私は今日、御住職様から、指導を受けました。
それは、私が今、福祉の人たちから、盛んに煙たがられ、嫌味を言われて、
その時、その有力者の一人から、何のための宗教なの?
そういう時の為の御住職様なのではないのか?と難詰されたのをきっかけとして、
御住職様に聞きなさい、聞いてその結果を私共へ教えなさいとハッキリと言われたので、
私は正直に直接電話で、御住職様に、今日は夕拝がありますか「あります」。
私は今、福祉関係者の人達と揉めていて、
その人達から私の言動、行動、話す言葉、書く文章等々で、する事為す事
数々の不貞を働き、苦しめ、徒に時間と手間と労力をお互いに浪費して、
私こと、wainai(私)も疲れ果て、疲労の絶頂にありますが、
彼女らも同然なのです。というと、
御住職様は、
「wainai君(私)も、言葉が時として、その使い方によっては、
暴力ともなり得るし、非常にコワいものであるのは、分かっている筈でしょう。
わかっているけれども、それがやめられない」
ここで横合いから、唐突に、私の発明王エジソンの、二千回の失敗を経験した上での、一回の成功は、
イコール、同じ意味合いがあり、失敗は成功の元。一回の成功の為に、二千回の失敗を経験する意味の大きさを
私は「釈迦に説法」で御住職様に説いてみた。
これに対して、御住職様は、
「それは、その当時のその偉人天才の、失敗の性質が、一つ一つは異なった実験だったから、
wainai君の場合の、同じ失敗を何度も何度も繰り返すのとは意味が違う」
と御一掃される。
その上で、御住職様は、
「二度とおんなじ過ちは決して繰り返さない。
そして、人の欠点ばかりを指摘したりあげつらったりしないで、
出来るだけ人を褒めて、人を喜ばせる言葉を使う事を覚えなさい。
大体、『法華経』自体が、人を褒める経典、喜ばす経典なんだから。
人を喜ばせてあげなさい。そうしたら、自分にも巡り巡って、
きっといつかは自分に還って来るから。いいね。wainai君。
じゃあ、お寺で今日は待ってるからね」
と御住職様は仰られて、電話をお切りになられたのでありました。
今日の感想としては、「人生、意気に感ず」であり、
まさに、今日の御住職様の御発言は的を射たお言葉の連続であり、
涙している間もなく、私はすぐさま、
お寺に夕べの勤行の為に、急いで家を出て向かったのでした。
以上。よしなに。wainai