高校時代、文芸部に所属していました。
部は1年に1度、部員の詩とか散文などを寄せて、文芸誌「すずかけ」を発行していました。
半世紀も前のもので誤字脱字はもとより僅かな人生経験と読書の知識しか持たずに書いたもので内容も稚拙ですが、
自分の記録(思い出)としてブログにも残しておこうと思いました。
長いので何回かに分けました。
今回も最後に挿入歌としてひとつの曲をユーチューブよりお借りしました。
もしよろしければ…もしお時間がありましたら読んでみて下さい。
前回「すずかけ32」【ある夏の終りに】リンク🔗(1)(2)(3)
今回「すずかけ33」【消えゆく雪の中に】
【消えゆく雪の中に】(1)
下宿にて
珍しく二日も降り続いた雪は、通りの激しい道路を除いた他は家々の屋根も木立もどこもかしこもすっかり埋め尽くしていた。
亜矢子の下宿している家の近くの神社も白一色になっていてそこでは子供たちが四、五人集まって遊んでいた。
いつの間にか雪は止み、空には曇天が広がっている。
彼女の二階の小さな部屋からはその光景がよく見てとることができた。
子供等は盛んに雪を投げ合い、大きな声で叫び合っている様である。
この雪は都会の刹那に、ちょっとした情緒を与えたようであった。
そして又、その寒気は亜矢子の風邪に良い影響を及ぼしたようである。
窓越しに体をよせて、白く広がっている銀世界をじっと眺め入っていた。
こうやって雨戸を開け外を眺めていると前から続いていた頭痛が少しずつ薄れていくような気がした。
机の上に母からの手紙がある。
無造作に封も切らず投げ出されたそれは再び亜矢子の手に取り上げられた。
友田亜矢子様
懐かしい母の字であった。
彼女はよく母の字を下手だと言い、そのたびに自分も母に似て下手だと笑ったものだった。
胸に熱いものがこみ上げてくるのを覚えた。
目が涙で霞んできた。
急いでそれを拳で拭き再び外に目をやった。
子供たちはまだ遊んでいる。
そんな光景に、幼い日の自分を懐かしく思った。
でも過去…それはすっかり捨てたはずある。
現在の自分を大切に生きると誓ったはずである。
それなのに終わってしまった過去の何がいったい私を引き戻すのだろう…。
ただそう思うだけでまた涙は彼女の頬を伝わってくるのであった。
外気が冷たく頬を通り過ぎていった。
回想
二年前、亜矢子は「絶対に帰れ」という母からの半ば命令的な手紙で帰省した。
帰途の車内は行楽客でごった返しており、何とも言えない不快感の中にいた。
そして席の近くでは雪山に行くらしい男女の群れの話し声が絶えず、不快感はさらに募り、早くこの車中から逃れたいと思っていた。
東京駅を夜十時過ぎに出発した亜矢子が郷里の駅に着いたのは次の朝七時ごろだった。
やっと解放され車外に出た亜矢子は深く呼吸をした。
前日に雪が降ったらしく、明け方の太陽に照らされて白く光っていた。
外は寒かった。
手に息を吹きかけてからホームを出ると、弟の文春が迎えに来ていた。
そして亜矢子の姿を見つけると足早に近づいてきた。
駅前で久しぶりに弟に会った亜矢子は 実家に向かう車の中で、彼に家の現状を聞いた。
母の手紙よりはるかに深刻化しているようだった。
「お母さん、ただいま。」
家に着き、玄関を入ると母が出てきた。
「お帰り。無理行って悪かったと思っているけれど、帰れるならもっとたびたび来るようにしなさいね。」
相変わらずの愚痴を玄関に入るやいなや聞いて亜矢子は、我が家に着いたのを実感した。
母は嬉しそうだった。
けれど、父の姿は無かった。
「お父さんは?」と亜矢子は母に聞いてみた。
すると文春と母が同時に彼女に目を向けた。
そして母が「お父さんは朝ちょっと出かけてくると出ていったきりだよ。」と少しばかり困ったような顔をしてそう答えた。
亜矢子はそれ以上聞かなかった。多分、聞いてもただ気まずくなるばかりだ。
文春から、酔っても必ず家だけには戻ってきた父の帰宅せぬ日があること、もうほとんど仕事には手を付けなくなってしまっているということは聞いていた。
「さあ二人とも、父さんのことはどうでもいいじゃないか、帰りたくなれば帰ってくるさ。それより姉さんの話でも聞こうよ。俺はその方が興味あるよ。」
と、文春の言葉で父の話は打ち消しとなった。
部屋には食事が用意され、少しばかりの馳走が乗っていた。
三人は食卓を囲んで彼女の土産話を聞くことになった。
父の空席が少し寂しげではあったが・・・。
(2)へ続く・・・。
今回はユーチューブよりこの曲をお借りしました。
なごり雪 - イルカ/high_note
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