おだやかな日々が続きますように。

脳腫瘍で結婚して3年間たたかった新婚カップルの日々

久しぶりにともさんのこと

2017年11月23日 | たけちゃんのこと
 人には、不思議な巡り合わせの数字があると思う。私の友達は、9日にお店をオープンさせて、9日に亡くなった。
私は、23日、そう、今日。12年前、中学、高校の同級生で、その年の9月に再会したともさんと初めて旅行に出かけた。頭痛がひどかった彼女は、奈良の大仏に会いに行き、お参りがしたかった。頭痛の原因がわかったのは、12月24日、脳腫瘍だと。翌年、再発した彼女と結婚したのが4月22日。いろんな人に支えられて3年過ごした4月23日、結婚記念日を超えて、ともさんは、天国に旅立った。
今日、大学の時のゼミの同窓会、一緒に学んだ仲間が一人は、亡くなり、一人は、闘病中だと言う。人の縁に感謝。
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一人旅に行くなら

2017年09月03日 | たけちゃんのこと
 松下村塾に行きたいです。吉田松陰が教えたところに行きたいなあ。
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つらい時に読んだもの

2017年09月03日 | たけちゃんのこと
 レンタルビデオ屋さんで警視庁失踪捜査係のDVDを借りて見ています。タケチャンが失業した時に読んでいた小説でした。たまたま、ですが主題歌は、JUJUさんでした。JUJUさんは、余命一か月の花嫁の主題歌を歌っている人です。曲調も良く似ていました。ともさんのことを少し思い出しました。
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マスコミガ報道しない事実 橋本市長の危険な姿

2012年03月25日 | たけちゃんのこと
 今日、一日、何も仕事せずにいました。今、マスコミでは、大阪維新の会をもてはやしている。しかし、「あなたは、労働組合に加入していますか?」「どんな活動していますか?」「選挙にかかわって、街頭演説をききに行くとかしたことがありますか?」など、憲法の思想・信条の自由が問われる、労働組合への違法な介入である調査を橋本市長がやらせていることは、報道されていない。
 しかも、南京大虐殺は、なかったという名古屋の市長と連携を組み、日本の侵略をゆがめて伝える新しい教科書を推進する安部元首相と連携していると言われています。
 小泉首相がおもしろおかしいコメントで国民をだまし、医療・介護の予算を毎年2200億円ずつけずり、医療難民、介護難民を生んできた。医師不足、看護師不足、介護労働者不足に疑問を投げかける人はほとんどいないくらい、救急車のたらいまわし、病院の閉院が進んだ。同じ手法で国民をだまそうとしている。
 今、フェイスブックなど、ネットがさかんだ。もっと真実を伝えよう。


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-14/2012031401_01_1.html
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違うネタをと思いながら

2012年02月22日 | たけちゃんのこと
 いつものことながら、あさってがたけちゃんの組合の臨時大会です。3年前の木曜日も同じような日でした。いや、もっと忙しかったです。ともさんが明確に言葉を発した数少ないうちのひとつでした。


今年は、医療・介護の報酬のダブル改定です。社会保障と税の一体改革、TPPもあります。そんなことを投稿したいと思いながら、なかなか大会の準備が進んでいません。がんばります。




http://blog.goo.ne.jp/t3042sst/e/13cb51deecbcfa6ffbfab4dc2cbe2da7

http://blog.goo.ne.jp/t3042sst/e/898c626d3272e7f6113148cf11456a85

http://blog.goo.ne.jp/t3042sst/e/336e78181d0fc7b1e6500262c1ce0da2
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消費税の前にやることが。

2012年02月09日 | たけちゃんのこと
 引っ越してからネットが整っておらず、家からの投稿が出来ていません。
消費税増税と社会保障の一体改革ではいろいろいいたいことがあるが、ブログにらのせるまでになっていません。
 一つだけ言えることは、今までは、福祉のための消費税は、一切、社会保障のために使われてこなかった。消費税ができる前、健康保険は、1割負担だったものが3割になりました。
特養待ちの人も40万人までに増えました。逆に社会保障のためと消費税増税すれば、社会保障に必要なお金は、消費税でしかまかなわれなくなってしまうということです。

