昨日の記事を書きながら、タカ長が育った子ども社会のことを考えました。昨日書いたように、タカ長は近所の子ども社会では「前頭10枚目」だったことは間違いありませんが、それでは三役級は誰だったのか、横綱は誰だったかと考えても名前が浮かんできません。
名前を忘れているのではありませんが、近所の誰かからいじめられた記憶がないのです。
向かい歯医者の子はチョッと苦手でしたが、ガキ大将ではありません。後に分かったことですが、その子は大変な秀才で、長い東大の歴史で10指に入るほどの人でした。だから、タカ長のような凡才とは合わなかっただけで、その子からいじめられたことはありません。
こうして思い返してみると、タカ長は近所の多くの人に可愛がられながら成長していったことが見えてくるのです。ビンボーでしたが、幸せな子ども時代でした。
日本そのものがビンボーだったのですから、そのことで卑下することは何もありません。何もありませんが、悲しい思い出はあります。
何歳のときだったか記憶はありませんが、姉と町の本屋に行ったことがあります。
1冊だけ買ってもらえるというとき、何故かしら1ページの中の文字数を数えたのです。
マンガだと1ページに50文字、普通の本だと1ページに300文字。というような感じです。そして、、、、
それなら文字数の少ないマンガは損だ、と思ってしまったのです。そのことが幼い脳に刷りこまれてしまったのです。そのため、それ以降マンガを見ることが出来なくなりました。
成人してからも、読んだマンガといえば新聞の四コマ漫画くらいです。日本のマンガはすごいことになり、名作がたくさん生まれたことは承知していますが、その名作も読んだことはありません。
いくらビンボーだったとはいっても、本を買うのに文字数を数えて選ぶなんて、、、、、、、、。思えは悲しい思い出です。