中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
761話)清明節
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風が強くて、寒く、なかなか春らしくなりません。いや、大同の春はこの強風ということかな。天気予報によると、風は7級とか。秒速13~17mといったところです。午前中、緑の地球環境センターにいったのですが、この風が土を吹き飛ばし、ひどい状態でした。私は土が目にはいって、痛い、痛い!
そういうなかで、あした4月4日は清明節です。中国はこの2~4日が清明節の連休です。そのかわり、3月31日、4月1日のウィークエンドは出勤日でした。清明節といえば、墓参りの日ですね。中国の農村では墓参りに火をつかいますし、それもこの強風のなかですから、いったん火がでれば、どんな恐ろしいことになることか。
采涼山の造林地の入口に、このような横幕がかけられています。紙というのは、ご先祖様がくらすあの世の銀行のお札です。10億元、1億元といった高額紙幣から1元、1角(=0.1元)といった少額の紙幣まであり、それを燃やして煙にし、ご先祖様に届けるのです。墓参りでその紙を燃やすことを厳禁する、と書いてあるわけです。
私たちが造林地にはいる際には、4人の男が見張りをし、私たちのくるまも停められました。山のうえでは、1人の男が双眼鏡をのぞいて、見張っています。この時期は、植えるしごとはそっちのけで、山火事防止にけんめいです。なにごともなく、あしたがすぎてほしいものです。
そういうなかで、あした4月4日は清明節です。中国はこの2~4日が清明節の連休です。そのかわり、3月31日、4月1日のウィークエンドは出勤日でした。清明節といえば、墓参りの日ですね。中国の農村では墓参りに火をつかいますし、それもこの強風のなかですから、いったん火がでれば、どんな恐ろしいことになることか。
采涼山の造林地の入口に、このような横幕がかけられています。紙というのは、ご先祖様がくらすあの世の銀行のお札です。10億元、1億元といった高額紙幣から1元、1角(=0.1元)といった少額の紙幣まであり、それを燃やして煙にし、ご先祖様に届けるのです。墓参りでその紙を燃やすことを厳禁する、と書いてあるわけです。
私たちが造林地にはいる際には、4人の男が見張りをし、私たちのくるまも停められました。山のうえでは、1人の男が双眼鏡をのぞいて、見張っています。この時期は、植えるしごとはそっちのけで、山火事防止にけんめいです。なにごともなく、あしたがすぎてほしいものです。
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坟台上的野草还没有返青。
大同有句谚语,叫做“二月清遍地清,三月清没一根”,这话说得很有道理,清明节出现在农历二月的话,则遍地都是青草,如果出现在农历三月的话,则田野仍旧荒凉。我想这大概与上一年是闰月年有关吧。
今年是闰月年,明年(2013年)的清明节到来时,我想就是遍地清了。
您自己要留意这一现象,以后验证。
一昨日、故郷の樊荘に帰って、その南にある陳家墳へ墓参りをして、祖先を祭っていました。墳地には野草が未だ青々としていない様子です。
大同では“二月清遍地清,三月清没一根”という諺があります。そんな話は筋が通っていると思います。つまり、清明節が農歴の二月に出ると、野良の至る所では青々としていて、もし三月に出れば、野良には荒涼としていて、青い草が一本までもない、ということです。こういう現象は前の年が閏月の年だということに関係があるでしょう。
今年は閏月の年だから、来年(2013年)の清明節が来るとしたら、至る所に青々としているようになったと思います。
高見さんがこの現象に留意して、後に確かめてみてください。
“二月清遍地清,三月清没一根”(誤り)
“二月清遍地青,三月清没一根”(正しい)
さて、その中身なんですけど、私は疑問に思います。というのは、中国の農暦は太陽太陰暦で、陰暦(月の運行が基準)を基本としながら、太陽暦の要素もとりいれているものです。閏月をいれるのはそのためです。
農暦といいながら、農業には役立たないんですね。3年に1度、閏月がはいって、季節の変化にあわないことが多いのです。
農業をすすめるうえで役立っているのは二十四節気です。日本では春分、秋分など、いくらかは残っていますが、大部分はすたれてしまいました。で、私は大同の農村で、農業に関する話をきくために、二十四節気の表を持ち歩いていました。こちらは太陽暦とほとんどちがいがありません。グレゴリオ暦とのあいだのずれは1~2日です。
土八路さんがいわれるようなことは、きっと起こっているのでしょう。でも、それと同じくらい、はずれることもあったはずです。