バーボン・ウイスキーの誕生-独立前後の北米の食の革命(10)
アメリカ合衆国で造られるウイスキーを「アメリカン・ウイスキー」と呼んでいます。その中でも有名なものが「バーボン(bourbon)」です。
バーボンの特徴の一つは原料にアメリカ大陸原産のトウモロコシを使っていることです。現在のアメリカの法律では、バーボンには51%以上のトウモロコシを使用することが義務付けられていて、残りの原料にはオオムギ・コムギ・ライムギなどが使用されます。
バーボン醸造の最初のステップでは、原料に麦芽(発芽させたオオムギ)と水を加え、麦芽に含まれる酵素でデンプンを糖に分解します(糖化と言います)。そして、この液をろ過して酵母を加えると、発酵によってアルコールが作られます。この時のアルコール度数は高くても10%くらいです。
次に発酵の終わった液を蒸留してアルコール度数が80%以下の蒸留液を作ります。これをアルコール度数62.5%以下に薄めて、内側を焼き焦がしたホワイトオーク製の新樽に詰めて熟成させます。この熟成中に樽の成分が溶け出すとともに、様々な化学反応が起こり、白色透明だった蒸留液が琥珀色に着色され、独特の風味が生まれます。
バーボンはアメリカ独立戦争(1775~1783年)が終了した頃に誕生しました。今回はバーボンの誕生と発展の様子を見て行きます。
【語句解説】ウイスキーについて
ウイスキーとは、穀物を麦芽で糖化させ、発酵・蒸留の後、木製の樽で熟成させて造られる蒸留酒のこと。麦芽だけで造られるウイスキーをモルト・ウイスキーと呼び、それ以外の穀物を使用したものはグレーン・ウイスキーと言う(バーボンはグレーン・ウイスキー)。
モルト・ウイスキーの醸造には単式蒸留器を使用することが多いことから、原料由来の複雑な風味が残った強い個性を持つと言われている。一方、グレーン・ウイスキーの醸造には一般的に連続式蒸留器を使用するため、多くの香味成分が除去されたすっきりとした風味を特徴としている。モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたものはブレンデッド・ウイスキーと呼ばれ、コクがありながらも飲みやすいウイスキーだ。
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ウイスキーが最初に造られたのは、スコットランドもしくはアイルランドと言われている。イスラムで発明された蒸留器が15世紀頃までに伝わり、ウイスキーを造り始めたと考えられている。ただし、その頃のウイスキーは薬として使用されていた。それが時代とともに嗜好品としても飲まれるようになって行く。
最初の頃のウイスキーは樽で熟成させずにそのまま飲んでいた。ところが、ウイスキーに重い税がかけられたので、ウイスキーを密造して木の樽に入れて隠したところ素晴らしい風味になったことから、樽熟成が始まったとされる。これは18世紀のことと言われている。
北アメリカのイギリス植民地にはイングランド人に加えて、スコットランド人とアイルランド人(合わせてスコッチ・アイリッシュと呼ぶ)も移住してきた。彼らは主に、中部植民地のペンシルベニアや南部植民地のメリーランドに居住し、農業を営むかたわらライムギなどからウイスキーを造っていた。農地の生産性が高く、余剰の穀物がたくさんあったため、食料として売るよりも儲けが出るウイスキー造りに精を出すようになったという。
アメリカ独立戦争が終わると、戦争の出費から財政難に陥っていたアメリカ政府は1791年に蒸留酒の醸造に税金をかけるようになった。この税金は北部の大規模な醸造所にとっては大したものではなかったが、中南部の小さい醸造所には重くのしかかることになった。これに反発したスコッチ・アイリッシュは1794年に暴動を起こすなどしている。
この暴動は若干の逮捕者を出して鎮圧された。すると、スコッチ・アイリッシュたちは政府の統治が十分でなかった新しい開拓地のケンタッキーやテネシーに移住し、そこで誕生していた新しい醸造酒を盛んに造り始めた。それがバーボンだ。
ケンタッキーやテネシーはバージニア植民地やカロライナ植民地の西側に位置し、石灰岩が混じった土壌でトウモロコシが良く育ったことから、既にトウモロコシを使ったウイスキー(コーン・ウイスキー)が醸造されていた。
コーン・ウイスキーを、内側を焼き焦がしたホワイトオーク製の新樽に詰めて熟成させたものがバーボンだが、このようにしてバーボンを最初に造ったのはエライジャ・クレイグという牧師で、1789年のことと言われている。そのいきさつについては、火事で燃えた樽を使ったからだとか、魚を入れた樽が臭かったので火であぶったからだとか、さまざまな話がある。
こうしてバーボンを造り始めて間もないケンタッキーなどに多くのスコッチ・アイリッシュたちが移住してきて、バーボン醸造が盛んになったのである。
ところで、バーボンという名前はフランスの「ブルボン朝」に由来する。アメリカ独立戦争の際にフランスがアメリカに味方したことに感謝して、後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソンがケンタッキーの一つの郡を「バーボン郡」と名づけた。そして、このバーボン郡で造られるウイスキーの名称としてバーボンが使用され、それが定着したのである。なお、今では醸造する土地には関係なく、合衆国内で法律通りに造られた醸造酒はすべてバーボンと呼ばれる。
さて、バーボンの醸造には一つ問題があった。バーボンの醸造にはライムストーンウォーターと呼ばれるアルカリ性の水を使用する。この水は酵母が好きなカルシウムに富んでいて、嫌な風味の元となる鉄が少ないという特長があるが、アルカリ性のため発酵が進みにくいという欠点があったのだ。
この問題を解決するためにスコットランド人のジェームズ・C・クロウが1823年にサワーマッシュという方法を開発した。これは、蒸留する前の液を残しておいて、次の仕込みの際に少量混ぜる方法のことで、酸性の残液によってちょうど良いpHになるのだ。このサワーマッシュによって良質のバーボンを安定して造ることができるようになった。
なお、ジェームズ・C・クロウにちなんだ「オールド・クロウ」というバーボンがクロウの時代から造り続けられている。このバーボンはマーク・トウェインなど多くの有名人が愛飲したことで知られるとともに、様々な小説や歌曲に登場するなどアメリカ人にとって特別のバーボンである。