マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

アドベント

2021-11-29 16:50:00 | 教会の風景
今年もアドベント(待降節)を迎えました。

いまだコロナウィルスに対する心配もあり、日常生活の慌ただしさの中にありますが…
クリスマスを迎える喜びを味わっていきたいと思います。

昨日の午後は、クリスマスツリーを出しました。
作業をしながら、かつてこのツリーを譲ってくださった宣教師ご夫妻のことを思い出し、改めて感謝したのでした。
そして、この場を訪れる方々に喜んで頂けたらいいなと願いつつ…

飾りつけを終えたところで写真を。


最後にもう一つ。
キリストのご降誕を告げた、天使たちの歌をご紹介します。

いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。
新約聖書 ルカの福音書2章14節


栄光は神に、平和を地に。
対立や争いの絶えないこの世界、今の時代に生きる者として祈りつつ

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イースターの朝に

2021-04-05 14:33:00 | 教会の風景
 


久しぶりの更新です。
今年もイースターを迎えました。
私たちの教会でも、キリストの復活を記念しイースター礼拝を行いました。
 
一年前のイースターには集まることさえ困難な状況でしたから、それだけでも感慨深いものです。
そして、クリスマス礼拝以来になりますが、聖餐式も執り行いました。もちろん、コロナ対策もしてのことですが。
 
また、コロナ禍を経て、私たちの教会もオンラインでの集まりをするようになりました。昨日の夕拝はオンラインでした。
 
この時代と状況の変化を受けとめながら、心の渇きを覚えている方々に、神のことば、キリストによる救いをお知らせし、お届けしています。
 

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望み

2020-11-12 12:43:00 | 教会の風景

先日の日曜日の礼拝には、R宣教師を講師としてお招きしていました。ご夫妻で東村山聖書教会を訪ねてくださいました。


R宣教師ご夫妻には、これまでも個人的にお世話になりました。私たち夫婦が牧会上の困難な課題に直面した時、相談に乗って頂いたこともありました。お二人の信仰や人柄により、随分励まされてきたのです。
 
今回は、お忙しい中、私たちの教会のためにスケジュールを調整して来てくださいました。本当にうれしいことです。
 
ところで、今回の礼拝の説教は、新約聖書のペテロの手紙第一1章3-5節からでした。
 
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。」
 
神が私たちに与えてくださった…生ける望み、天に蓄えられた朽ちない資産、力強い守りについて思い巡らすひとときになりました。
 


 
今回も、密を避けるためにオンラインを併用した礼拝としました。会場に集まった方々ばかりでなく、オンライン上で礼拝の時間をご一緒できた方々もいて、幸いな集いとなりました。感謝。
 
 
 
 

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喜ばしい日

2020-11-07 20:37:48 | 教会の風景
この前の日曜日のことです。
洗礼式を執り行いました。


かねてから、洗礼に向けて聖書の学びをしていた、若い二人がこの日を迎えました。
 
これまでに二人は所定の学びを終え、役員会による試問も無事にクリアしていました。
はっきりと信仰を表明し、洗礼を受けたいという意志も確認されています。
 
途中、コロナ禍で準備会も滞っていましたので…
一層感慨深い思いで私も式に臨みました。
 
 
ちなみにその日の説教は、洗礼について語りました。
 
ローマ人への手紙6章1-11節
「… 3. それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
4.私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。…」
 
 
キリストと一つにされて、新しいいのちに歩む二人のこれからを見守っていきたいと思います。
何より喜ばしく、またその責任を思うと身の引き締まる思いです。
 
礼拝後には、二人にお祝いの花束を。



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転入会

2020-09-22 10:29:00 | 教会の風景
今月第一週に転入会式を行いました。
ここ数年来、東村山聖書教会に通っておられたお二人を正式に教会員としてお迎えしました。
転入前の準備会がコロナ禍で中断した時期もありましたが、所定の手順を経て転入が承認され、この日を迎えました。
 
信仰の再確認と教会への意識を深めて頂けるよう、この節目を大切に扱います。
また、歓迎の心を込めて、お二人に花束を贈りました。礼拝後には記念撮影も。
 
教会としての歩みは一歩一歩ゆっくりですが…
道を求め、訪ねて来る方々を迎え入れつつ、教会設立5年目も半ばまで来ました。
 






 
さて、過去の説教のあらすじも掲載しておきます。旧約聖書の講解説教の2回分です。
 
2020年7月 Ⅰサムエル記15-16章
Ⅰサムエル記15:24-31 説教題:『私は罪を犯しました』
 聖書が教える悔い改めとはどのようなものだろうか。サウルの言動から考えたい。サウルは預言者サムエルに「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです」と告白した(15:24)。「背いた」とは、「越える」というニュアンスを含む。サウルは主のことばに従ったようでもあるが、肝心なことを守らず、主のみこころから外れていた。預言者によるさばきの宣告に、サウルはようやく非を認めたようだ。だが、(15:25)「私の罪を見逃してください…」というサウルの懇願にも、神の決定は覆ることはなく、「主があなたをイスラエルの王位から退けられた」とされる(15:26)。そこで再び「私は罪を犯しました」と告白するも、「しかし、今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください」と続けた。サウルの告白が人前での体裁を気にしたものに過ぎなかったことが分かる。これは、ダビデの罪意識や告白、「私はあなたに、ただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に悪であることを行いました。…」(詩篇51:4他)とは異なる。真の悔い改めとは、神の前に自分の罪深さを認めて告白し、赦しを乞うものである。(2020.7.12.)
 
 
Ⅰサムエル記161:-7 説教題:『主は心を見る』
 人と神の見方は異なる。身だしなみに気を配るのもマナーとして大事だが、神は心をご覧になる。イスラエルの王位にまつわる新たな展開から学ぼう。主は預言者サムエルに「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしはサウルを王位から退けている」と告げた(16:1)。直前の(15:35)によれば「主も…悔やまれた」とサウルの不従順を深く悲しんでいるが、主の思いは王位にまつわる新たな局面へと向かっていることを示唆する。「わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」主の命令でエッサイ一家を訪ねた預言者は、長男エリアブをひと目見て、彼が次の王になる人物と思い込んだ。しかし、主はサムエルをたしなめ、「人はうわべを見るが、主は心を見る」と教え諭した。その場合、主はどのような基準で心をご覧になるのだろうか。(Ⅱ歴代誌16:9)によれば、「その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださる」とある。神を信じて、その教えと導きに頼るか否かという基準だろう。私たちの心はどうだろうか。(2020.7.19.)

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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