ある学習会できいたことを下にアップしてみました。


ちゃんと大企業・お金持ちから負担を求める税制改正すれば、財源はあります。

税制改正による増収試算
項 目 増収額
不公平税制の是正(国税) 8兆4806億円
法人税の税率改正  4兆9720億円
所得税の税率改正 1兆3101億円
国税の増収計 14兆7627億円
不公平税制の是正(地方税) 4兆2610億円
法人住民税の税率改定 8601億円
地方税の増収計 5兆1211億円
国税・地方税の増収合計 19兆8838億円
出所:『福祉とぜいきん』【第21号】(不公平な税制をただす会、2009年4月30日)

日本の企業の法人税率は、決して高くありません。


巨大商社の実効税率(単位:100万円)
会社名 税引き前当期利益 法人税等 実効税率%
三菱商事 201,806 16,363 8.1
三井物産 112,194 10,426 9.3
住友商事 51,645 10,500 20.3
垣内亮「大企業には減税ばらまき庶民には増税」「『前衛』(2007年2月)を参照して作成


 民間企業の税・社会保障負担(対GDP〈国内総生産〉比)の比較(単位%)
日本 イギリス ドイツ フランス スウェーデン
法人所得税負担 3.3 2.8 1.3 2.9 2.5
企業の社会保障負担 4.4 7.2 8.9 9.8 10.9
計 7.7 10.0 10.2 12.7 13.4
 出所:垣内亮「法人税の空洞化に歯止めを」『経済』(新日本出版社、2006年5月、№128)
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5局長通達が出た。

2011年08月01日 | たけちゃんのこと
 看護師さんの雇用の質をあげるために努力をせよ、病院でのサ-ビス残業をなくすため、時間管理する人をつくれという通達が出ました。縦割り行政の中、あえて5つの局長の通達が出た意義は大きいです。

日本医療労働組合連合会(日本医労連)の第61回定期大会が27日、岐阜県内で始まりました。医療現場の過酷な労働条件を改善するために、大幅増員、夜勤改善、安心・安全な医療・介護などの要求を掲げて、9月から11月にかけて「いのちまもる地域キャラバン行動」(仮称)が提案されました。大会日程は29日までの3日間です。

 田中千恵子委員長はあいさつで、東日本大震災が「医療崩壊」地帯といわれる地域を直撃し、全国でも「医療崩壊」にあることが明らかになったと指摘。「この国のあり方が問われている」として、「原発ゼロ」のたたかいを広げることを呼びかけました。
 また、3年連続で増勢で大会を迎えたと報告。昨年秋にとりくんだ「いのちまもる全国縦断キャラバン行動」に全県から5000人が参加したとのべ、6月に厚生労働省が出した通知「看護師等の『雇用の質』の向上のための取り組みについて」はこうした運動の成果だと強調しました。
 運動方針案を提案した相澤幸敏書記長は、大幅増員闘争について、患者と働く者の命を守る運動として重要性を強調。1日の労働時間は8時間以内、勤務間隔は12時間以上の実現などをかかげて、地域からの共同をすすめるとして、新たにとりくむ「地域キャラバン行動」では、医療・看護・介護団体との懇談や、主要な医療機関などとの懇談を行うことを提案しました。20万人の組織を展望したとりくみの強化を訴えました。
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ひさしぶりにJR ジュニア君と飲みました。

