マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

協力者の存在

2008-02-05 18:47:42 | 教会の風景
日曜日の午後は、ひばりが丘へ。
教会から歩いて10分くらいのS君の家でミーティング。

Youthのことやお互いの近況報告などをして交わり。
コーヒーを飲みながら話をして、楽しく2時間を過ごした。
Youthや分級の今後の展望なども語り合った。
あっという間だった。

みんな忙しいので、今までそろってコミュニケーションを取ることができなかった。
これからは時間をなんとか調整して集まろうということになった。
最後にお祈りをして解散。

自分の周りには本当に多くの協力者がいる。
本当に心強い。
東村山教会とYouth For Jesusの奉仕が続けられるのは、信仰の先輩方や仲間の存在があるから。

主イエスさま、感謝します!
また、協力してくださっているみなさん、感謝します!

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雪の日の礼拝

2008-02-05 18:23:53 | 教会の風景
朝、外を見てびっくり。
今年二度目の積雪。
しかも、前回より雪は多かった。
家から教会へ行く途中の畑もスッポリ雪の中。



ちょうどいろいろな事が重なり、いつもより礼拝に集まる方々が少なかったけれど、この日ちょうど訪ねてくださったクリスチャンの方も2名いた。

礼拝説教は創世記39章から。
「主がともにおられる」

兄たちにねたまれ、奴隷として売られたヨセフ。
エジプトの宮廷で仕える者の家で働くことになる。
兄たちからひどい扱いを受け、父の愛情と将来受けるであろう財産なども一切失ったヨセフ。
今や外国で奴隷の身分。

しかし、聖書はこのように言う。
「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり・・・。」(2節)

私たちはこの言葉を目にするとき「ん?」と首をかしげたくなる。
兄たちに裏切られて奴隷として売り飛ばされた青年を「幸運な人」と呼べるのか?

聖書は「主がヨセフとともにおられた」ということが幸せの根拠だとしている。
これは私たちの考え方へのひとつのチャレンジでもある。

私たちは、自分で勝手に描いた幸せや祝福のイメージで自分を見ようとする。
こういう問題が起こったのは・・・私が神の祝福を失った証拠なのだ。
私に・・・がないのは神の祝福を得ていないからだ。
私にこのようなことが起こるのは、神さまが私のことを忘れているか、見放されたのだ。

でも、そのように考える人は大切なことを見落としている。
ヨセフを見て欲しい。
たとえ何もかも失ったように思える時でも、主がともにおられる。
確かに失うことには痛みを伴うが、それでもそれを埋め合わせてあまりある存在がともにいる。
「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり」

私たちとともにおられる主。
どんなときも絶対に離れることなく、見捨てることはない。
試練の嵐の中でもひとりぼっちではない。
この方が私たちの側にいると本当に知るとき、私たちの心は平安を得、喜びに満たされる。

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明日に備えて

2008-02-02 17:50:44 | 教会の風景
朝はギリシャ語の講義のため神学校へ。
60課あるテキストも残りが少なくなってきた。
もうあと一ヶ月もすればギリシャ語の初歩をほぼ一年学んだことになる。
一年前のまったく分からない時を思えば、勉強しただけのことはあると思う。
もちろん習ったこと全部を理解しているわけではないけれど。

その後、教会に戻り、礼拝説教とYouthのメッセージの仕上げ。
礼拝は、創世記39章から「主がともにおられる」というタイトルで。
Youth For Jesusは、ヨハネ12:37-43より。
今回は少し早めに準備ができたので、午後から教会の雑用を済ませられた。
この後、もう一度原稿の見直しをして明日に備えよう。

明日も集まる方々と、聖書から神さまご自身の恵み深さを分かち合いたい。
教会に集う方の中には、大変な環境の中にある方がいることも知っている。
聖書からの励ましと慰め、新たな元気と勇気が与えられるようにと祈らずにはいられない。

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今日も

2008-02-01 10:15:45 | 聖書通読
今日の聖書箇所
ルカ24:13-53

「イエスが生きている」ということは、弟子たちにとって大きな驚き(22節)だった。
主イエスが側に来て、聖書を説き明かされると、弟子たちの心は内に燃えた(32節)。
彼らの驚きと熱い思いは、非常な喜び(52節)になった。


「主イエスは今も生きておられる」
このことは・・・私たちにとっても、驚きであり、励ましであり、喜び。


主イエスさま。
今日もあなたが生きておられ、私たちといっしょであることを感謝します。
今日一日もあなたの恵みと導きの中で過ごせますように。
私たちの心が頑固にならず、あなたの言葉に聞くことができますように。
私たちが日常の忙しさや様々なストレスの中にあっても、あなたの手が支えてくださっていることを感謝します。
父なる神さまにふさわしい栄光が帰されますように。

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