773話)九年は旱で、一年は大水とは?

 745話で、「黄土高原の基本的な問題を」と題して、大同の基本状況の解説をはじめました。そのベースは、陽高県の民謡「高山高」の「山は近くにあるけれど、煮炊きにつかう柴はなし……」ですね。ところが、753話から、この春の活動と同時進行にしてしまいました。話をもとに戻します。

 あの歌でいえば、後半の「九年は旱(ひでり)で、一年は大水…」の、大水についてです。典型的なのは1995年で、この年、春からずっと旱魃だったんですけど、7月下旬から雨が降りはじめ、いつもなら9月になると降らないのに、この年は10月まで降りつづきました。激しい雨じゃないんですね。でも、その長雨が、土づくりの窰洞(ヤオトン)の屋根や壁にしみこんで、バタバタと倒壊しはじめました。大同では6万世帯、24万人が被災したといいます【写真】。

 その年は阪神大震災の年でした。で、私は「日本では災害時に小学校が避難施設になるけど、ここだと学校がまっ先につぶれるよ」などと、悪口をいっていたんですね。道教の古い廟が学校としてつかわれたりしていましたから。悪いことを口にしてはいけないんです。ここは言霊の世界ですから。いくつもの学校が、雨によってつぶれたんですよ。

 もっと最近では、2003年の7月、カササギの森の中央部にある谷の上流で大雨が降ったため、あの谷で土石流が発生しました。私たちの敷地内でも、一抱え以上のポプラが倒れるなどの被害がでましたが、ちょっと下流の聚楽村では、4人の犠牲者がでたのです。雨は降れば降ったで、困った問題をおこします。
 
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