おだやかな日々が続きますように。

脳腫瘍で結婚して3年間たたかった新婚カップルの日々

ちよっと感傷の日です。

2006年12月30日 | 今までのこと
 昨日から雪が降り始めました。昨日はチヨットひどかったです、新聞によると17cm積もったそうです。今日、妻のお父さんのお見舞いに大学病院に行ってきました。大学病院は、小高いチヨットとした山にあります。雪のある駐車場見ると、去年、ここに通ったことを思い出しました。当時は、まだ彼女だった妻は、1年前の今日、緊急オペとなりました。前の日、とにかく、恐いといい続けていて、私が10時ぐらいまで側にいたのを覚えています。夜8時ぐらいに麻酔医の女医さんがこられて、妻が「はなづまりでも麻酔はききますか、途中でさめることはないですか」ときいていたのを覚えています。女医さんは、まじめにこたえてくれました。
 術前には、おきまりの最悪の場合の話をされました。当時は、まだ単なる彼氏だった私も医療従事者もどきということもあり、術前・術後の家族へのムンテラ=説明に参加させてもらっていました。術後は、意識がしばらくもどらないといわれていたのに帰ってくるなり、すぐにしゃべれたのです。彼女の両親が会って、私は、一番最後と思っていました。もし、私のこと覚えていなかったらと思いましたが、両親に会うなり、私は、どこにいると言ってくれたのでした。
 今日、私と妻の縁をとりもってくれた同級生の元看護師にお礼を持っていきました。病気がわかって、メ-ルや電話でいろんな励まし・アドバイスをもらいました。ホントにいろんな人に支えられた1年でした。



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忘年会・御用おさめ

2006年12月30日 | たけちゃんのこと
 26日に組合の忘年会・・・私にとっては、職場の忘年会がありました。厳密にいうと、仕事場・・・組合の事務所には、私と書記さん(女性)が働いています。
組合の役員は、普段仕事しながら、組合のことしています。だからなかなかたいへんです。また、仕事は、病院のいろんな部署の情報が入ってくるように部署もバラバラです。だから、ゆっくり話して交流することがとっても大事です。
 とまじめなこと書きましたが、まじめついでに、全国で看護師不足、医師不足です。今年の4月から診療報酬・・・病院の点数が変わって、7対1、患者さん7人に対して、看護師1人という基準が出来たので・・・看護師争奪戦が始まってます。紹介すると100万円というところもあるそうです。我が病院でも看護師不足が止まらず、夜勤も多く、しかし、療養病棟があるため、病院の収入は減って、一時金は、年間2.6ヶ月と過去最低。年度末までに看護師が6人近く辞めます。トホホ・・・それをめぐる対応をずっと話し合ってきました。いろいろ話し合った結果・・・夜勤体制の見直しをすることになりました。看護師の夜勤に負担が増えるということで夜勤手当が4800円から700円アップ。8回の約束のところ、みんな10回しているので・・・7000円のアップです。
 忘年会にもどって、まあろいろいろあって、はめをはずして、1次回から冷酒を飲みました。・・・これが最悪・・・。2次会は、カラオケで1時間だけだったのに、帰ったのはどうやら11時30分。空白の1時間あり・・・2次会以降の記憶がない・・・。ワイシャツのまま寝ていました。そして・・・1ヶ月分の給料入った封筒がない・・・。2日間探して出てきました。飲みすぎには注意しましょう。
 今日の午前中で御用おさめしてきました。





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年内最後の診察

2006年12月29日 | 検査、受診
 26日は、年内最後の診察でした。血液検査の結果も良くてセ-フでした。主治医の先生も丁度1年たちましたねと。手術しないと、1週間ぐらいだろうと思っただから、休み返上でオペしたといってました。身障の件をいうと、今は、厳しいからねといいながら、3級ならなんとかなるかと、今度、計測をすることになりました。
 そして、いつものパタ-ンで私のおふくろにあずけて、私は、仕事に。この日は、大事な協議がある日でした。そして、職場というか組合のの忘年会・・・。
組合忘年会のことは、あらためて書きます。とりあえず、年内の診察が終わりました。
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感謝のつどいとクリスマスイブ

