マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

何を心に留めるか…

2020-03-19 00:55:00 | 教会の風景
先日、主日礼拝で歌われた讃美歌の一節にこのような歌詞がありました。
 
わずらわしき 世のわざに、
やるせもなき 悲しみに、
なおひそめる みいつくしみ
見させたまえ あやまたず。
 
[教会福音讃美歌420番 『主よ、こころみ受くるおり』/In the hour of trial:James Montgomery(1834)]
 
私たちが困難を覚えるときにも、主のいつくしみをしっかりと心に留めていたいものです。
 

ある日曜日の礼拝時に飾られた生花です。
 
続いて、礼拝の説教(旧約聖書からの講解2回分)のあらすじも掲載しておきます。

2020年1月 Ⅰサムエル記12章

説教題:『すべての正義のみわざを説き明かそう』

 神の正義とはどのようなものだろうか。新たに王を立てたばかりのイスラエルの民に向かって、預言者サムエルは、『すべての正義のみわざを説き明かそう』と語った(12:7)。この「説き明かそう」とは、何が正しいかを明らかにしようとしている。「主があなたがたと、あなたがたの先祖に行われたすべての正義のみわざ」とは、イスラエルとの契約において、神がいかに誠実であったのかを指し示す。出エジプトの出来事やカナンを所有した士師の時代の経験について「あなたがたの先祖は主に叫んだ…主は…を遣わした」と表現し、神がイスラエルに救いの手を差し伸べてきた事実を述べている(12:8-11)。このように、神の正義は、ご自分の民の救いに現されている。にもかかわらず、イスラエルは、主を忘れ、主を捨てて(12:9,10)、王を求めた(12:12)のである。今やイスラエルで王制が敷かれているからこそ、サムエルは、神を退けて人に頼ることを厳しく戒めている(12:13-15)。そして、彼らが神に対して犯した悪の大きさを自覚するよう、「認めて、心に留めなさい」と促した(12:16,17)。神は、苦しみの中にある者を救う正義の神。私たちは、誰をあるいは何を拠り所としているだろうか。(2020.1.12)

 

説教題:『とてもできない』

 サムエルは主の民イスラエルを前にして、『とてもできない』と語った(12:23)。このサムエルの発言から、真の牧会をテーマに考えてみたい。ここでサムエルは、罪の悔い改めと神の赦しを、主の民に欠かせないものとしている。(12:17)で「あなたがたは王を求めることで、主の目の前に犯した悪が大きかったことを認めて、心に留めなさい」と語った。彼のことばを確証するしるしも伴った(12:18)。すると、民には主とサムエルへの恐れが生じ、罪の自覚と告白があった(12:19)。自分たちの罪に直面させられ、神のみこころにかなう態度を選んだといえる(箴言28:13; 詩篇32:5)。すると、サムエルは(12:20)「恐れてはならない…主に仕えなさい」と語りかけた。自分の罪を認めて心から悔い改める者を、神はお赦しになる。神の赦しは確かである(12:22)。「恐れてはならない」という励ましがふさわしい。サムエルは、ここまで民を導いてきた。(12:23)からすれば、このように民をとりなして祈り、指導するのをやめるなど、彼にはありえないことだった。これは新約聖書の使徒ペテロのことばにも通じるだろう(Ⅱペテロ1:10-13)。神のみこころに反する罪を悔い改め、神に赦されて、救いにしっかりと留まり続ける。現代の牧会者も、そのように人々をとりなし、教える。(2020.1.19)

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする