マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

柔和

2007-07-16 12:02:06 | 教会の風景
■昨日の礼拝説教のダイジェスト

聖書箇所 創世記26:17-25
「選ばれた者の柔和」

イサクはペリシテ人の王に妬まれ、移住を強いられた。
その滞在先で井戸を巡るトラブル。

この地域では井戸(水)は生きるためにまさに必要なもの。
移住して真っ先に確保に努めるのは井戸である。

イサクとその家族、一団は井戸を掘るが、現地人に2度も奪い取られる。
3度目の場所でようやく落ち着いた環境を手に入れることができた。
イサクはその環境に心から感謝し、主への賛美をささげた。

その後、移動した場所で、主がイサクに現れる。
約束の再確認。
「わたしが神である。
恐れてはならない。
わたしがあなたとともにいる。
わたしはあなたを祝福しよう。」
イサクはその場所に祭壇を築き、主の御名によって祈る。


この記録から、私たちは何を学べるだろうか?
イサクのうちに見られる「選ばれた者の柔和さ」に注目したい。

イエス様の山上の説教の一節を思い出す。
「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ5:5)

イサクは争いを避けた。
自分の権利を主張しなかった。
むしろ、相手に譲って、自分はさらに他の可能性へと目を向けた。

イサクの生まれつきの人柄の良さが、彼をこの行動へと導いたのだろうか?
彼の柔和さは、単に人柄とか性格にのみ由来するものだろうか?
答えは「NO!」である。
彼の柔和さは、すべてを支配している神様への強い信頼に由来するもの。
その証拠に、3度目の井戸と良い場所が見つかった時に、神様への感謝をささげている。
そこには先の2度のトラブルへの不満は全く見られない。
神に選ばれた人イサクの柔和さは、先の見えない困難の中で充分に発揮された。

このことは私たちにも当てはまる。
クリスチャンは、自分が神様に選ばれ、救われたと信じている。
全能者である神様に選ばれ、救われたと信じている私たちに、この柔和さが見られるだろうか?

私たちの柔和さは、先の見えない困難の中で試される。
物事が自分の思い通りに行かない時でも、主は私たちを見捨てておらず、忘れてはいない。
問題や悲しみ、痛みの中で、それでも主に期待し、待ち望む。

困難の時こそ、主は私たちの内に天に属するものの柔和さを形作られる。
御霊の実の一つに「柔和」があると紹介されている。(ガラテヤ5:23)
私たちの内に与えられる柔和さは、私たちの人生を方向付ける。
誰の目にも逆境と映る状況の中で、実は神の御業が着実に進行している。
神様は私たちの内に柔和さを形作り、その私たちの柔和さを通して、ご自分の栄光を現される。


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