和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

三尾のコアジサイ

2016-06-17 20:05:27 | 風景写真
今日は6月17日です。
朝、新聞配達が終わる頃は雨が上がっていました。
上がるのが早すぎるかな?と思いながら
バイクは東吉野の三尾のコアジサイ林へ。
川上村の武木と東吉野村の三尾の境界にあります。
峠を境とするなら、
花の咲いている所は東吉野村の三尾になりますね。

コアジサイですがよく咲いていました。
少し色あせが見られましたが、土日まではいけそうです。
日曜日に雨が降る予報なのでもう一度行ってみようかな。

峠は足ノ郷越えといいます。
川上村と東吉野村を結ぶ物流山道でもありました。
幕末には天誅組が最後の力を振り絞って越えた道でもあります。

峠の看板に次のようにあります。
天誅組行軍の道
文久3年(1863)9月24日、
天誅組は東熊野街道を北上して武木(たきぎ)の庄屋大西家などで昼食を接待を受け、午後3時頃同地を出発した。
彼らは、戦闘に耐えうる元気な隊士を先陣に、傷病の隊士を後陣にして足ノ郷峠を越えて東吉野に入ってきた。
そぼ降る時雨に中、「五本桜」(現キリヤクボヘリポート付近)まで来ると、百姓二人が火を焚いて待っていた。
鷲家口の情勢を聞いたところ、前夜からここに来ていたので、その後の様子はわからないという。
一行は二人を木にしばりつけて鷲家口突破の軍議を開いた。
「本隊を二隊に分け、一隊は決死隊となって鷲家口に陣どる彦根勢を突破する。
もう一隊は戦闘に乗じて主将中山忠光卿を大阪の長州屋敷まで守護する」という作戦であった。
傷病の隊士の多くは丹生川上神社方面に下り木津(こつ)川・伊豆尾方面に向かった。
隊士のほとんどは雄途空しく若い命を散らしたが、5年後に明治維新が成し遂げられた。 東吉野村
(主将中山忠光 総裁は吉村寅太郎、松本奎堂 藤本鉄石の3人)

余談ですが吉村寅太郎が怪我をした時、敵味方関係なしに吉野口の女医榎本住さんが治療をした。
その子孫が今でも榎本医院を経営なさっています。(御所市戸毛)

コアジサイ