Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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宗教論:アンチ星野富弘論、反キリスト教者の弁

2024年09月04日 20時53分34秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 ここで、一つの見解を述べさせて頂きたい。
 私は、かつては、足かけ十年間ほど、キリスト教を信仰していた。していたとはいっても、求道者で、洗礼などは受けていない。
 その中でも、図書館から借りて来て読んだ、星野富弘さんのキリスト教に準じた、則った本を読み、感動で、涙した事があった。
 あれなど、私は現在が不純になったとは決して思わないが、どうしてあそこまで熱狂できたかが不思議だ。あれは、「キリスト教」という衣をまとった、正に「宣教」のトラクトの類の、キリスト教宣伝の一環にまんまと乗せられたとしか今では言えない。
 絵も、今、良ーくと見てみると、当時ほど、私の目は決して腐ったり曇ったりはしてはいない積りだ。けれども、感動がない。一切がない、そこには。ただ、虚ろな幻影が、虚像が、亡霊の如くにあるが如しである。
 むしろ、太陽の塔で有名な、「岡本太郎」さんの絵の方が、核心に迫って来て、私は大好きだ。
 彼こと、岡本太郎氏ほど、チャーミングな人はいまい。それに比べて、壮絶過ぎる、星野氏…。
 比べるのもアレだが、どうしても、その生い立ち、その悲劇の主人公となった経歴から辿って、その人生を見てゆく時に、彼のキリスト信仰への足掛かりと言ったもの、手応えを感ずるのだが、結局、身障者の、寝たきりで絵筆を口にくわえて、画板に向かうスタイル。
 実際の所は、彼以外にも、過去にも同時期にも、同じような境遇で同じスタイルで絵描きをしていた人などは、結構いたようである。それを、星野氏の専売特許として、「絵筆をくわえて草花の絵を描くクリスチャン」との言説に、世が惑わされてしまったようだった。
 色々な所にその絵は引っ張りだことなり、私が見た限りでは、JAFに母が、車の運転で加入していた時の月報の雑誌の表紙を、この星野富弘氏の絵が正に利用されていた。
 私は当時、クリスチャンを目指していたから、当然、どのJAFのページよりも、その星野氏のページ、表紙と、その次のページの解説文を隈なく読んだ。
 しかし、これも、今から考えると、そのキリスト教への信仰心と、商業主義・コマーシャリズム、それと、お涙頂戴の、障碍者へのゴマすりに満ち満ちた、悪徳背徳の臭いの様なものを私は嗅ぎ取らざるを得なかった。
 何事も、美談では済まされない。これを、この、障碍者の一絵描きが、商売に手を染める。
 私は個人の自由な経済活動は認める。だが、あれだけ、お涙頂戴で、可哀想にと、世間様の同情を買い、なけなしのお金をもってして、彼の本となった絵本やら、それら、半生を書き著した絵と文章を、最初の内は、信仰と絡めて、商売っ気などは微塵も無かったはずである。それが今はどうか。金、金、金…。やはり、ここにも自然と、「偽善性・偽善者」「二重人格性・者」の影が立ち現われ、感ぜられる。
 何と、彼には、妻までいるという。我等の世代、安倍元首相を死に追いやった狙撃犯、山上容疑者世代は就職氷河期世代でもあり、結婚もままならないが、この、星野富弘氏には、妻がいるというのだ。これは不思議な関係だ。身障者で寝たきりの身に妻?
 まあ、ゲスの勘繰りと言われるのでこの辺にして置くが、一体、その妻は、不貞を働く、という心配はおそらく、星野氏は、心して臨んでいるものと思われる。食事一切と絵筆の交換さえしてもらえれば結構とな。後は、神に任せます、とな。
 結局、この妻も、子供も産めずに、この、身障者の家に巣食い、暮らしているのだろう。もしや、子連れでの結婚?さあ、そこまでは私は調べる気もないけれどもね。
 この一家を調べ上げれば、幾らでもボロが出て来そうな気もするが、何しろ、日本キリスト教プロテスタント教界の宣教の権威のベールに固く閉ざされた世界、牙城だ、この一家家族と、この星野氏こそは。だから知っていたとしても誰もノータッチ。触れずにいよう、となり得る話。口コミ程度の、ヒマ人以外、誰も気にも留めまいがね。
 誰か、キリスト教徒、クリスチャンで、私にこの件で反論があるなら、これ以外のどの件でも、一切を投げ打って、私と正々堂々と論戦して戦おうではないか!いつでも受けて立ちますよ!
 私は自己紹介をすると、仏教仏法といわしめた扇の要宜しく、先駆け、まさしく、正真正銘の、日蓮正宗信徒である。
 御本仏宗祖日蓮大聖人様、及び、その御建立遊ばされ残された、弘安二年十月十二日の、三大秘法の独一本門戒壇の大御本尊様、この人法一箇の両者を特に極めて尊崇しつつ、それは、大日本国東海地方静岡県富士宮市上条の、総本山富士大石寺に厳護されて確かにあり存在する。
 御開扉は非公開で、信徒のみに公開、会見が許される。これは正宗信徒の特権だ。創価や顕正会、正信会には許されてはいない。
 というより、これら異流義はそもそもが破門されているのだから拝観は許されようが全くない。どうしようもない。
 ここにしかない。他には有り得ない。ここが重要なキーポイントだ。
 その唯一の継承者の、唯受一人、血脈相承の、代々の御法主上人猊下様、並びに、末寺の小師の御住職様、を私は非常に尊敬尊崇して止まない。
 私は、私の事を僭越ながら先程も申したようにご紹介して平たく言えば、私の菩提寺、お寺、東北地方福島県郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺に所属する信徒なのである。
 お互い、プライバシーポリシーは最低限守るが、私がこうやって、自分の情報を開示しているのだから、あなた方、キリスト者の方々も、お互いに、正々堂々と名乗りを上げて頂きたく存じ上げます。

 プライバシーも、多少の開示も厭わぬ方を募集する。誰かいないのか。名乗りを上げ得る者は。それだけ立派な御仁が、キリスト教徒にはいない証左となり得るのか、果たして…。

 これが、双方、幸せの内に、正しい紳士淑女的な「法論」となり得る事を念願して、大願成就を祈りつつ、願い奉ります。

 私は私のこれらの言説の数々を、論破出来得る限り、死闘の果てに、否、お互いの違いを認めあった上で、私から、その教えは間違ってますよ、との破折の意味合いも込めて、受けて立つ、との気概で、私に立ち向かって来なさい!!
 十年越しの、私一人をもキリスト教徒に為し得なかった、そなたらの不手際等々をも、徐々にあぶり出して行けたらと思っています。

 要するにキリスト教など、他の神道などの神様信仰とおんなじであり、人の前に神を立てた時点で全てが間違う。日蓮正宗の「五重の相対」の中の「内外相対」。
 内道すなわち仏教。外道すなわち神様信仰。この場合、内道の仏教を優とする。
 仏法以外の外道の宗教の類では、全然完全に救われない。これは、仏法の初歩、五重の相対での、第一義、第一番目の、一番のビギナーの教説である事を、キリスト教徒の諸君らは恥を知って知り抜き給え。

 以上をもちまして、ついつい又もや脱線してしまいましたが、お開きにしたく存じ上げます。我が宗の大法興隆、発展に寄与する所、大なので、キリストへの法論呼び掛けとなってしまいました。読者の皆様には大変申し訳なく存じ上げます。懲りない私で御座います。

 よしなに。wainaiより。恐々謹言。


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