Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

餅は餅屋の、この世の掟。

2023年03月08日 13時43分23秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 最初に、長文となる事を、お断りし、失礼致します。

 関係者、専門家、専門医、プロフェッショナル、でも全くない、素人風情の、ど素人が、専門家以上に、かまびすしく、大騒ぎで、自論を開陳している、この世の中、我がお寺の内部事情。
 我が寺で、講頭を務めた人物が、いっぱしに、これ見よがしに、その、珍論、ちっとも専門性に基づかない、「自論」、「我見」に自身の目が曇った、狂論を述べ立てていた。
 いわく、○○君(わたし)などが飲んでいる薬なんて、対症療法、症状を誤魔化しているだけであり、効き目なんかは最初からは全くない。
 第一、○○君は、福祉のお世話になる、成っているってことは、それは、国家のお荷物、国家の屑、と言う事だ、と私に言った。相当、骨の髄まで、福祉に搾り取られて、搾取を生み、国の税金、皆、アンタがやられている事は、ムダなんだよ、無駄にすぎないんだよ、こう、この講頭には、お寺を舞台に、言われた。
 後は、平信徒の、五十代だか、六十代だかの、東京電力からお金をたらふくもらい、就労しなくても済んでいる、その男が言っていたのは、自分の裁量で、飲んでいる薬が重いと感じたら、その時、自分で、自分のさじ加減で、薬を調節、つまりは、薬を自分の足りぬ頭で考えて、自分の裁量で減らしてもいいんだと、何が心身に効いているのか、分からないど素人が、それを自説、我見たっぷりに、言う。
 私は、それは、自分自身の信条に基づき、絶対に、先生、御医者様の処方、薬剤師さんのやり方に、絶対服従であり、そんな、悪魔の誘いには、一切、動じなかった。
 すると、その壮年のお寺の男は、そう、○○君が言うんなら、そうするしかない、と言う。
 
 要するに、このお寺の機構、仕組みとして、素人で、何の専門性、大学で六年間もの長きに亘って、医学部なり、薬学部なりの、看護師であれば、看護学校三年間の修業を積んだ人々、大学を出た、医師医者先生を始め、精神保健福祉士や、福祉の資格ならば、社会福祉士、介護福祉士、ケアマネ、等々、の本物の専門職、プロフェッショナルの、専門家でもない者共が、外野からあーだ、こーだ、との、余計な意見、外野席の、一番やっちゃならない事をやっている。
 テレビを見たって、分かろうというものだ。テレビでは、その、個々の問題に対して、ニュース番組にしろ、ドキュメンタリー、クイズ番組、芸能情報に至るまで、皆、専門家の、コメンテーターには、専門職の人達を必ずに、配置し、出演させて、お話を皆で有難く拝聴し聞く。それは、マスコミ関係に勤めていれば、常識であり、新聞や、ラジオなども、皆それを踏襲している。
 ただ、要注意なのが、今のこの「ネット時代」「ネット社会」の、インターネットの世界だけは、信用成らぬ、「個人の意見」がまかり通っている。これは、一般大衆、私を含めて、自由にモノが言える世の中になって、良くはなった、風通しが良くなった、とは、一概には、全ては言えない。
 そこには、フェイク、ウソの情報も、中には要注意しないと、ウソを吹き込まれて、信じ込んでしまう、デマの危険性とは、常に背中合わせである。
 だから、私などは、こうも、ネットばかりに熱中していて、肝心のテレビやラジオ、新聞等々の、一般マスコミ情報に対して、目を耳を傾けて、注目をし続ける、監視をしながらも、その、NHKなり、民間放送成りに、少しは、集中して、注視し続けなければならないのではないのか、そう強く、思う。
 あんまり、今の自分を言ってるようで、皮肉がブーメランの如くに、自身に返って来ているが、ネットを信じすぎるのも、良くはないな、というのが、正直な感想だ。
 ネットを通して、万人が万人、皆が一億総評論家コメンテーターになって、そこで議論するのは大いに民主主義の為には、大きな成長、この世の進歩を意味するが、そこには光と影の、一応は、影の部分の、大きな弊害があるのは、これは事実だ。
 そんな風潮も手伝ってか、その影響を悪用して、全く専門家、プロフェッショナルでもない、赤の他人、ど素人風情、素人集団の、それが例え、お寺関係者であろうとも、そいつらが医学や薬学、福祉学にいちゃもん付けて、それらを代弁して、代表して腐って、意見を申すなどは、絶対に許されない。そこには真実はない。全くの素人意見である。いっぱしに、世の中、舐め腐って、言ってんじゃねえよ、ってな話。この、すっとこどっこいが。少しは自身で、自重をしろやってな話よ。
 だからこういう組織は、コワいのだ。上意下達で、トップダウン式がこの今のお寺の体制。ボトムアップの、下から突き上げて、下の意見などは、全く通らない、風通しの悪さ。これは、創価学会が現在悩みに悩んでいる、ビューロクラシー・官僚制に、我が日蓮正宗も、その渦中にある、いる事、その宗派の限界性を示している。
 だから、これを改める、「改革」「革新」「刷新」がどうしても必要だ。学会は、「人間革命」なる、「革命思想」があるから、まだ、改革の徒としての気概がある方だから、まだ組織は無傷で、それ程、官僚制、官僚的だが、日蓮正宗ほどの差別主義は、おそらくはないのであろう。
 思うのは、この、講頭・役員たちと平信徒、の差、その差別意識は、我がお寺には、差別や派閥はない、とは豪語するが、本当かなあ、との疑義は、私のような一般平信徒から、ボトムアップ、下側からの突き上げで、これは上層部に上げる努力は、認められねばならぬ。ただ、講頭以下、役員たちが、ふんぞり返って、自分の権力の横暴を振るう、勢いに任せて越権行為をする、それらには、それを、正宗、御宗門の御旗を借りて、自身の間違った意見共を、これ見よがしに、その我見を仮に、例えとして、私ら平信徒に押し付けて、攻めて来た時には、私は、一宗一派の独立を謀っているのではない事をお断りしつつ、全面的に、それら権力を、名誉職、実権などは全くなく、威張り散らしたって、その実、講頭、お寺のトップなど、誰でもなれるし、御宗門との、誓約書を交わしたり、契約書を交わす訳でも全くない。元々無責任な立場が、お寺の、講頭と言う立場なのだ。お寺の御住職様が、仮に任命しているに過ぎない。そいつらとは、私はこの宗で、立派に闘う覚悟は、あるよ。そういう、話だよ。講頭だからって、何も、偉い訳じゃないよ。
 それが証拠に、以前、過去には、他支部にて、講頭職を、夜逃げする形で、逃げて、借金を抱えたのか、犯罪に手を染めたのか知らぬが、実際、辞めた人間もいたらしい(その言質は、私の古いガラケー携帯のメールに、お寺の情報として取ってある)。
 とにかく、テレビ新聞ラジオ等々の、公の、マスコミ媒体と、それらに対抗(出来てんの?果たして?)して、ネットの類とは、その地位に、雲泥の差が、月とスッポンの如くの、天と地の差があると言う事。
 私のお寺の素人共、素人集団にも言える事だが、思い上がるな!!素人が素人の分際で、いっぱしに、何を言ってんだ、何を語ってんだ、ってな話だ!!
 
