(胎蔵曼陀羅:Yahoo検索より転載)
仏教の思想(全12巻)による仏教思想の勉強、その第9巻「空海」の概要、昨日からの続きです。
仏教はお釈迦様が創造した思想・宗教ですが、不思議なことに多くの「仏様」が登場します。
それでは、お釈迦様と仏様はどう違うのでしょうか?
この多くの仏様は大乗仏教になって登場してきます。小乗仏教では仏は釈迦一人でしたが、大乗仏教では、
釈迦はさとりをひらいて仏になったが、仏は一人ではなく、過去にもいたのではないか、という訳です。
こうして出来上がった仏は歴史上の実在の仏=釈迦から離れて、我々のようには身体をもたず、色も形も目に見えない
永遠不滅の真理そのものとしての仏として形而上学的(理念的)に創造されます。
これを仏教用語では「法身仏(ほっしんぶつ)」と呼びます。
つまり、お釈迦様は、この法身仏がこの世に姿を現したもの(これを「応身仏(おうじんぶつ)」と呼ぶ)という訳です。
そこで、やっと本題に入りますが、密教以外の顕教(けんぎょう)では、あくまで法身仏=釈迦だったのですが、密教に
なると、法身仏=大日如来となって、お釈迦様はその主役の座を追われてしまうことになるわけです。つまりこの点が
密教の最大の特徴と言えます。
こうして、密教では永遠不滅の無限の大宇宙の真理を体現した「大日如来」中心の仏教が展開されることになった訳です。
とはいえ、全ての仏教真理を大日如来一人で広めるのは大変と、それぞれの役目を持った仏や菩薩など多くの仏尊が
大日如来の代役として(これを仏教では「化身」と呼びます)登場します。(密教では、釈迦もその一人にすぎないことになります。)
空海は入唐時、密教以外の当時の唐で流布されていた多くの思想・宗教の勉強も同時に行い、単に仏教に限らず多くの思想を
取り入れて真言密教を集大成したと言われており、これらの仏尊にも、仏教以外の神が取り入れられています。
つまりは、多くの仏尊は大日如来の一部であり、多くの仏尊を集約すれば大日如来となるという訳です。
この大日如来と多くの仏尊の関係を目で見て分かりやすく表したのが、「曼荼羅図」という訳です。
冒頭は「胎蔵曼荼羅」と言われる図です。胎蔵は母胎を意味し、大宇宙(生きとし生けるものあらゆるもの全てという意味)の
絶対者(大日如来)の理性をつまりは慈悲を表していると言われています。やがて、この理性、慈悲は知恵となって現れますが、
その世界を表したものが「金剛界曼荼羅」ということです。そして、この金剛界曼荼羅の知恵は逆に慈悲となって現れ、胎蔵曼荼羅と
金剛界曼荼羅は相互に一体となって、理(理性)と智(知恵)は不可分(「理智不二(りちふに)」の真言密教、大日如来の世界が
成立しています。
ということで、今日はここまで。2日でまとめようと思いましたが、無理でした。続きは明日以降で。