2011年07月17日 | たけちゃんのこと
 1986年日本ふく笑い大学入学・・・(東海地方の福祉系大学)の同級生 ジュニア君と飲みました。
 彼は、学生時代なんでも話をしてきた親友です。彼と私のつながりは、学生運動です。学生運動というヘルメット・・安田講堂と思う人が多いと思いますが。私たちは、正当なというか理路整然と当局と交渉する学生運動でした。
http://www.zen-gakuren.jp/news/news_10.html
大学自体が3者自治、学生自治会、教授会、教職員組合で話し合って、運営することになっていました。全員加盟制で選挙で選ばれた執行委員会があり、各クラス(4年間一貫したゼミナ-ル教育)から選出された代議員によって構成される代議員会がありました。代議員会には、運営する議長さんなど代議員の互選によって選ばれた役員がいました。代議員会は、月1回開催され、執行委員会の報告を受けて、いろいろ討論していました。成立に規定があり、執行委員会の提案を採択していました。
 私の大学は、4年間、ニックネ-ムで呼び合うことが決まりでした。彼は、ジュニア君といいました。私は、キャベジでした。たいてい、最初のクラスコンパで決まりました。1年生をリ-ドしてくれる兄弟クラス制でした。私は、富山出身というと正露丸かキャベジンといわれて、キャベジンになりました。学生会館の電話の呼び出し<自治会が自主管理していました>もニックネ-ムでした。1部1年のキャベジンさん学館Aにお電話ですと放送がかかりました。もちろん、日常会話も。「今日は、キャベジンの家で飲もう」とか、「昨日、そ-ち゛とつまみとジュニアが飲んでいて、そこにおろしとやろくがやってきて、おろしが酔っ払って暴れたんだって」というのが会話として成り立っていました。昨日も本名がなかなか出てこなかったです。
 学生自治会にとって、もっとも大事なことは、6月に開催される学生大会でその年の運動方針と決算・予算を決めることでした。私は、結果的に4年間、この成立に全てをかけてきました。1年生で1年生の代議員会の4役、2年生で代議員連絡会の議長、3年生で代議員会議長をしました。時は、1986年 4月に中曽根内閣が300議席を占め、臨調・行革路線、国鉄解体、老人医療費有料化、天安門事件が起きた時代でした。
1988年12月24日に消費税法案が可決され、1989年から消費税がはじまりました。
 1986年6月学生大会の成立にむけて、みんなががんばっていました。学生大会は、規約で学生数の何分の1で成立することにななっていました。実数と同じ数の委任状で成立しました。学生大会は、2日間ありました。その参加をクラス単位で確認するのです。朝の登校時間、昼の休憩時間の宣伝、講義が終わったあと、先生ら断わって、マイクを借りて、宣伝する。⇒マイクアジ。それらを6月頭から計画的に行う。参加確認した人の7割が参加するといわれていました。参加確認数は、毎日、集計されていました。もちろん、各クラスで討論して、「学費値上げ反対」や「校内にもっとスロ-プ」を「コンパのマナ-を守ろう」等、クラスごとの要求や意見を発表することも行います。
 各学年の代議員と組織者と呼ばれる協力者によって、毎日、朝に集りを持って、1日の行動目標、行動予定をみんなで確認していました。夕方には、夕方の集中があり、1日の行動結果を報告しあいました。そのあと、各学年の結果をもとにして、分析と対策が話し合われました。2部があったこともあり、学生会館の閉館時間は、午後11時でした。とにかく、みんな必死だったのです。
 私たちの入学するまで、大学の講義は、自主的活動の保証のために3限カリでした。それが、私たちからコマ数が増えていました。学生要求の多様化もあって、私の4年間で定例学生大会は、一度も成立しませんでした。
 定例学生大会前日は、合宿で最後まで意思統一会議、当日の作戦会議を行いました。当日となると、学生が出いりする全ての道に宣伝する部隊が割り振られて、
配置について、宣伝しました。また、大会がはじまると、私たち代議員会のメンバ-は、別の会議室を確保して、実際に受付した人をチェックして、カウントする。確認してきていない学生に連絡する。<当時は、携帯もなく、アパ-トに電話しました。>などをするのです。大会が休憩となると、大会は、まだ続きますと呼びかけるストッパ-につきました。
 1986年6月の定例大会2日目、今からクラス会という時に私と一緒に代議員をしていたK君が腹痛を訴えて、医務室に行きました。「自分が医務室に言ったことは、誰にもいわないでほしい。みんなが心配するといけないから。学生大会が成立してほしいから」と言って。終って、医務室に行くと彼は、近くの病院に運ばれていました。その状況を私は、1年の責任者であるジュニア君に興奮しながら報告しました。それとほぼ同時にじゅにあ君は、Oクラスの代議員のあゆみちゃんから「同じ代議員のなごみちゃんのおじいちゃんが危篤で帰ってきないさいと電話があったが。学生大会を成立させたいから帰らないでいる」ということを聞かされていました。
 そんなにまでしてがんばった学生大会は、不成立でした。1年生だけの集まりを持ったあと、代議員だけ残っての話し合いがはじまりました。学年全体の時には、こらえていたじゅにあ君が泣きじゃくって、何もしゃべれませんでした。私がその時、フォロ-に入りました。それまで、私は、代議員になったものの、一般参加者でした。この時をきっかけにして、4役に入ることになりました。この光景は、ジュニア君もしっかり覚えていました。
 私の4年間で86年は、学費値上げ反対、87年も学費値上げ反対、88年は、消費税導入反対で全国学生統一ストライキの提起があり、私の学部は、3回ともストライキ権を確立しました。学生の最高の権利である「学ぶ権利」を放棄しての抗議は、最高戦術といわれていました。私の大学の場合、全学生の過半数の投票で投票が成立して、過半数が賛成とする
とストライキが成立して、講義はなくなりました。
 学生大会が不成立だと、全学投票という4日間で過半数の投票で成立する投票を行うこと
となりました。これがまた、成立させるのがたいへんでした。
 福祉を学ぶ学生として、自分たちが学生ストライキをして、運動すれば、消費税を阻止できると真剣に考えた学生時代でした。そんな、超濃い活動家集団の仲間が約20人います。
大学入学から4半世紀、今度、同窓会することとなりました。
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そういえば たけちゃんの学生時代

