昨日の(11月9日土曜日)のgooブログでは、こんな質問がコーナーにありましたので、線で囲った、一段落目にある通りに答えました。
今日のひとことテーマ:やってみたい習い事は?
それは沢山有りましたよ。ピアノにギター、楽器類。大卒資格を取る為にもう一度大学へ行くとか。しかし、年齢的な事、経済面、地理的、労力手間暇、全ての面で諦めて今は独力で自学独学です!
習い事とは違うかも知れませんが、私は、直接大学、なんとか大学へもう一度行く、とかじゃなくて、自分のバーチャル・仮想の、言ってみれば、「人生大学」「社会大学」とでも言う様な、或る意味、自己に責務を課して、コツコツとこなして、自己の人格陶冶、向上に寄与するやり方・学びが自分には一番似合っていると思う。それも、地位や名誉とも一切関与せず、学びの宝庫でありながら、世俗から離れている風のものが。世俗に近くても一向、構いませんが。
先ほど言った、それこそが、一番に経済的にも、地理的にも、年齢面労力手間ヒマ、全てに於いて凌駕する、と。
これは、私が二年前に一か月間入院していた時に、同部屋の、八十歳を優に超えて、けれども、体は曲がっておらずにすこぶる健康体で、一時的に思える精神だけの病で、しかも、熱心な読書家・勉強家であり、今まで、本を読む事には長(た)けていて、松本清張が好き、歴史小説物が好き、文学書も好き。病院の図書室の本はほとんど全部読んだと言う。
その方が、その先程言った、「人生大学」「社会大学」の入学者、永遠の学生生活、卒業の無い、人生行路を選んだ、と私がその方から聞かされた時から、私自身も、是非見習いたい、と望んだ事なのでした。
その方の学歴は中学校卒だが、昭和も戦後の、家も貧しく兄弟姉妹も多く、学校へ行くどころでは無かった。
そこへ、私の様な、学歴コンプレックスの、途中までは優等生コースに乗っかっていたものが、或る日、突如、ドロップアウト宜しく既定路線から出て行った。
そんな自分と高齢の彼とが、デコボココンビの様に、互いに、むしろ私の方から興味関心をいだき接近した。実に今となっては全てが懐かしい。
今の質問の、「習い事は?」の範疇には、ギリギリセーフで、この事は済むんだと思います。
それと同じ伝で行き、習い事、自己学習、音楽家に私淑する形で、私は音楽の学習の分野でも、自学自習、独学独習は全く有り、だと思うのです。
そして、音楽の傾向性もありますが、時々、音楽アーティストのCDを聴いてみたり、実際に音楽コンサートを、素人もプロも問わずに出掛けて聴きに行ってみる。そうした微力ながらの努力が、実を結べば素晴らしいなと思います。
私は、実際、幸せ者だと思います。音楽という、趣味、人生の友を得ているのですから。これに優る大親友はないと言えましょう。
それと、再度私の生き様を振り返ると、人生大学・社会大学、とあのわたくしの病院入院時代に於いて、忘れ得ぬ高齢の御方が、私に私のこれからの道筋を指し示してくれた御恩を忘れず、日々勉強、努力の、人生哲理哲学を学ぶ学徒の如くに、日々精進してゆきたいです。あの出逢いに誠に心からの大感謝です!
それに加えて何よりも、これは私の思想信条の一丁目一番地の、信ずる宗教、御本仏宗祖日蓮大聖人様が御説き遊ばされる「日蓮正宗」をともしびに人生上に掲げて、信じ仰ぎ、尊び敬い、自行化他行による、仏道修行に余念なく取り組んでこれからも生きてゆくのが私の望む生きる道です。
大聖人様も御書の中の御金言で、この信心をする者に「鬼にかなぼう(金棒)たるべし」(「経王殿御返事」御書六八五頁)と仰っております。
これは正に我が日蓮正宗信徒に、向かう所敵なし、の境涯を示されておると解釈され得る所であります。
以上。よしなに。wainai