今日は前期の講義の最終日でした。
救済論のレポートも無事提出。
一つの峠を越えたような、ささやかな充実感を味わいました。
秋の調整期間を経て、月末から後期に入ります。
でも、その前にまだ提出してない課題が・・・
これから残りの課題に取り組みます。
人間論のレポートです。
学べば学ぶほど、実は自分の理解の浅薄さに直面させられます。
今まで何してたんだろう、なんて思うこともしばしばです。
最近は自分の吸収力や理解力にもどかしさを感じてますが、これからも学び続けていきます。
さて、今日もチャペルの時間があり、説教を聞きました。
M先生がローマ書の前回の続きから語ってくださいました。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人はあるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ローマ5:6-8
救済論のレポートも無事提出。
一つの峠を越えたような、ささやかな充実感を味わいました。
秋の調整期間を経て、月末から後期に入ります。
でも、その前にまだ提出してない課題が・・・
これから残りの課題に取り組みます。
人間論のレポートです。
学べば学ぶほど、実は自分の理解の浅薄さに直面させられます。
今まで何してたんだろう、なんて思うこともしばしばです。
最近は自分の吸収力や理解力にもどかしさを感じてますが、これからも学び続けていきます。
さて、今日もチャペルの時間があり、説教を聞きました。
M先生がローマ書の前回の続きから語ってくださいました。
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人はあるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ローマ5:6-8