2006年12月26日 | Weblog
 23日は祭日で、1年たったことを記念して、両方の家族を招待しての食事会を行いました。いろいろあって、結局参加できたのは、妻のおかあさんとお姉さん夫婦、我が弟の計4人、私たち夫婦合わせて6人でした。駅前にあるイタ飯屋を予約して、ご飯を食べました。
 イブは、チヨツト離れたところにある素敵なホテルで一泊して、食事しました。ここでは、フランス料理のコ-スでした。工場の女子寮跡がホテルとなっていて、すべての家具がこっていました。また、レストランは、3階まで吹きぬけとなっていて、素敵な空間でした。妻もご満悦でした。
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クリスマスイブで1年

2006年12月24日 | 今までのこと
 去年は、大雪でした。去年の23日は、石川で会議の予定でしたが、東海側の愛知からのアクセスが悪く、帰れないかもしれないということで会議も中止となり、彼女だった妻を誘って映画を見に行きました。そのときも思えば・・・頭が痛いと言ってました。手に力が入らなくて、車のドアも閉められない状況でした。
 そして・・・翌日は、近くのコテ-ジでお泊りの予定でした。そしたら、検査することになったのメ-ルが届いたのです。あまりの頭痛に・・・彼女のお父さんが通っている脳外科に一緒にいったのです。そうしたら、このブログの最初で書いたように「アンタ。顔曲がっているから、写真とらないといけない」と言われてCTをとることになりました。
 当時、しきりにゴメンという彼女に「病院は、一緒に行くよ。早く終わって、近くのところでお泊りしよう」と言って、一緒に病院にいきました。そこで「頭の中に白いものが見える」と言われて、即入院、大学病院に転院となって、彼女の長い入院生活がはじまりました。昨年28日に今の主治医からのムンテラ・・説明で1年生きれる可能性が厳しいと言われたことを覚えています。それから・・・1年がたとうとしています。
 いろんな人に感謝です。



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身障の手続き

2006年12月21日 | 検査、受診
 身障の手続きをしてはどうかと妻のお姉さんからいわれました。病棟の主治医の先生も書きますよといっておられるそうです。いずれ、それは必要だと思ってました。ただ、私も専門家ではないけど、医療関係なので医師の判断だけでなく、わかりますが、実際の計測が必要なのだと思います。今は、左手、左足での服の脱ぎ着が時間がかかるという程度です。あと、関係ないけど、時計が読めないのです。
 私自身、福祉の大学出てきたものの、障害を受容するのは、チヨットためらうものがあります。まだまだ、。ガンバレルといいたいこともあります。ただ、障害者となれば、医療費の減免等もあります。お姉さんは、身障の手続きで社会と交わることが出来ないかと考えているようです。主治医の先生とは、今度の受診の際に相談してみるつもりです。参考になるご意見あればおきかせください。
 女優の岸田京子さんがなくなられたそうです。脳腫瘍による呼吸不全と報道されていました。明日は、ニュ-スみせないようにするかな・・・。
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出張の合間にけいれん発生

2006年12月19日 | 検査、受診
 17日日曜日、次の日の会議のために前泊で岐阜に出張しました。日曜日の朝は、少し遅い時間で妻がひつしぶりにつくってくれた味噌汁と切干大根とほうれん草を食べました。
 懇親会がはじまって、2次会という時にメ-ルがきました。お姉さんからのメ-ルで妻がけいれんして、入院となったというのです。実家のおかあさんと二人でいるときにけいれんになって、私の母を呼び、自家用車でいつもの大学病院に行ったんだそうです。飲んでいるデパケンというけいれん止めの薬の血中濃度が低かったそうです。
 次の月曜日は、お昼まで岐阜で会議で、夜は、大事な会議で、9時まで会議の予定でした。どうしようと思ってもどうしようもなく、メ-ルのやりとりをしていました。月曜日は、実家のお父さんが大学病院に受診予定でした。この前からチヨット調子をくずされていました。脳内出血で入院となったそうです。
 妻は、結局1泊だけで退院してきました。私が迎えにいったほうが安心するということで、夜9時に妻を迎えに行って、退院しました。妻の実家につく直前に今日は、実家で泊まりたいというので、はじめて、妻の実家に泊まりました。今は、普通に元気です。



