夜机の音なく一人火を恋ふる
夜、ひとり机に向かっていると、シーンとして音もなく、肌寒い
もう炬燵やストーブが欲しくなった…今年もそんな季節になった…
季語:火を恋ふる(晩秋の生活季語。類語として「炬燵欲し」などがある。)
(恋ふ)とは他動詞 ハ行二段活用(ひ/ひ/ふ/ふる/ふれ/ひよ)何だか国語の授業を思い出します。
活用 心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。
注意「恋ふ」は対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。※weblio古語辞典
「火を恋ふる」は、炬燵やストーブから派生して(ぬくもり)として、(人恋し)の方へも広がるのかなとも思う。
「火が欲しい」でも5文字だけれど「火を恋ふる」のほうが(人恋しさ)も感じて素敵だ。
この句は昭和58年の【あした合同句集 座唱Ⅲ 宇咲冬男監修】に掲載されていた。
昭和58年といえば母は54歳。
同人誌の自費出版本だけれど、自分の俳句が載ったということはとても嬉しかったに違いない。
ページ左下に■伊代のこと■として宇咲冬男先生より母の紹介文が書かれていた。
半農で子育てからようやく解放され、ここ一・二年句に力が入ってきた。
言葉を知らないーと嘆いたから、俳句は体でぶつかって作りなさい、と教えた。
それから黙々と歩きつづけ
飽かず飛ぶ燕を飽かず見てゐたり
落とし文拾ひて恋を知らざりき
曼珠沙華炎えつきさうな日でありし
と、階段を一つずつ上るように上達してきた。
文字で何かを伝えたいというのはブログも同じだけれど、
もし今なら母もブログなどやっていたのかな・・・?。
でもやはり、この限られた少ない文字のなかにいくつもの想いを込めるほうが楽しいのかな?