私は、今までで一番モテた時期が、小学校に入る前の、保育園時代にあるのではないか、と思う時がある。
私と母は、当時の、横浜桜木町行きの、私鉄・東急東横線に乗っていた。
しばらく、私は、外の車窓を、まぶしげに見詰めていた。
そうしたら、目の前の横座りの座席に座っていた、私と同じくらいの女の子が、私の前にいて、しきりに、その母親に、この或るものを私にあげてくれ、と必死に指図しせがんでいる様子が私の目にも認められた。
そうして、私と母の分、詰まりは二個分の、当時、今ではもう売らなくなってしまった「チェルシー」の紅茶味だか、コーヒー味のキャンディーを、私達母子に、その母親が、笑顔満面で、その女の子がどうしてもこの男の子(私)にあげて欲しいと言うものですから、と言って、それを差し出して、母の手に渡した。
あいにく、私たちは、飴も何も持ち合わせずに、悪いわねえ、何にもお返しが出来なくて、と母は言い、私にそのキャンディーを差し出してくれた。
その場には、その女の子の、明らかに私に好意をいだいた印としての上品な雰囲気が客席には漂い、私にとっても、何か大げさな感じがしないでもなかったが、その女の子の、これは少女の自然な感情なんだと、私なりに受け止めた。
確か、私は母に促されて、「ありがとう」とお礼のあいさつをしたように思う。
確か、私達が横浜へ着く前に、その少女とお母さんは、途中で下車して行った。
私は、その後、横浜の街で、その日一日、それらの事を心に留めながらも、いい気分がした日和であった。
そのチェルシーの宣伝文句も丁度、「あなたにも、チェルシーあげたい!」という、外国人風の女子が語るCMであり、私も当時を思い出しても、そのCMそのまま、地で行っていたと思う。この話も良くできたものだが、全て、事実である。
私にとって、この一点を思い出しても、少年の頃の私の方が、今は三枚目どころか、五枚目かも知れず、脇役人生、助演男優賞を受けたい位の、目立たなくても良い存在の私でいたい、とさえ思っているが、この当時は、どうやら私は、二枚目で通っていたようである。
むしろ、これからの人生が、その私の真に望む、脇役人生の真骨頂となるべく、縁の下の力持ちを任じて、私なりの一生を責任を持って生きて行こうと思う、私である。
以上。よしなに。wainai