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神戸ルミナリエツア-を終えて

2006年12月14日 | Weblog
 旅行から帰ってきて、今までより元気になった気がします。旅行の間は、初日の早足がわざわいして、疲れた、足が痛いを連発していました。帰ってきてしばらくは、服の脱ぎ着も手伝わないと出来ない感じでした。なんか、いつか再発してと思うとあせってしまうんですよね。でも、あんがいそうでないかもと思う今日このごろです。
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ルミナリエツア-続き

2006年12月13日 | Weblog
 ぬれたスボンの代りを買いたいとタクシ-で移動して、天王寺のデパ-トにいきました。でも、結局買わずじまい、ウロウロしている内に通天閣がしまる時間が迫ってきました。前にも来たことがあったので、なんとか、たどりつけました、しかし、時間に追われ、早足に次ぐ早足だったので、妻はそうとう疲れたようでした。
この早足が旅行最終日まで響くことになりました。通天閣でお望みの「ビリケンさん」を見て、串カツも食べて、ご満悦でした。そのあと、定番のなんばに行って、食い倒れ人形、たこ焼き、グリコの看板と対面して帰りました。
 2日目は、午前中、アメリカ村に行きました。もうこのときから足痛い、足がちぎれると言い出しました。なとんかなだめすかして、神戸に移動しました。2日目のお昼は、神戸港から出る船に乗って、バイキングを予約してありました。生演奏もありなかなか、よかったです。その後、ホテルに入って一眠りしました。
 そして、いよいよ、ルミナリエへ。地図を見てもその意味がよくわかりませんでした。要するに混雑をさけるために、わき道からの侵入を防いで、グルット迂回するものでした。1時間近く歩いてやっと、実物が見えました。1時間歩く間、とにかく、足痛い、車イスがほしいと妻はブツブツいい続けました。しかし、本物みると少し、気もやわらいだみたいでした。しかし、途中でトイレもなく、また、失敗してしまいました。
 3日目は、オムツを買いに行くことから始まりました。そして、そのあと、映画「ありがとう」の現地、長田の町にいきました。実は、私、仕事がら、阪神大震災以降の大きな災害のボランティアには必ず行っているのです。神戸には、震災当時、日本海鍋と学生ボランティアの受け入れ事務局の手伝いにいきました。12年ぶりに被災した病院を訪ねました。最終日は、妻は、とにかく足痛いをいい続けていました。


 



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ルミナリエツア-1日目前半

2006年12月11日 | Weblog
 9日土曜日からルリナリエツア-に行ってきました。9日は、神戸で宿が取れず、大阪で泊まることになりました。大阪では、通天閣に行って、ビリケンさんを見たいと妻がいったので、1日目大阪、通天閣、なんば行き、2日目神戸へ移動して、ルリナリエ、3日目はゆっくり帰ってくることにしました。
 それが、イソバイドを飲みだしてから、おしっこの回数が増えて、トイレにまにあわなくなりました。それで、カミオムツをするようになってました。でも、大丈夫と出発しました。行きの電車が京都に着いたとき、おしっこしたいといいだしました。トイレに急ぎましたが、電車のトレイは1つしかなく、・・・。妻は、ブル-になってしまいました。お腹が減って、頭も痛くなってきました。私が駅近くのレストランに入ろうかというと、気合が入っていて、おいしいお好みを食べたいというではありませんか。迷路のような地下鉄を妻をつれて歩き目的のお好み屋さんになんとか到着して、ご飯を食べました。
 その後、ホテルについてからは、しばらく疲れたのと気分がめいったのとで、しばらくお休みタイムとなりました。


 
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