転三転して、産み出した結果、結論が、今回の御話しである。
そこを、福祉関係者、その他の人々には、大きな目で見守り、見詰めて欲しい。
以上。