明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
新年を迎えましたが、何だか実感が乏しい私。
クリスマス前後から、そのまま駆け抜けている感があります。
...とは言うものの、2018年、これからの日々への期待と希望を抱いて、前を向いていたいと思います。
この記事をまとめることも、切替の一つになるかな。
先日、12/31の礼拝では、『幸いな人生』と題して語りました。
以下の聖書箇所を中心にお話ししました。
詩篇1:1-3 [新改訳第三版]
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
神は、私たちの幸いに関心があります。
その幸いは現実的です。
私たちは、その幸いを実生活で味わうことができます。
まず消極的な表現で、「歩まず、立たず、着かない」というのですから、悪い者たちの計画や行動に加担し、巻き込まれないこと。
積極的には、「喜びとし、口ずさむ」とあるように、主の教えに親しむこと。
みなさんの新たな一年が、生き生きとした、実りあるものとなりますように。
「水路のそばに植わった木のようだ」(第三版)
「流れのほとりに植えられた木」(2017)
余談ですが... iPhoneアプリでも、『聖書 新改訳2017』が出ましたので、このブログでの引用も切り替えることにします。
今年もよろしくお願いします。
新年を迎えましたが、何だか実感が乏しい私。
クリスマス前後から、そのまま駆け抜けている感があります。
...とは言うものの、2018年、これからの日々への期待と希望を抱いて、前を向いていたいと思います。
この記事をまとめることも、切替の一つになるかな。
先日、12/31の礼拝では、『幸いな人生』と題して語りました。
以下の聖書箇所を中心にお話ししました。
詩篇1:1-3 [新改訳第三版]
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
神は、私たちの幸いに関心があります。
その幸いは現実的です。
私たちは、その幸いを実生活で味わうことができます。
まず消極的な表現で、「歩まず、立たず、着かない」というのですから、悪い者たちの計画や行動に加担し、巻き込まれないこと。
積極的には、「喜びとし、口ずさむ」とあるように、主の教えに親しむこと。
みなさんの新たな一年が、生き生きとした、実りあるものとなりますように。
「水路のそばに植わった木のようだ」(第三版)
「流れのほとりに植えられた木」(2017)
余談ですが... iPhoneアプリでも、『聖書 新改訳2017』が出ましたので、このブログでの引用も切り替えることにします。