食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

グルメでワイン好きのトーマス・ジェファーソン-独立前後の北米の食の革命(9)

2021-10-05 21:10:58 | 第四章 近世の食の革命
グルメでワイン好きのトーマス・ジェファーソン-独立前後の北米の食の革命(9)
1776年7月4日に開催された13植民地による大陸会議においてアメリカの独立宣言が採択されました。そのため7月4日がアメリカの独立記念日になりました。

この独立宣言は若干27歳のトーマス・ジェファーソン(1743~1826年)が起草し、いくつかの修正が加えられたのち採択されたと言われています。


トーマス・ジェファーソン

ジェファーソンはその後、バージニアの議員や知事、連合会議代表を務めたのち、1785年から1789年まで全権公使としてフランスに駐在しました。フランスでは公務のかたわら、フランス料理やフランスワインを楽しみ、また、農学研究にいそしんだと言われています。

帰国した彼はすっかりグルメで大のワイン好きになっていました。ワシントン大統領の国務長官に就任すると、彼はホワイトハウスのワインの調達を一手に担うようになります。そして1801年に大統領(在職:1801~1809年)に就任すると、ジェファーソンはホワイトハウスに2万本ものワインを保管するワインセラーを作りました。そしてディナーでは4〜6本のワインを毎日のように空けていたそうです。

彼がホワイトハウスにいた8年間で購入したワインは全部で1万ドルにもなったと言われていますが、今だといくらくらいになるのでしょうか。1ドル=1万円とも言われているので1億円くらいになるかもしれませんが、とにかくワインに莫大なお金をかけていたことは間違いありません。

ジェファーソンが最も愛したワインは、ボルドーのシャトー・ラフィットシャトー・ディケムと言われています。シャトー・ラフィットはボルドーの格付け筆頭のシャトーであり、シャトー・ディケムは最高峰の貴腐ワインで有名です。ジェファーソンはフランスにいる時にワインの飲み比べを行ってこの2つに行きついたということですが、ワインの良さをしっかり評価できたのでしょう。

なお、ジェファーソンが亡くなった時には莫大な借金が残されていたそうで、皆はフランスワインで作った借金だと噂したそうです。

さて、以降ではジェファーソンのアメリカの農業に遺した功績について見て行きます。

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ジェファーソンは、自分のアメリカ合衆国に対する最大の貢献は独立宣言の執筆に加えて、イネとオリーブを合衆国に導入したことだと述べている。実際のところ、多湿な気候の南部にはオリーブは根付かなかったが、合衆国の土壌と気候に適した作物を見つけようと努力したことは、彼の大きな功績だ。「有用な植物をその国の文化に加えることは最大の貢献である」というのが彼の信念だったのだ。

ジェファーソンの農場は実験農場のようなもので、89種330品種の野菜やハーブを栽培し、また果樹園やブドウ園では170品種の果物とブドウを育てたという。

しかし、その試みのほとんどは失敗したと言われていて、近所の人たちは彼のことをバージニアで最悪の農夫と呼んでいた。ところが、彼に言わせると失敗こそが重要で、失敗の経験をしっかり記録することで、二度と同じ失敗をしなくなるのである。

こうして彼は少しずつ栽培できる作物を増やして行った。毒があるなどと言われていたジャガイモトマトの栽培を行い、食用利用をいち早く始めたのもジェファーソンだった。また、ナス、カリフラワー、ブロッコリーなど、今ではアメリカでよく食べられている野菜を導入したことでも知られている。
彼は土壌の利用においても先進的だった。

当時の農場では肥料を使うことは一般的でなく、同じ作物を植え続けることで生産性低下すると、新しい農場を購入することが普通だった(土地代よりも肥料代の方が高かった)。こうして放置された農地からは土壌が風雨によって簡単に流出し、二度と耕作できない荒れ地になってしまう。

それに対してジェファーソンは、畑に肥料を施し、地力が極力落ちないようにトウモロコシ・ジャガイモ・カブ・ソラマメ・牧草などの輪作を行った。彼は土地が有限であることを理解していて、後世のために持続可能な農業を行おうとしたのだ。

ジェファーソンは農機具の改良を行ったことでも知られている。

彼の時代の土壌を掘り起こす犂(プラウ)は木でできた粗末な道具で、土壌の表面を少しだけしか掘ることができなかった。これだと、少しの大雨で土壌が流れ出してしまう。そこでジェファーソンは、先端に鉄製の刃をつけるとともに、土の抵抗の少ない形状をした新しいプラウを開発したのだ。このプラウを使うと、15cmの深さまで耕すことができた。そうすると、作物は深く根を張ることができて生産性が向上した。また、農地を平らにしたり、浅い溝を掘ったりすることが可能になり、土壌の流出を最小限に抑えることができたのだ。

彼はまた、いけすを作って魚やカニの養殖も行っている。彼は自分の農園内で自給自足の生活をすることを目指しており、当然のごとく、ワインやビールの醸造も行った。

彼が大統領ととして行った最大の仕事が、ミシシッピー川から西側のルイジアナの購入だった。その頃はスペインからフランスに所有権が移っていたが、ジェファーソンは黒人の反乱に苦しんでいたナポレオンから1500万ドルでルイジアナを買い取ったのだ。その結果、アメリカ合衆国の領土は2倍に広がった。

ルイジアナは動植物の宝庫であり、また、温暖な気候と豊かな土壌から作物の生産性が高かったため、合衆国の食糧庫として大きな役割を果たしていくことになるのである。


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