 よって、私の最終結論としては、この寺域、お寺の狭い世界に於いて、これからは、信心と、信心との、闘いとなる、成り得る話。それを、これら、寺関係者達は、それは、勝他の念、勝ち負けにこだわる、等々言い募るが、ケンカ上等、こら、やんのか、こいつめが、やるんならば、正々堂々、タイマン張って、一対一で、男同士、堂々と、正しい方法で、シカトなんかせこい事しない事を条件に、タイマン張ろうじゃないか。そう申して居る。
 私を無視したままでは無くて、ちゃんと、一人の人間として認めた上での、人格、人権、人のプライド、誇りというものを、当然認めた上で、対等に、信心のタイマン、張り合い、ツッパリ、ケンカ、暴力暴言を除いた、刑法に触れない、ストーカー規制法等々に触れない範囲内において、合法的に、一緒に、手を取り合って(そういう、Tewotoriatte、という、Queenの歌があるが。)対等に渡り合って、競争を、信心の闘いを、私と一つ、やりませんか、と言う話。
 これには、どちらが勝利、敗北、などの、勝敗は関係が一切ない。勝った負けたじゃなくて、ただ、その、プロセスを重んじて、戦いの時の声を上げるのみの、ポーズだけでも一向に構わない。詰まりは、誰も損も得も何も全くない。むしろ、信心に張り合いが出来て、信心の功徳、福徳に溢れ、沾(うるお)う事、請け合い。
 そういった、信心上の、非暴力不服従主義で、立派に、この人生を戦う同志として、長い人生を共に励まし合いながら、闘って死んでゆきましょう。同時に、折伏弘教、信心の深化、自行化他の、勤行唱題行にも努めて努力して、日々を怠らずに、励まし合い頑張り合いましょう、と言う話。お寺にとっては、いい事ずくめ、でしょ!!そうは、思いませんか?私は、何か、間違った事、言ってますか?ってな話。これは暴言・暴力には当たらないはずですよ!!一般庶民の、平信徒の、誠実でフランクでオネスティな意見ですよ!!
 悪い話じゃ無いとは、思うんだけどなあ、と言う話。
 良い提案でしょう?それにあなた方は、いまだに私に無視を企み、続けるつもりですかって話ですよ。道理から言ったって、おかしな話ですよ。

 以上。よしなに。wainai


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2 コメント

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要は信心 (OKSure)
2023-03-08 16:42:06
間違ったことは言ってないと思います。

まとめてみると、要は信心だということ。御本仏はすべてお見通し。あくまでも信心を貫いた者が「逃げたり」せずお寺にも残って何らかの貢献ができるということ。
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すごい (wainai123753)
2023-03-08 22:09:48
要は信心。全てはそこへ集約、収れんされていくのですね。大聖人にだけは、裏切ったり、ウソは言えないもんなあ。お見通しですね、すべて。
この信心は、一度取り掛かったら、最後の完結をどうしても見たい、との、それが為に、毎日の勤行唱題、自行化他の信心の結実が、あるのでしょうね。
とにかく、一に信心、二に信心。全ては努力する、し続ける信心の偉大さが、そこに掛かっている。
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