県立大野病院産科事件の波紋(5)
隠された県当局の「騙し」の真相
加藤医師が産婦人科の「一人医長」に就任したのは04年4月。医師になって9年目、この年224件のお産を手掛け、そのうち41件が帝王切開手術で、ほとんど一人で行ってきました。
そもそも03年、大野病院の移転・新築にともない、福島医大に「小児科の医師もくるから、産科の医師も派遣してほしい」から始まります
大学側教授も「小児科医がいるのであれば」、そして加藤医師も「僕が断る理由もなくなった」と承諾。
「産科医一人より、小児科医がいれば3人分の仕事ができる」と思ったからでした。
しかし、県当局は小児科医の配置はしませんでした。
医大の小児科教授は「なんで加藤医師をだしたんだ、『私はだす』なんて云った覚えはない」と産婦人科教授に苦言。
このあたりを県当局に糺すと「当時の職員はすでにいないのでわからない」
さらに驚いたことは、福島県医療事故調査報告書です。
加藤医師の判断ミスと報告、医大側の「書き直せ」の抗議に対し、県当局は、「ミスを認めないと保険会社が保険金を支払わないから」さらに「当時は、刑事事件になるなんて、考えてもいなかった」
結局、遺族に保険金が支払われるように、そのためにつくった報告書が、刑事事件として、捜査当局が介入するきっかけとして利用されたわけです。にもかかわらず、このことは、裁判で問われることもなく結審しました。
医大教授から「なんとか行ってくれ」と頭を下げられたのに対して加藤医師は「分かりました、医局にはお世話になったし、お礼奉公します」と。
医大教授は「私は県に騙された」と悔恨の述懐をしています。これが隠された真相です。