2011年07月11日 | たけちゃんのこと
 私は、福祉を勉強したくて、某大学に行きました。そこで、福祉の勉強もしましたが、サ-クル活動もしました。その時、学生自治会のこともしました。ヘルメットかぶった人達とは違う学生運動でした。そこでもたくさんのすばらしい仲間ができました。ちょうど、80年代後半、中曽根さんが総理大臣で臨調行革路線が進んでいる中でした。天安門事件もおきました。今より、展望が見えない中でした。
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労働組合の青年部

2011年07月04日 | たけちゃんのこと
 少しマニアックな話になります。労働組合の青年部というのは、労働組合本体を補助する機関です。若い労働組合員の要求や思いを労働組合にすいあげる役割と労働組合そもそもを若い労働組合員に伝える役割がありまする日本の場合、戦前、労働組合がすべて解散させられました。そのことによって、戦後生まれ団塊の世代の要求を本体である労働組合に伝えていくために青年部は、つくられました。その伝統を受け継いで、日本の大きな労働組合には青年部があります。
 青年部というからには、一定の年齢制限をする必要もあります。しかし、もともと労働組合の運営になれていない青年たちで運営するのでなかなか困難があります。そんな中でも、青年たちはがんばってきました。
 1995年夏にサマ-カ-二バルという青年のお祭り、学習会、大運動会、夜祭、バンドコンテスト、ミニコンサ-トがある企画が行われました。全国から4000名の青年を集めよう、そのことによって、各産業を超えた各県の横のつながりをつくろうという目的でした。たけちゃんの県でも、その取り組みが進み、何回も交流会をして、宣伝をしました。
 公務員、教員、コ-プで働く青年、金融機関で働く青年、いろんなところの人が集まりました。そしたら、自分の働いているところでは、あたり前のことがそうでない現実とぶつかることになりました。交流会という飲み会を一つ決めるにも開始時間をどうするかかが問題になります。早く終わるところ、残業があるところ、いろいろでした。そんな中でたけちゃんの県では、いろんな組合が集まった県の青年部ができました。平和のこと、最低賃金のこといろんなことに取り組みました。
 たけちゃんの県が元気になったのと逆に全国の組合の本部の青年部は、それまでがんばっていた中心の青年が年齢が青年部の歳でなくなったことや組合本部の任務変えでいなくなりました。サマ-カ-ニバル直後の大会では、青年部長の名前のない投票用紙が配られました。たけちゃんにとっては、おおきなショックでした。その後、2年間低迷の時期がありました。全国の組合本部との話し合いもありました。みんなが真剣にどうしたらいいか考えました。
 私は、ただサマ-カ-ニバルに集まった元気な青年たちの笑顔を大切にしたいと思っていました。そんな時に私に東京に来て役員になってほしいという依頼がきました。組合本来の仕事もしたことない一青年が全国の本部の専従となったんです。自分の愛用のワ-プロを抱えて事務所に行ったことを覚えています。それで、おにぎり君と出会って、悪戦苦闘の日々が始まりました。
 結果的に私がやらなくても誰かが引き継いだかもしれません。その時は、青年部が崩壊してしまうかかもしれないと必死でした。
 原発いらない集会でたけちゃんが持ち歩いていた青年部の旗がはためいていました。一人で勝手に号泣していました。私が私である原点です。










  

















 


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