食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ギリシアと古代ローマのパン文化

2020-05-28 18:32:52 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ギリシアと古代ローマのパン文化
オリエントで生まれたパンは古代ギリシアや古代ローマに伝えられ、洗練された食べ物に進化していく。

古代ギリシアでは人口増加による食料不足を解消するために、紀元前500年頃にエジプトからコムギなどの穀類の輸入を始めた。その際にパンの作り方とパン焼き窯が伝わったとされている。

古代ギリシアではブドウが良く育ち、たくさんの良質のワインが作られていた。このため酵母の扱いには慣れており、早くから発酵パンの大量生産に成功していた。また、オリーブもたくさん採れたことから、オリーブオイルを使った揚げパンなども作られるようになった。

古代ローマの初期には、ムギを粥にして食べていた。これはそんなに美味しいものではなかったそうだ。やがて紀元前2世紀にローマ軍がギリシアへ侵攻すると、ギリシア人の奴隷によってパンの作り方がローマに伝えられた。そしてローマではパンはより洗練されたものになって行く。

コムギはコメと異なり、皮がしっかりと胚乳(養分が蓄えられている部分)にくっついている。このため、小麦粉を作るときには、皮が付いた胚乳を臼(うす)でひくことになる。口当たりの良いパンをつくるためには、コムギを細かく均一に粉砕し、皮を取り除く必要がある。古代ギリシアにおいて、現代でも使われているカーンと呼ばれる回転式の石臼が発明された。さらに古代ローマにおいて馬のしっぽの毛を使った「ふるい」が発明され、皮を取り除くことができるようになった。こうして古代ローマではそれまでになかった良質のパンを作ることができるようになった。さらに、コムギのパンのほかに、オオムギやライムギのパンが焼かれていた。

古代ローマ時代には、パン屋や菓子パンも登場した。パンはワインに浸けられて、オリーブやチーズやラッカー、ブドウとともに食べられることもあった。まさに、古代ローマはパン文化が栄華を極めた時代だったのだ。

古代ローマは周辺諸国に遠征を行い、次々と支配下に置いて行った。こうして属州から多くの作物がローマにもたらされるようになる。一方、戦士として戦地に出征したローマ市民の畑は面倒を見る人がいないため荒廃してしまい、戦争から戻っても自力で生活することができなかった。

「パンとサーカス」は、ユウェナリスという詩人が古代ローマ社会を表した言葉だ。つまり、紀元前1世紀には、カエサル(シーザー)などの指導者がローマ市民に対してコムギなどの食べ物を配給品として提供し、コロッセオなどの円形競技場で剣闘士試合や戦車競争を開催して市民の人気を集めた。



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