「椰子の実」という島崎藤村の詩があります。
伊良湖岬(愛知県)に流れ着いた椰子の実をモチーフにしているそうです。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月 …
(『落梅集』島崎藤村 著 春陽堂 1901)
私が愛知県出身ということもありますが、自分のこれまでの歩みにも重なるようで親しみを感じます。
私は生まれも育ちも愛知で、30歳になるまでずっと豊橋で過ごしました。
その間、キリスト教信仰に導かれまして、新たに教会を開拓する伝道者の志を抱いていました。
その頃の私は、自分の生まれ育った愛知県内のどこかの町で教会を始めることになるんだろうな、と漠然と思っていました。
ところが、東京都東村山市にある教会の後任の牧師として働く道が開かれました。
それと同時に、神学校で学ぶという条件もつけられていました。
何もかもが自分には思いも寄らない展開でした。
ほとんどツテのない新たな土地での生活と仕事と学びに踏み出すことになりました。
それから、10年以上経ちました。
教会や神学校、地域で多くの方々との出会いがありました。
かつて豊橋にいるときには、全く想像もしていなかった道のりです。
神のみこころの不思議を思わされます。
聖書は、古えの信仰者たちが「地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」(ヘブル11:13)とし、それは「天の故郷にあこがれていた」(同11:16)のでもあると教えています。
伊良湖岬(愛知県)に流れ着いた椰子の実をモチーフにしているそうです。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月 …
(『落梅集』島崎藤村 著 春陽堂 1901)
私が愛知県出身ということもありますが、自分のこれまでの歩みにも重なるようで親しみを感じます。
私は生まれも育ちも愛知で、30歳になるまでずっと豊橋で過ごしました。
その間、キリスト教信仰に導かれまして、新たに教会を開拓する伝道者の志を抱いていました。
その頃の私は、自分の生まれ育った愛知県内のどこかの町で教会を始めることになるんだろうな、と漠然と思っていました。
ところが、東京都東村山市にある教会の後任の牧師として働く道が開かれました。
それと同時に、神学校で学ぶという条件もつけられていました。
何もかもが自分には思いも寄らない展開でした。
ほとんどツテのない新たな土地での生活と仕事と学びに踏み出すことになりました。
それから、10年以上経ちました。
教会や神学校、地域で多くの方々との出会いがありました。
かつて豊橋にいるときには、全く想像もしていなかった道のりです。
神のみこころの不思議を思わされます。
聖書は、古えの信仰者たちが「地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」(ヘブル11:13)とし、それは「天の故郷にあこがれていた」(同11:16)のでもあると教えています。