食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ワインの歴史(3)古代ローマのワイン

2020-06-08 08:25:24 | 第二章 古代文明の食の革命
ワインの歴史(3)古代ローマのワイン
初期のローマ人はワインを好まなかった。そもそも高価なワインを買えるほど豊かではなかったし、質実剛健が信条の初期のローマ人としては、ローマを存続し拡大する活動の妨げになりそうなものを排除したかったのだろうと思われる。このためだろう、女性がワインを飲むことは固く禁じられ、夫はワインを飲んだ妻を殺してもよかった。ワインを飲んだかどうか調べるためにキスをするということもあったということだ。

三つ目のポエニ戦争(紀元前149~前146年)を終える頃にはローマはずいぶん豊かになり、男女を問わずワインを日常的に飲むようになった。広大な領地を支配することによって、戦利品や貢ぎ物として大量のワインがローマに持ち込まれたために、消費する機会が増えたのだ。これでローマ人はワインのすばらしさに目覚めたのだと思われる。

すると、ローマの貴族や大商人はワインが儲けにつながることに目をつけて、所有する植民地内の土地でブドウの大規模農場を作り始めた。これはカルタゴで行われていた奴隷を使った大規模農場を真似たものであった。こうして大量に作られるようになったワインはローマ市民によって消費されるとともに、交易品として各地に運ばれた。

このワインの交易において一大拠点となったのが、紀元前79年にヴェスヴィオ火山の噴火で一瞬のうちで消滅したポンペイだった。ここにはスペインの植民地で大量生産したワインが運び込まれ、ローマなどに向けて輸出された。また、ポンペイの遺跡跡にはたくさんの酒屋が見つかっていることから、多くの人々が毎日のように酒を飲み交わしていたものと思われる。特に、公衆浴場の周りに酒屋が集まっており、ひと風呂浴びた後の一杯を楽しんでいたことが推測される。



尚、古代ローマで上流階級に飲まれていたワインはほとんどが白ワインだった。特に甘い白ワインが好まれ、甘さが足りないものは蜂蜜で甘くした。当時はまだ砂糖が無く、甘い飲みものは蜂蜜と白ワインだけだったからだ。

一方、下流層や遠征時の軍人は酸っぱいワインを飲んだ。以前にも触れたが、水の保存が難しかった当時では、ワインは飲料水の代わりとしてなくてはならなかったのである。このため、酸っぱいワインは軍隊の必需品であった。尚、ローマでは紀元前312年に最初の水道であるアッピア水道が建設され、それ以降も次々と新しい水道が作られていったため、飲み水には困らなくなった。

豊かになったローマ人が独自の文化を発展させる際に手本としたのが古代ギリシアである。彼らは名前を変えて多くの古代ギリシアの神々を古代ローマに取り入れた。例えば、古代ギリシアの酒神ディオニュソスは古代ローマではバッカスとなる。

紀元前4世紀後半にシチリアで活躍した古代ギリシアの詩人アルケストラトスは、美食学(ガストロノミア)の開祖と言われている。彼は、それまでの食事の後に別の席で酒宴を開いていた習慣を改めて、食事とワインを同時に楽しむことを提案した。古代ローマ人はこれを取り入れて、午後に催される一日のメインの食事であるケーナを発達させていく。ケーナでは甘い白ワインが飲まれた。尚、ケーナについては別の項で詳しく述べる。

現代でも当てはまることだが、良いブドウが育つ土地では良いワインができる。時代が進むにつれて、どこの地域のどの農場のワインが美味しいかと言う評価が定着して行った。こうして、特定の地域の特定の農場のワインが高級品としてブランド化したのである。これに加えて、ブドウの収穫年(ヴィンテージ)の情報も重要だった。ブドウは年によってできの良し悪しがあり、良いブドウが採れた年に作ったワインは素晴らしいものになるからだ。

古代ローマの高級なワインとしては、ローマとナポリの中間にあるファレルノという村で造られた「ファレルヌス」が最も有名である。このワインが高級ワインとして後世に知られるようになったのは、皇帝ネロの側近だったペトロニウス(紀元20年頃~66年)が書いた小説『サテュリコン』の一節「トリマルキオの饗宴」に登場するからだ。トリマルキオは、元は奴隷だったが解放されて一代で莫大な財をなした成金である。彼が開いた饗宴でファレルヌスが入ったガラス製の壺が運ばれてくる。その首のところには次のような札がつけてあった。「オピミウスの年に収穫したファレルヌス酒、100歳」。オピムウスは紀元前121年に執政官になった人で、その年がブドウの世紀の当たり年だった。つまり、その当たり年に作られた最高級ワインを100年後に飲むというわけである。成金趣味を満足させる稀代の銘酒(ヴィンテージワイン)だったのだろう。100年たったワインは酸化が進んで美味しくないと思いますが。

また、古代ローマの詩人ホラティウス(紀元前65~前8年)が書き残したものには、ファレルヌス、マッシクス、カレス、カエクブム、アルバのワインが高級酒として取り上げられている。いずれもローマやナポリに近い地である。さらに、コス島やロードス島産のワインも高級ワインとして認識されていたようである。

古代ローマ時代には、ギリシア地方で生み出された複数のブドウの品種がイタリア半島に持ち込まれ、ワインの醸造に使われた。ファレルヌスにはアリアニコと言う黒ブドウの品種が使われたと推測されている。これ以外には、アミネウムやグレコ、アッリャニコ、ピエディロッソ、ファランギーナなどの品種が持ち込まれたと考えられている。


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